第11話 “オフィス物件を探してる”と言いながらも、どこか挙動不審な若き社長
第11話 “オフィス物件を探してる”と言いながらも、どこか挙動不審な若き社長
春の昼下がり、なごみ不動産にひとりの男が現れた。
黒のジャケットにノーネクタイ、年齢は30代後半ほどか。
見た目こそ洗練されていたが、どこか目線が定まらず、落ち着かない様子だった。
「オフィス物件を……探してるんですけど」
対応したのは、賃貸営業部部長・今井信吾(いまい しんご)、46歳。
穏やかな口調と、物腰柔らかな人柄で部下からも慕われるベテランだ。
「ご希望の条件はございますか?」
「ええと……駅から遠すぎず、築浅じゃなくてもいい……いや、むしろ古めの方がいいかもしれません」
曖昧な返答に、今井は静かに微笑んだ。
「よろしければ、用途もお聞かせいただけますか? 事業内容に合う物件をご案内したいので」
「……設計事務所です。社員は自分含めて3人。今までは自宅兼オフィスでしたが、拡張を考えてて」
「承知しました。少々お時間いただければ、ご案内できます」
⸻
内見の準備をしている最中、今井はふと社員名簿に目をやり、依頼者の名前に見覚えを感じた。
柴田優人(しばた ゆうと)――。
記憶の奥、20代だった頃のある男の顔がよぎる。
なごみ不動産がまだ立ち上がったばかりの頃、今井も若手として現社長と一緒に汗を流していた。
その頃、熱量と理想に満ちていた若手がもうひとりいた。柴田優人。
営業方針をめぐり社長と衝突し、「ここには未来がない」と啖呵を切って会社を去った男だった。
⸻
内見中、今井はふと尋ねた。
「柴田さん。もし失礼でなければ、お聞きしても?」
「……はい?」
「なぜ、うちにいらっしゃったんですか?」
柴田は黙ったまま、古びたオフィスビルの窓越しに街を見つめていた。
「ここ……あの頃、俺が“これは使えない”って一蹴した物件、覚えてますか?」
「……覚えてます。今はオーナーも変わって、少しずつ手を入れています」
柴田は小さく笑った。
「皮肉なもんですね。あの時、“理想のビルじゃなきゃ意味がない”って言ってたくせに、今は“場所さえあればいい”って思ってる。
でも……気づいたんですよ。“何を建てるか”じゃなくて、“誰と使うか”の方が大事だって」
⸻
数日後、契約は無事に成立。柴田は丁寧に頭を下げた。
「正直、来るの、迷いました。まだ社長がここにいたらって思うと……」
「社長は今も現役ですよ。けど、もし気になるなら、挨拶だけでもされては?」
柴田は少しだけ口元を緩めた。
「……そのうち、機会があれば。まずは、このオフィスを“自分の選んだ場所”にしてから」
⸻
その背中を見送りながら、今井はひとりつぶやいた。
「戻ってきたな、柴田……ちゃんと、自分の足で」
不動産は、ただの“箱”ではない。
そこには、かつての別れや後悔、そして新しい出発が刻まれていく。
⸻
次回、第12話:“この街に一度も来たことがない”という女性が探す家
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます