第10話 “事故物件、むしろ大歓迎”という男性
第10話 “事故物件、むしろ大歓迎”という男性
平日の夕方、ひとりの若い男性がなごみ不動産にやってきた。
Tシャツにジーパンというラフな格好で、妙に人懐っこい笑みを浮かべている。
「事故物件ってありますか?」
担当したのは、賃貸営業部の主任で島田咲希と同期だが2つ歳上の野口智也(のぐち ともや)。
彼は一瞬、冗談かと思ったが、相手の真剣な表情に戸惑いを見せつつも対応を始めた。
⸻
「事故物件をご希望とのことですが、理由を伺っても?」
「家賃です。安さ命なんで」
男性の名は朝倉裕太(あさくら ゆうた)、27歳。芸人歴5年目の若手。
アルバイトとライブで生活をつなぎながら、東京の片隅でくすぶっていた。
「ネタで勝負するしかないって分かってるんですけど、まず“家賃が払える場所”を確保しないと始まらないんで……」
「なるほど、実に現実的ですね」
⸻
紹介したのは、築年数の古いワンルーム。前の住人が室内で亡くなっていたため、相場より2万円以上も安い。
裕太は部屋に入るなり、興味深げに窓際を見つめた。
「ここで……ねえ。いや、逆にありがたいですよ。
“俺の芸歴と人生、マジでここから始まった”って言えるネタになりますから」
⸻
それから数ヶ月後。野口が深夜のテレビ番組を何気なくつけると、見覚えのある男が出ていた。
「……あれ、あの時の?」
画面では、雛壇ではあるが勢いよく話している。
「でね、その物件、家賃がめちゃくちゃ安いんですよ。でも、入居の説明がこうなんです。“前の住人、たまに戻ってきますけど、それでもよければ”って! 俺、“芸人だから霊も笑わせて追い出せるでしょ”って返しましたよ!」
スタジオが爆笑に包まれる。
⸻
数日後、裕太が不動産屋を訪れた。ジャケットを羽織り、顔つきは少し精悍になっていた。
「……なんか最近、ネタ番組とか呼ばれるようになって。
あの部屋、ネタの宝庫だったんですよ。“金縛り芸”とか“冷蔵庫が勝手に開く選手権”とか」
野口は笑いながら答える。
「住んでるうちに、部屋の空気変わりました?」
「変わりましたね。怖いっていうより、“やっと俺に出番くれた”って感じがして」
⸻
不動産屋の仕事は、人に“居場所”を与えるだけじゃない。
時に、その人の“物語”を始める場所にもなる。
そう実感した野口は、今日も冗談交じりに部下へ言う。
「いいか、事故物件を希望してくるやつは、だいたい芸人か、よっぽど人生に覚悟あるやつだ」
⸻
次回、第11話“オフィス物件を探してる”と言いながらも、どこか挙動不審な若き社長」お楽しみにしてください♪
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます