第9話 “一緒に住む人、これから決めます”という若い女性

第9話

“一緒に住む人、これから決めます”という若い女性



午後3時すぎ、なごみ不動産の店頭に、ひとりの若い女性が現れた。春色のワンピースに身を包んだ彼女は、どこかふわりとした空気を纏っている。


「物件を探したくて……でも、ちょっと変な希望かもしれません」


担当したのは、営業歴6年目、島田咲希。ベテランの落ち着きで、どんなお客様にも丁寧に寄り添うことを信条としている。


「どんなご希望でも、まずはお話を伺いますよ。お気軽にどうぞ」


女性は名前を**藤井栞(ふじい しおり)**と名乗った。25歳、事務職。小さく息を吸い込んで、ゆっくりと話し始める。



「同棲を前提に部屋を探していて……でも、その相手がまだ“決まってない”んです」


「……はい?」


咲希の口から思わず出た言葉に、栞は少しだけ笑った。


「“誰と住むか”じゃなくて、“その人と住みたい部屋を先に探す”っていうのも、変ですか?」


「いえ、ちょっと珍しいですが……理由をお伺いしても?」


栞は、窓の外を見ながら静かに語り出した。


「職場に、好きな人がいるんです。ずっと前から。毎朝同じエレベーターで会って、たまに話して、でもそれだけ」


「気持ちは伝えましたか?」


「伝えてないです。……きっと、これからも告白しないかもしれません。だけど、“もし彼が隣にいてくれたら”って、そんな想像だけはしてしまって」



その言葉に、咲希は胸の奥がきゅっと締めつけられるような気持ちになった。

(わかるよ、その気持ち。叶わないって、分かってる恋ほど、静かに強い)


「じゃあ、今日は“その想像の続きを、形にしてみる日”ですね」


咲希はそう言って、提案を始めた。自然光がたっぷり入る1LDK。キッチンは二人並べる広さで、リビングには小さなソファが似合いそうな間取り。


「……こういう部屋、いいですね」


「彼と並んで朝ごはんを食べて、時々ケンカして、でも最後は笑い合える。そんな生活が思い浮かびますか?」


栞は小さく頷いた。



契約のあと、栞が帰り際にそっと呟いた。


「この部屋で暮らすのは、たぶん私一人。でも……自分の“もしも”を、誰かと共有してもらえただけで、少しだけ救われました」


咲希は微笑みながら答えた。


「好きな人と住む“夢”も、あなた自身が住む“現実”も、どちらも大切な物語ですから」



数ヶ月後、美咲のもとに一通のはがきが届いた。


あの部屋、思ってたより居心地がよくて。

好きな人のことは……まだ言えてません。

でも、“自分のことはちゃんと好きでいたい”って、最近は思えるようになりました。


ありがとうございました。

― 藤井栞



部屋の借り方は人それぞれ、時にはその人の未来も左右する不動産という仕事に携わっていることに誇りを持っていこうと改めて思った咲希である。



さて次回、第10話は、どんなお客様とのエピソードがあるのでしょうか?更新まで楽しみにしていてください。


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