第5話 “条件は特にない”と言う青年

第5話 “条件は特にない”と言う青年



午前10時。なごみ不動産のカウンターに現れたのは、長身で髪はボサボサ、チェック柄のシャツにスニーカーという、少し浮世離れした雰囲気の青年だった。


「予約はしてないんですけど……部屋を探してて」


接客に出たのは、入社3年目の佐藤遥。


「はい、大丈夫ですよ!ご希望の条件をお伺いしても?」


青年は、何の迷いもなく言った。


「特に、ないです」


「……え?」



「広さとか場所とか、家賃の上限とか……何かひとつでも?」


「んー、あえて言えば、風通しが悪くなければ……あとはなんでもいいです」


遥は内心(なんでもよくないだろ……)と思いつつ、笑顔を崩さず聞き出そうとする。


「ご職業は?」


「今は“いったん休憩中”です」


「なるほど(いやそれ職業じゃない……)」


「家具家電付きとかは?」


「どっちでも」


「バスとトイレは別がいいとか?」


「まぁ、一緒でも別でも」


(冷やかし?)


一瞬思ったが


(この人、何も決めてないんじゃなくて、“何かを決めたくない”んだ)


遥は悟った。



営業ブースの奥で様子を見ていた島田咲希は、遥の困り顔を察して席を立った。


「遥、ちょっと私も入っていい?」


「先輩、助かります……!」


ベテランの島田が柔らかく声をかける。


「こんにちは、島田と申します。もしよければ、今のお住まいのこと、教えていただけますか?」


青年は、少しだけ口を開いた。


「実家です。ちょっと、家に居づらくなったので出ようと思って。でも、何かに縛られるのも嫌で」


「なるほど。じゃあ、“自由を感じられる場所”が、ご希望なんですね」


「……そうかもしれません」


遥はその言葉にハッとする。条件がないんじゃない、“言葉にならない条件”があるんだ。



島田と遥は、駅から少し離れた自然の多いワンルームを提案した。南向きで風通しもよく、静かで、何より「ほっとできる空間」だった。


内見を終えたあと、青年がぽつりと呟いた。


「……ここ、空気がいいですね」


「よかったです。きっと、次に動きたくなったとき、背中を押してくれる場所になると思いますよ」


島田の言葉に、青年は少し微笑んだ。



数日後、契約書類にサインした青年が、帰り際に遥へ向けて言った。


「“条件ない”って言ってたのに、ちゃんと見つけてくれて、ありがとうございました」


遥は笑って返す。


「“何が欲しいかわからない”ってことも、立派な条件ですから」


その言葉に島田が少しだけ目を細めた。


(遥、成長したな)



さて次回、第6話は、どんなお客様とのエピソードがあるのでしょうか?更新まで楽しみにしていてください。


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