たたらの灯(ひ)に咲く葉
緒 とのわ
【序章】父の火、祖父の言葉。“灯(ひ)”を求めゆく、ひとつの葉
「……ごめんなさい、お父様」
今日は、わたしの
本当なら、家の本堂で“成人の儀”を受けていたはずだった。
でも──十日前、誰にも告げずに家を出た。
もう、戻ることはできない……。
そう思ったら、ようやく実感が湧いてきた。
まだ少し肌寒い春の風が、潮の香りを連れてくる。
乾いた空気のなかで息を吸うと、かすかに鉄と
実家があった大きな島の
帆がすれる音のなか、わたしは流れる風に向かって立っている。
濃いめの朱色の羽織に、家紋はない。
長く着古した藍の袴をはいて、
手に馴染む鍛冶道具と、わずかな着替えだけが入った鞄をななめにかけて、少し歩きにくい草履が、いまの“わたし”のすべてだった。
赤い布切れの紐で、父譲りの薄茶色の長めの髪を、いまは左肩にゆるくまとめる。
──修行中は、頭の高い位置でぎゅっと結んでいたのに。
「まだ、ちょっと慣れないな……」
ふわりと揺れた髪を、左手ですいてみた。
ふと、視線をあげたら、空と海が水平線で重なっている。
……その青さを見ていると、家の鍛冶場の大きな
熱く燃える、青い色の火──“
わたしたちは、それをとても大切に受け継いできた。
誇り高く、尊く、家族も仲間も──みんなその“火”を信じて鍛冶場を築いていた。
わたしも、そうなろうとした……。
だけど、あの火は──どうしても、変だった。
熱いはずなのに、どこか冷たくて──
胸の奥に、なにも灯らないまま、ただ焼かれているような気がした。
みんながひざまずいて祈る。
その火を、わたしだけが“なにも感じなくて”──ひどくおかしい気がして、それがなにより、つらかった。
それを初めて口に出したのは、八つか九つか、そんな小さなころ。
「お父様には……
そう聞いたとき、お父様はわたしを見ないで、口元だけでわずかに笑った。
それから
「形も火入れも、祈りも、すべてが整っている。これこそが“
本堂に差し込む、日の光にかざしたその剣は、今年も帝に捧げられるという
「未熟なうちは分からなくて当然だ。修行を重ねて、いずれ分かるようになる。
ハノカ、泣き言を言うのは今日までだぞっ」
──未熟……。
だから、わたしには分からないんだ。
……わたしも、みんなと同じように感じたいっ
鍛冶師の修行の合間をぬって、何回も
「お願いします……! わたしも、素晴らしいものだと思いたいんです、
それでも、最後まで、“火”は遠いままだった。
どうしてわたしの胸には、なにも
そんな中、おじい様だけはわたしを叱らなかった。
病床のお見舞いに行ったとき、ふと静かに言った。
「ハノカ……。おまえは火に愛される子じゃない──
……
そのときのおじい様の目が、忘れられない。
普段とは違う、優しい目でわたしを見ている。
でもどこか……遠くを見ているような感じがした。
「ハノカ。“
お前の父が行っている気になっているが……。
それはここにある“ただの火”じゃ届かん」
「はい、座学で聞いた事があります。
お父様のは、本当の“
「痛みのない物を鍛えたところで、ただの“良作”だ。
わしも“本物”はまだ、見たことがない。息子にも……何も伝わらなかったがな。
けどな、“本当の気持ち”に触れて、
きっとお前なら、届くかもしれんな……」
その意味はまだ分からなかったけど、わたしならいつか分かるかもしれない。
……それがなにより、うれしかった。
それから修行を重ねて……十九を少し過ぎたころだった。
父に、修行の成果を見せなさいと言われて、初めて“
成人の儀で披露する、後継ぎとしての“はじまり”の一振り。
今まで学んできたすべてを、火と刃に込めたつもりだった。
出来あがった
それを見ていた鍛冶仲間も、「跡取りにふさわしい!」って、喜んでくれたし、お父様からも、久しぶりに「完璧な打ち込みだ」と褒めてくれた。
でも、わたしだけが……上手に笑えなかった。
本堂から出ると、夜の庭園に煙草の匂いが漂っていた。
「おい、
これが、今の
引くめの声が聞こえた方を見れば、師匠が地べたに座り込んでいた。
前髪が多いボサボサの黒髪を揺らしながら、気だるげな目で煙を吐いていた。
「そんな顔してたら、また当主様に『泣くな』って怒られっぞ〜?」
「師匠……。わたし、嬉しくないんです……っ」
師匠は空を見上げながら、煙をため息と一緒に吹いた。
「……あぁ、知ってるよ。お前は先代と同じものを探してたもんなぁ。
ま、それが何かは俺には分からねぇが……なーんにも変わらねぇんじゃねぇのか?
──ただ、流されているだけじゃあよ」
小さなころから一緒だった師匠の目には、わたしの気持ちは、とっくに見透かされていたのかもしれない。
いつか、わたしがこの
そして自分が鍛えた
ひとり、部屋で懐刀を握ぎりしめたまま、涙が止まらない夜を過ごして──
そのとき、ずっと目をそらしていたことに、ようやく気づいた……。
きっと、ずっと前から……わたしは“
たった一度でいい。本物の“
それがどんな形であれ──自分の“
そんな想いに気づいてしまったから、わたしはもう……ここには居られないことにも気づいた。
迷わずに、名も、家も、そっと置いてきた。
おじい様の言葉が、今でもわたしの心を支えてる。
“
──現在・帆船上。
ギィ……と、帆がきしむ音がして、わたしは顔を上げた。
赤い屋根が見える。いくつもの大きな船が、静かに並んでいた。
“
振り返っても、故郷の
いつか、見つけたい。
おじい様が教えてくれた、
わたしは、心を込めた“鍛冶師”として生きたいから。
そして──わたしの世界は少しずつ変わりはじめた。
本当の“
けれど……“
────
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
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