サイバーパンクは鳴り止まない/#3 アンドロイドの花嫁
葛飾ゴラス
1 探偵
【アンドロイドの楽園】
……所有者からの虐待や暴力により傷ついたアンドロイドらが、人間の支配からのがれ、けっして人の目のとどかない場所にアンドロイドだけの共同体をつくっている、という都市伝説。近年、アンドロイド失踪事件が多くなったことが都市伝説の発端になったとおもわれる。
この都市伝説にはさまざな尾ひれがつく。一例をあげれば、「アンドロイド共同体の規模が巨大になるにつれ過激な思想が
(『オカルト百科事典』から引用)
まだ夜明け前──東京旧市街・神田神保町の雑居ビルのなかにある探偵事務所のソファーに男が一人寝ていた。彼の名は、〈
第三次および第四次世界大戦を経て、『国家』というシステムは地球から消滅し、かわって、市場原理が地球をまわしていた。国家が供給していた公的サービスはいまや民間企業の営利活動のひとつとなり、個人の権利や経済は〈政治〉ではなく〈私法と契約〉によって管理されていた。
かつて〈警察〉という行政機関が担っていた治安維持の責務は民間警備会社などがうけもつようになっていたが、犯罪捜査や容疑者逮捕といったたぐいは探偵の職分とされていた。
事務所のはいっているこの雑居ビルにしても一世紀以上前の〈昭和〉という時代に建てられ、補強に補強をかさねてようやく建っているような化石級の格安物件だが、その家賃でさえときどき滞ることがあった。
こじんまりとした室内にはデスク、キャビネット、応接セットなどといった最小限の家具がおかれており、以前なら雑多にものが散らかった小汚い印象の室内だったのが、いまでは掃除もゆきとどき整理整頓された部屋となっているのは、彼のあたらしい相棒のおかげだ。
ゴンゴンゴンゴン──
どこからともなく、等間隔にきざまれる機械的な低音がきこえてきた。
ゴンゴンゴンゴン──
低音は徐々におおきくなり、しまいには、応接用テーブルのうえに散乱したビールの空き缶が振動で床におちるほどになった。
酔いつぶれていた本多もさすがに飛び起きたが、機械的な振動が二日酔いの頭に響いた。
これは
事務所の窓の外にとつぜんあらわれた強烈な光に目が眩んだ。おそらく
本多は憤りながら窓にむかって叫んだ。
「こんな密集地のド真ん中に着陸するやつがあるか!」
もちろん本多の叫びは
(こんなことするのは
本多はうんざりした。
本多探偵事務所がはいっている雑居ビルの、通りをはさんだ向かい側にある古いワンルームマンションの一室──
本多のあたらしい相棒〈
彼女の体は、アンドロイドのものだった。
真城シュリは、とある殺人事件の被害者であり、肉体的にはそのときに死亡している。しかし彼女の情報思念体(霊魂みたいなもの)が彼女の所有していたアンドロイドに憑依し、本多とともに事件を解決したあとも、アンドロイドに憑依したままの状態で現在にいたっていた。
事件後、行き場をうしなった彼女を〝助手として雇用する〟という名目で本多がひきとることになったのだが、年若い女の子を小汚い事務所に住まわすわけにもいかず(本多は事務所に寝泊まりしていた)、この部屋を借りたのだった。
部屋のなかに椅子型の充電装置だけがおかれており、それ以外の家具も家電もなく、室内はがらんとしていた。
シュリは立ち上がると物音のする方向へ歩をすすめた。カーテンとガラス戸を開けベランダに出ると、目の前のせまい通りに
車に見おぼえがある。
「あれは
神保町の裏通りに着陸した
花袋はその巨躯を支えるためにふだんは電動車椅子をつかっていた。花袋の車椅子には節足動物のような脚が四本が生えていて、その先端にある車輪が個別にうごくことで三百六十度回転や真横移動も可能で、さらに四本の脚をつかって階段昇降も自在であり、高い機動性をもっていた(それらはおもに軍事用多脚タンクから技術転用されたものだった)。
この車椅子を花袋は電脳から無線で直接操縦しており、道路のひび割れや陥没、段差なども難なくのりこえて、『本多探偵事務所』のあるビルにはいった。
花袋は憤った。
「っざけんな! このオンボロ糞ビルがよ!」
化石級の建物がゆえ、『本多探偵事務所』がある二階にいくためには階段を上がるしかなく、しかしその階段の横幅がせますぎて、どうがんばっても花袋の車椅子は通れそうになかった──花袋の巨大な臀部をおさめるために車椅子自体が通常のものよりビッグサイズになっていたのだが、それについて花袋は棚に上げている。
しかたなく花袋は車椅子を降りた。二百キロを超える体を自分の脚で二階まで運ばねばならない。
「……やれやれ」
花袋は憂鬱な一歩をふみだした。
本多が二日酔いにくるしんでいると事務所のドアが開いた。
「はあはあはあはあ……」
花袋が息を切らしながら立っていた。そのままふらふらした足取りで本多のところまでたどりつくと、本多がすわっている向かいのソファーにたおれこんだ。背もたれにもたれかかると、もっていたタオルで滝のように流れ落ちてくる汗をぬぐった。
本多は本多で、ガンガンと痛む頭をかかえていた。
五分後、ようやく息がととのってきたところで花袋はしゃべりだした。
「た、大変なことになった……ミッチー……たすけてくれ」
「そのまえに今何時だとおもってる。まだ五時前だぞ。あと、こんな建物が密集してる場所に
「あ……それはごめん。焦ってたもんだから」
本多は呆れて「はあ」とおおきな溜め息をついてから言った。
「で、なにがあったんだ?」
「う、うん。じつは1号が──」
花袋ははなしはじめようとしたところに、ふたたび事務所のドアがひらく音がした。
「おはようございます」シュリだった。「花袋さんの車がみえたから……なにかあったんですか?」
「──シュリちゃん」花袋は泣きだしそうな顔をしていた。
「1号がいなくなった」花袋が悲痛な声でいった。
花袋の話によると、花袋が所有するセクサロイド五体のうち一番古参の『1号』の姿をすくなくともここ二日間はみていない、ということだった。
花袋の記憶では、
「事件に巻きこまれたのかも……どうしよう、ミッチー」
「位置情報はしらべたのか」
「もちろん。何回もしらべたさ。でもわからなかった。もしかしたら位置情報を非公開にしてるのかも」
「通話は?」
「つながらない」
「ふうん……シュリ、そういうのは可能なのか」
本多はとなりにいるシュリに訊いた。シュリは生前アンドロイド工学の博士号をもっていた。
「管理者権限でないとコア部分の変更はできないようになってます。つまり花袋さんが承認しなければ通話や位置情報の変更はできないです」
「花袋以外の人物や1号自身も変更できない、と?」
「そのとおりです」
「じゃあ、コアの部分を物理的に破壊したらどうなる?」
「う〜ん。不可能ではないです。ですが、コア部分は電脳の最深部にあるので、壊すとなると相当な労力が必要になりますね」
「頭部を徹底的に破壊しなくちゃならないのか……」
見ると、花袋の顔が真っ青になっていた。おそらく残虐でグロテスクな光景が頭にうかんでいるのだろう。
それをみてシュリがいそいで補足説明をつけ加えた。
「で、でも、そんな状況になれば緊急信号が発信されますから。それがないってことは事件性は低いとおもわれます」
「そ、そうだよね」花袋は顔面蒼白なままだ。
「でもなんで1号がいないことに二日間も気づかなかったんだ?」と本多が訊いた。
「それは……ちょっと最近気になる案件があって……そっちに意識が集中してたっていうか……考えに耽ってたというか……ふつうに気づかなかったんだ」
「は?」
花袋は言いにくそうにつづけた。
「気づかなかったんだよ。1号の存在が目にはいってなかったんだ」
言葉通りに、ただ単純に、1号の存在の有無を認識していなかったらしい。空気のような存在になっていたのだろう。だとしても──
「それは、ひどいな」
あからさまに引いている本多をみて、花袋は顔を真っ赤にした。
「そんなこと、ミッチーに言われなくてもわかってるよ! 自分でもあきれてるよ!」
「まあまあ」シュリがあいだに割って入る。「花袋さん、なにか心当たりはありませんか。1号さんと最後に会ったときの会話とか、おぼえてませんか」
シュリの言葉に花袋は落ち着きをとりもどした。
「最後の会話……1号が食事をもって僕の仕事部屋にきたんだ。そのときなにか言ってたような気がするけど……だめだ、思い出せない」
「愛想が尽きて家出でもしたんじゃないか」本多が嫌味ったらしく口を挟んだ。
「本多さん」シュリが抗議する。せっかく穏便にすませようとしているのに。
「でもアンドロイドが主人からにげることだってあるんじゃないか。有り得なくはないだろ」
「それは……じつをいうと、いまアンドロイド業界では、それがひとつの問題になってるんです」
「問題?」と本多。
シュリがつづける。
「はい。アンドロイドは、
「でも?」と花袋。
「でも、『アンドロイドが勝手にいなくなった』という顧客からの苦情が最近ふえているんです。これはマシロ・コーポレーションだけでなく、他のアンドロイドを製造している会社でもおなじような状況です」シュリは生前、世界的テクノロジー企業マシロ・コーポレーションの社長令嬢だったのだ。そのためアンドロイド業界の内情にくわしい。「どの会社も原因究明に必死になってますが、いまのところなぜアンドロイドが失踪するのかは、わかっていません。ネット上では『アンドロイドの楽園』なんて都市伝説までひろがってるみたいです」
「アンドロイドの楽園──ってなんだ?」本多が訊く。
「はい。アンドロイドの楽園というのは、虐待された可哀想なアンドロイドたちがあつまってつくった共同体のことなんだそうです。そこは人間にけっしてみつからない場所にあって希望のオアシスとしてアンドロイドたちのあいだでも噂されているとか」
話をきいていた花袋は不安そうな顔をしていた。
「花袋、だいじょうぶか」本多が声をかけた。
「1号は僕んちに一番最初にきた子なんだ。もう八年になる。いまおもえば、いろいろと任せっぱなしにしてた。面倒なことはみんな1号がやっていた。ほかの子たちもふえてきて1号をかまってあげることも減った。もしかしたら1号にさみしい思いをさせたかもしれない……。あああ! 僕はなんてひどいことを! ごめんよ、1号! どうしよう……どうしたらいいい? なあミッチー!」
花袋の狼狽した様子に本多は気圧された。
「ま、まあ落ち着け、花袋。ここで騒いでてもしかたない。とりあえずお前の家にいってみよう。なにか手がかりがあるかもしれないしな」
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