第20話「呪文の名前は『好き』」
桜が舞う、3月の終わり。
卒業式の朝、私は鏡の前に立っていた。
一年前の私が見たら、きっと驚くだろう。髪は肩まで伸びて、ゆるくウェーブがかかっている。魔法じゃない。昨夜、自分で巻いた。
頬には、淡いピンクのチーク。これも自分で選んで、自分で塗った。
「ひより、そろそろ行くよ」
お母さんの声で我に返る。
「うん、今行く」
最後にもう一度、鏡の中の自分を見つめた。
「今日も、ちょっとかわいい」
小さく呟いて、部屋を出た。
学校の門をくぐると、見慣れた景色が少し特別に見えた。
「ひよりちゃん!」
ユウナが手を振って走ってくる。彼女の髪には、手作りのリボンが揺れていた。
「今日で、アリサ先輩たちが卒業かぁ」
「寂しくなるね」
二人で昇降口に向かう途中、たくさんの後輩たちに声をかけられた。
「ひより先輩、写真撮ってください!」
「今日の部活、特別企画があるんですよね?」
みんな、ビューティ・ソーサリー部の部員たち。
一年前は部員4人だった部が、今では学校最大の部活の一つになっていた。
体育館は、卒業生と在校生でいっぱいだった。
式が始まり、卒業生が入場してくる。
アリサ先輩、ミオ先輩、そしてレイ先輩。
みんな、晴れやかな顔をしている。
卒業証書授与が終わり、送辞の時間になった。
「在校生代表、蒼月ひより」
名前を呼ばれて、壇上に上がる。
一年前なら、絶対に無理だった。でも今は——
「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます」
マイクに向かって話し始める。原稿は持っていない。心の中にある言葉を、そのまま伝えたかったから。
「一年前、私は自分が大嫌いでした。でも、先輩たちが教えてくれました。『かわいくなりたい』は恥ずかしいことじゃないって」
アリサ先輩と目が合った。彼女は涙ぐんでいる。
「ビューティ・ソーサリー部で過ごした日々は、魔法のような時間でした。でも、本当の魔法は、呪文じゃなかった」
一呼吸置いて、続ける。
「本当の魔法は、『自分を好きになりたい』って願う気持ち。そして、その気持ちを否定しない優しさでした」
ミオ先輩も泣いている。レイ先輩は、眼鏡の奥で目を潤ませながら、でもしっかりと前を向いている。
「先輩たちが卒業しても、その魔法は消えません。私たちが、次の誰かに伝えていきます」
「『世界でいちばんかわいくなる呪文』を」
降壇する時、大きな拍手が起こった。
卒業式の後、ビューティ・ソーサリー部の特別企画が始まった。
場所は、いつもの部室ではなく、中庭。
桜の木の下に、大きな鏡を設置した。
「これは『未来への手紙』企画です」
私がマイクで説明する。
「この鏡の前で、一年後の自分へメッセージを録画します。そして来年、新入生歓迎会で、みんなで見ます」
最初に鏡の前に立ったのは、アリサ先輩だった。
「一年後の私へ。今、私は自分のことが好きです。完璧じゃないけど、それでいいって思えます」
先輩は、少し照れくさそうに続けた。
「大学生になっても、この気持ちを忘れないでいてください。そして、もし忘れそうになったら、またチークを塗って。それが私たちの魔法だから」
次々と、部員たちが鏡の前に立つ。
卒業生も、在校生も、新入部員も。
みんな、未来の自分に向けて言葉を紡ぐ。
「一年後も、笑っていますように」
「もっと自分を好きになれていますように」
「新しい友達ができていますように」
そして、私の番が来た。
鏡の前に立つと、不思議な感覚に包まれた。
まるで、本当に未来の自分と向き合っているような——
「一年後の私へ」
ゆっくりと話し始める。
「今、私は15歳です。まだまだ自分が嫌いな日もあります。でも、それでも前に進んでいます」
桜の花びらが、ふわりと肩に落ちた。
「きっと一年後も、完璧じゃないと思う。でも、それでいい。だって——」
深呼吸。
「私が泣いてたあの夜も、ちゃんと魔法だった。私を好きになれた今が、世界で一番かわいい」
そして、最後に——
「ありがとう、過去の私。ありがとう、今の私。そして、ありがとう、未来の私」
録画が終わると、みんなが拍手をしてくれた。
その時、風が吹いて、桜吹雪が舞った。
まるで、ルカが——未来の私が、祝福してくれているみたいだった。
日が暮れて、片付けが終わった後。
私は一人で部室に残った。
新入生歓迎会の準備をしなければならない。4月からは、私が部長になる。
机の引き出しを整理していると、一枚のメモが出てきた。
ルカの字で、何か書いてある。
『新入生への言葉を考えておいてね。きっと、怖がっている子がいるから』
いつ書いたんだろう。でも、確かにルカの字だった。
私はノートを開いて、ペンを取った。
そして、書き始める。
『世界でいちばんかわいくなる呪文、教えてあげる』
ペンが進む。
『それはね、すごく簡単な言葉。でも、一番難しい言葉』
『朝、鏡を見て言うの。「好き」って』
『最初は嘘でもいい。信じられなくてもいい』
『でも、毎日言い続けてみて』
『いつか、本当になるから』
書き終えて、読み返す。
シンプルすぎるかな、と思ったけど、これでいい気がした。
だって、本当に大切なことって、案外シンプルなものだから。
部室を出ようとした時、窓の外に流れ星を見つけた。
願い事をする暇もなく消えてしまったけど、それでもよかった。
だって、もう願いは叶っているから。
私は、私のことが——完璧じゃないけど、時々嫌いになるけど——でも、ちょっと好き。
春の夜風が、頬を撫でていく。
明日から、新学期。
新しい子たちが入ってくる。きっと、昔の私みたいに、自分が嫌いな子もいるだろう。
その子に、私は言うんだ。
「大丈夫。一緒にかわいくなろう」
「世界でいちばんかわいくなる呪文、教えてあげる」
「それは『好き』って、自分に言ってあげること」
空を見上げると、星がきらきらと輝いていた。
その中に、ルカの笑顔が見えた気がした。
私は小さく手を振った。
ありがとう、未来の私。
そして——
がんばるね、今の私。
部室の鍵を閉めて、私は歩き出した。
新しい物語が、また始まる。
でも、魔法の呪文は、もう知っている。
その名前は——
「好き」
(第20話 完)
【完】
世界でいちばんかわいくなる呪文、教えてあげる。 ソコニ @mi33x
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