ウソだ、うそだよね

紗倉もち

第1話 ウソだ、うそだよね

私は、人を嫌いになるのが怖い。




だから、誰かに腹が立っても、文句を言わない。


いや、言えないのだ。


その代わり、私は「書く」。




通勤バッグの底にいつも潜ませている、黒い小さなノート。


可愛い花柄のカバーをした、ただのメモ帳。


けれど、私の中ではこれは「デスノート」だ。




「◯◯さん、二度と話しかけてこないで」


「△△部長、いちど自分のミスに気づけばいいのに」


「⬜︎⬜︎さん、今日だけでも風邪で休んで」




こんなふうに、誰にも聞こえない“本音”をそこにだけ吐き出してきた。


書いたからって相手にどうこうなったわけじゃないし、


単なる気休め──そう思っていた。




でも、あの日の出来事で、私の中の世界が少し変わった。




ある朝、出勤途中に、例の人──佐伯さんの顔がふと浮かんだ。


普段から何かと私にだけ当たりが強くて、空気を読まずにきつい言葉を投げてくる。


昨日も、資料を提出した瞬間に「これ、やり直して」とだけ言って立ち去った。


理由も説明もない。私は残業確定で、家にはコンビニ弁当が待っている。


その帰り道、何度も呟いた。




「……明日、会いたくないな。お腹でも痛くなって、休んでくれないかな」




声には出さなかった。でも、心の中では何度も強く念じていた。


ノートにも書いた。「佐伯さん、明日は腹痛で来ませんように」って。




翌朝。


佐伯さんは来なかった。




LINEで業務連絡を入れてきた人によると、「急な腹痛で、遅れる」とのこと。


私は背筋が凍った。




“腹痛”──まさに、私が願った通り。




偶然にしては出来すぎていた。


でもまさか。


ウソだ、ウソだよね?




だけど、午後になって出社してきた佐伯さんが口にした言葉で、私は確信することになる。




「いやもう、なんか今朝の腹痛、人生で初めてってくらい痛くてさ……信じられないぐらいだったのよ」




私は凍りついた。




書いた言葉が、現実になった。


これは……偶然なんかじゃない。


私の中にある“何か”が、動いている。

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