マイフェイバリット

桐生甘太郎

1話 ブラックオアミルク



「いっけね!」


「どうしたの」


その時悟は薫の家のリビングで寛いでいたが、彼は誰も見ていないのにはっとして思わず叫んだ。薫はキッチンに居たので少し大きな返事をする。


「紅茶のペット忘れたんだよ!」


リビングから離れないまま大声で悟はもう一度叫んだ。


「コーヒーあるからそれにしなよ、嫌いって言ってたけど」


「やーだーよー!」


子供のように悟は駄々をこねる。しかしもう時刻は2時だった。自動販売機は薫の家からは遠い。


「はいはい、レポートやるんだから、カフェインカフェイン。付き合うし、ここ俺んちだしね」


彼は片手間にコーヒーミルに豆を追加する。その時には話をしようとのそのそ立ち上がった悟が薫の隣に立っていた。彼はコーヒーミルを見詰めて嫌そうな顔をしていたが、やがて薫に目を戻す。


「まあ…しょうがないか…って!お前映画観てるだけじゃん!気が散るんだよ!」


悟は薫を指差して甲高い声を出したが、薫はずるそうに笑った。


「じゃあカフェオレにしてやるよ。あ、ねえちょっとホラー観ていい?」


ガリガリガリとコーヒーミルが回りその場が大きな音に包まれたので、悟は尚も大声を出さなければいけなかった。


「やーだーよ!それもやーだーよ!お前俺がダメなやつ全部やるよな昔っから!」


やがてピタリと音が止んでから、薫はミルの下にあった粉受けを取り出してドリップ用のペーパーに中身をあける。


「ごめーん。じゃあホラーはやめとくね。砂糖いれる?」


悟は一瞬黙ったが、あくまで立場を譲りたくなさそうに眉間に皺を寄せた。


「…入れ、る…」



カリカリ。カリカリ。カリ……手が止まる度に悟は向かい合ったローテーブルからマグカップを取り上げたが、その度しかめつらをした。


悟の後ろで映画のストーリーが移り変わる。でも悟はたまに聴き取れる英語があっただけだった。字幕が見られないし自分は勉強中なのだ。しかし悟が一人では勉強が捗らないことを薫は知っている。


「あはは!ありえな!」


不意に後ろでテレビに向かって大笑いした薫の後頭部を無言で叩くと、また悟はレポート作成に戻った。極まり悪げな声が小さく聴こえてくる。


「ごめんなさ〜い…」




「できた〜…」


それはもう4時で、映画は終わっていた。


「よし!俺見てやるよ!」


「やだよ!お前この教授の似たやつ取ってんじゃん!」


「あ?バレた?シラバス見たからさあ参考にさせていただいちゃおっかなーなーんて…」


「シッシッ!」


薫を大袈裟に片手で追い払い悟はテーブルに突っ伏した。やっと出来上がったレポートなのに彼はもう目もくれなかった。悟はふとあるものに気が付く。


マグカップに残っていたのは四口ほどのカフェオレ。悟は大きくため息を吐いてから大義そうに起き上がり、肩を縮めてカフェオレを飲み始めた。


「それ、どう?」


悟は薫とマグカップを見比べていた。それから薫に向けて顔をしかめて見せる。薫は小さく微笑んだ。


「たまにはいいけど、ミルクは入れてね」





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