第30話:雪が解けたら(お題30日目:花束)
ヨギュラクシア城の南の見張り台には、今、ゼファーとヒオウ以外の誰もいない。防人が数人、各方位へ哨戒に飛び立っているので、防人の地である南方砂漠への道しか無い南側は、見張りを厚くする必要は無いだろうとの、ウィルソンの判断であった。
「加えて、防人はプライドの高い者が多い。自分達の地は自分達で守る、という意地があるだろう」
との見解を乗せて。傍で聞いていたエリアが眉を垂れて苦笑していたが、否定はしなかったので、まあまあ事実なのだろう。
空には月が浮かび、星々が川を作って瞬いている。竜族の聖域の夜空も美しいが、外の世界にもこんな綺麗な光景があるとは、思いもしなかった。
ゼファーとヒオウは人一人の半分くらいの間を空けて座っている。見張り台の下には人の気配が二人。「ニーザとマイケルは、子供の頃からの私の護衛兼目付役なんだ。空気と思ってくれていい」とヒオウは言ったが、なまじ感覚の鋭いゼファーには、彼らの呼吸もよく聴こえて、なかなか落ち着かない。
それ以上に、ヒオウと何から話したらいいかわからなくて、気まずい沈黙が落ち、耐えきれなくなって膝を抱えた時。
「カイトのことは、モリエールから聞いた」
突然ヒオウが口を開いて挙げた名前に、ゼファーはびくりと肩を震わせてしまった。分隊のひとつの一人の名前を、この人は把握しているのか。驚いて横を向くと、ヒオウは何とも言えない哀しみを紫の瞳に宿して、こちらを見つめていた。
「私の母は、ヴィフレストの侵略戦争に敗戦した、ラナイ皇国の皇女だった。隷属の証に、先代国王……我が父に嫁いだ」
その辺りはマギーが言っていたのを覚えている。母親がラナイの出身でなければ、先代国王はヒオウに王位を譲っていただろうと。
「カイトの母親は、ラナイ側の私の祖父の娘だ。だが、庶子のため皇女として認められず、母に侍女として仕え、母の輿入れの際にも、一人ヴィフレストについてきた」
「ええと、つまり」ゼファーは耳に手を当て、メディリアからかつて講義を受けた、人間の血縁関係というものを思い出す。「母親同士が、母親の違う、姉妹?」
ヒオウは頷き、言葉を続ける。
「ヴィフレストでの母達の扱いは酷いものだった。正妃の嫌がらせは勿論、家臣達も使用人も、あからさまに母と叔母を見下していた。その中の一人の男が叔母に手を出し生まれたのが、カイトだ」
姉妹の子供同士は従兄弟になる。カイトに会った時に、ヒオウ――コウとの過去が過ったのは、彼に流れる血脈に、ゼファーの記憶が刺激されたのかもしれない。
「カイトは私の部下としての態度を崩さなかった。従兄弟なのだから気軽に接してくれ、と頼んでも、叔母同様私と母を敬って、臣下としての礼を崩さなかった」
それでも、周囲の悪意は弱者に降り注ぐ。ヒオウの母は重なる心労から病がちになり、一時期、母方の故郷であるイスミの里へ療養に退いた。
「それが、竜族の聖域の近くにあったの?」
「ああ」
首肯と共に、ヒオウの話は続く。
「母は、ヴィフレストに私一人を残しては、正妃の手の者に暗殺されかねないと思ったのだろう。私も里に連れて来て、言ったのだ」
『あなたは、ここでは王子ヒオウ・ダガート・トス・ヴィフレストでなくて良いのです。イスミ家の子、コウとして、自由に振る舞いなさい』
「だから、ぼくと出会った時に、イスミ・コウを名乗ったんだ」
「君とは、ヴィフレスト王子としてではなく、一人の人間として、友になりたかったからな」
友。
その言葉が、ゼファーの胸を打つ。
「そうか、そうなんだ」
友は既にいたのだ。コウという、大切な友が。その従弟であるカイトと出会ったのも、運命の導きだったのかもしれない。
だが。
「……ごめん」
こぼれ落ちた声は震えていた。
「あなたの大事な従弟を死なせてしまった。友達になれなかった」
それには、ヒオウはゆるゆると首を横に振った。
「父を殺して王位を簒奪した兄には、私の言葉は届かなかった。命を奪われるところを、私に従う騎士達が、必死に守ってくれた。カイトは、自分が非力であることを自覚しながら、いつでもその先頭にいた」
命からがらヨギュラクシアにたどり着き、ヴァーリに反抗を企てる者達が集ってレジスタンスを成し、第十七分隊の軍師モリエールが、竜族の助けを借りるべきだと提案した時も、聖域へ向かう危険な役目を、カイトは率先して引き受けたという。
『必ず、竜族の協力を得て戻ります。それが僕があなたの為にできる、精一杯です』
ゼファーは最早、金の目を瞠って、かたかたと身を震わせるしかできなかった。正直なところ、カイトは一人で竜族の聖域に来るには、弱すぎると思っていた。実際、ゼファー達が介入しなければ、ヴィフレスト兵達に刈られていただろう。
だが、それも承知で、カイトは危険な役目を引き受けたのだ。敬愛する従兄の為に、いつ死ぬともしれない旅路に、身を投げ出し、ゼファーがヒオウの力になると信じて、命を
つうっと、頬を滑り落ちるものがある。涙だと気づいてしまえば、嗚咽は止まらなかった。カイトを
すると、ヒオウの大きな手が伸びてきて、ゼファーの肩を抱き、その胸に引き寄せた。
「カイトの為に泣いてくれて、ありがとう。彼と友になろうとしてくれて、ありがとう」
心地よい声が胸に沁みる。更なる熱涙が訪れて、しゃくりあげる。
「全てが終わったら、ラナイに一緒に来てくれないか。身体は無いが、カイトの墓を作ろう。雪が解けて春になったら、花束を供えよう」
とくん、とくん、と、穏やかなヒオウの心臓の音が、昂った気持ちを鎮めていってくれる。まだ涙は止まらないが、ゼファーはしっかりと頷く。
「……そういえば、もらった風鈴は壊れてしまったんだ」
「また贈る。いくつでも」
周囲の雑音は、今は聴覚に届かない。ふたりの心音と呼吸だけが、ゼファーの耳に聴こえていた。
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