第27話:テイル・オブ・ユミール(お題27日目:しっぽ)

 嗚呼 嗚呼 嗚呼

 『わたし』はどこだ

 『わたし』はここだ

 ここにあり ここでなし


ユミールの腕アーム・オブ・ユミール』と戦った時をなぞるように、不可解な歌が脳内に鳴り響く。それをかき消す勢いで、エキドナだった『鬼』、『ユミールの尾テイル・オブ・ユミール』は角の生えた顔から咆哮し、エキドナの顔は耳をつんざくような甲高い悲鳴をあげた。

『ガルフォード、ガルフォード、ガルフォードォ!!』

 人間だった頃の執着を残しているのか、ウィルソンを探して『ユミールの尾』は滅茶苦茶に腕を振り回す。逃げ遅れたヴィフレスト兵が殴られ、ごきゃりと嫌な音を立てて鎧ごと変な方向に身体が曲がり、物のように宙を飛んで地面に叩きつけられた。

「ウィルは後方に退避して。エキドナの執念が貴方を狙っている」

『お前の軍師が離れてどうする』と反論される可能性も念頭に置きながら、ゼファーは『ユミールの尾』から視線を逸らさないまま声をかける。

「わかった」

 だが、意外にもウィルソンは素直にこちらの提案を受け入れた。

「武力の無い俺が近くにいては足手まといにしかならないことは、百も承知だ。戦闘力が及ばない者も共に退かせよう。お前達が心置き無く戦えるように」

 やはり彼は一流の軍師だ。数で押せる相手ではないことをよくわかっている。

「助かるよ」

 振り返らずに、少しだけ唇の端を持ち上げる。段々と彼のことがわかってきたことが嬉しい。それだけに、理解する前にカイトと別れてしまったことが悔しい。その別れをもたらした元凶を討つ千載一遇の機会に、ゼファーの金色の瞳が鋭く光った。

 ウィルソンと共に第十七分隊の大半が後退してゆくのを、聴覚で感じ取る。右隣に槍斧ハルバードを構えたカラジュが、左隣に短剣を逆手に持ったマギーが並んだ。

「おっ前!?」カラジュが心底驚いてマギーに怒鳴りつける。「バッカ野郎! 非力な人間の敵う相手じゃねえ!」

「今更それ言う?」マギーは不敵ににやりと笑った。「アタシを誰だと思ってる? 元ヴィフレストのスパイ様だぜ。戦闘訓練は血反吐を吐くほど叩き込まれた」

「そんな」「二人共お喋りはそこまで!」

 放っておけば延々と言い争いを続けそうだった二人に、ゼファーはぴしゃりと注意を叩きつけて、地面を蹴る。カラジュとマギーも左右に散開して避ける。三人がいた場所を、棘の生えた『ユミールの尾』の尻尾が薙いでいった。

 ゼファーは身軽に大きく跳躍して、敵の背後を取る。『ユミール』の欠片はどこを叩けばとどめを刺せるか。確かではないが、エキドナの頭が残っていることから、少なくとも『尾』は心臓を突いただけでは倒せない気がした。

 エキドナの顔に肉薄して、短剣を振り上げる。だが、それより速く、エキドナの口が開かれ、真っ白な口内に黒い光が満ちた。本能的に危機を察知して即座に身を引く。直後、黒い光は柱のようにまっすぐ吐き出されて、日暮れ時の空に消えた。

「あれに当たったら御陀仏、ってカンジがビンビンするね!?」

「ヘマかますんじゃねえぞ!」

「どっちが!」

 マギーとカラジュが憎まれ口を叩き合い、振り回された腕をかわす。通常の攻撃に加えて、エキドナだったものが吐く光線にも気をつけなくてはならない。ヴァーリとは別種の緊張感に、ゼファーの短剣を握る手が汗で滑った。


 『わたし』『わたし』『わたし』

 『わたし』を探せ

 『わたし』と出会うために


 高らかに歌いながら『尾』の攻撃は間断無く続く。だが、後衛を守れる第十七分隊の弓術士が背後から援護してくれる。放たれた矢を鬱陶しそうに振り払う『尾』に近づいて、刃を振り抜く。意外と柔らかい皮膚に短剣が沈み込み、左の手首から先を斬り落とした。

「いける!」

 カラジュが快哉を叫び、槍斧を振り下ろして右腕の肘を叩き割り、マギーが人間にしてはかなりの跳躍力で『尾』の頭上を取り、頸動脈を過たず切り裂いた。

 しかし。


『ガルフォードォァァァァァッ!!』


 エキドナの憎悪の絶叫と共に、傷口がぼこぼこと泡立って、何事も無かったかのように塞がってゆく。切り落とした手首も瞬時に再生した。

「げ!」「不死身かよ!?」

 マギーが気持ち悪そうに顔をしかめ、カラジュが驚きに目を瞠る間に、エキドナの口が縦横無尽に黒い光線を吐く。ゼファー達は必死にそれを避けたが、後背の弓術士達にかわしきれなかった者がいた。光線は彼の頭半分を一瞬で消し飛ばし、そこだけ空間ごと削り取られたように血も流さないまま、哀れな戦士はその場に崩れ落ちて動かなくなった。

「下がって! 君達の手に負える相手じゃあない!」

「だ、だけど、わたしだって!」

 ゼファーの警告に、弓術士は狼狽える。そこにエキドナの黒光線が再び放たれた。光線は彼女の腹に大穴を開け、犠牲者は狼狽えた表情のまま白目をむいて、仰向けに倒れていった。

 カラジュとマギーが足を止める事無く動き回り、『尾』本体の攻撃が自分達以外に飛ばないようにしているが、エキドナの黒光線がどこへ向くかわからない。更には、斬りつけても傷は再生してしまう。これではこちらが疲弊して倒れる方が先の、ジリ貧だ。

 やはり、多少の危険を冒してでも、ウィルソンに側づいててもらうべきだったか。即座に策を授けてもらえないのが、こんなにももどかしいとは。少なくとも、『尾』の再生を止める方法さえわかれば。

 戦闘中なのに耳を触って思考に沈んでしまったことが、隙を与えてしまった。振り回された棘だらけの尻尾がゼファーの眼前に迫り、激しい衝撃と共に、身体が宙を舞って、地面に叩きつけられていた。殴打で骨が二、三本折れたのがわかる。棘にも『腕』のように毒が仕込まれていたのか、傷口から痺れがじんわりと染みてゆくのが、他人事のようだった。

「ゼファー!」

 カラジュの焦り切った声が遠く聞こえる。おかしい。聴力には自信があるのに。何だか呼吸も苦しい。上手く毒を中和できていないのがわかる。

 『尾』が、とどめを刺そうとばかりに、ゆっくりと近づいてくる。

「てめえ! こっち見やがれ、この野郎!」

 マギーが必死に我鳴りながら『尾』の背中に斬りつけているが、再生力凄まじい『尾』には痛痒にも感じていないらしい。エキドナの口が光線を吐く寸前、カラジュが彼女をひっさらうように抱いて地面を蹴り避けたのが、ぼやけて見える。

 負けるのか、竜兵ドラグーンである自分が。世界のことも、自分のことも知らないまま。カイトの仇も取れないまま。かつて出会った少年にも再会できないまま。

 ひゅうひゅうと細い呼吸しかできないゼファーの前に、『ユミールの尾』が仁王立ちになる。その背でエキドナの顔が嘲るように笑ったのは幻か。

 黒い腕が、ゼファーを叩き潰さんと振り下ろされる寸前。


『ギャアアアアア!?』


『尾』ではなく、尻尾の先のエキドナが、汚い悲鳴をあげた。いつまで経っても腕が自分を肉片にしないことを訝しみ、必死に視界の焦点を合わせる。

 白馬に乗る、赤いマントを羽織った人間が、自分と『尾』の間に割り込んで、ほとんど薙刀に近い形状の槍を振り抜いていた。『尾』の腕は地面に落ち、斬り落とされた『尾』の傷口からはどくどくと白い血が噴き出している。

「安心しろ、君を死なせはしない」

 人間の顔は夕陽の逆光で見えない。だが、緋色の髪の輪郭が陽に照らし出されて、彼がこちらを向いているのは認識できる。

「君は私が守る、ゼファー」

 少し低めの心地良い声を、ゼファーは知らない。このような人間の知り合いなどいない。

 だが、心の奥底で、『自分は彼を知っている』と、力一杯に主張する自分がいることに、ゼファーは戸惑いを隠せなかった。

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