第25話:反逆者の末路(お題25日目:じりじり)

「ええい、エキドナはまだ『鬼』を動かさんのか!?」

 ヨギュラクシア盆地を見下ろす場所で、ヴィフレスト軍と反対の位置に陣取る防人達を率いる中年の男は、苛々と爪を噛んだ。彼こそが、防人の反逆者にして今は正義を名乗る、マルクスである。

「軍師殿は、ヒオウ王子を確実に片付けてから総攻撃をかけるべきだと……」

「そんなぐずぐずしていられるか!」

 マルクスは手にした錫杖で、傍らに控える参謀の頭を殴る。参謀はよろめき、血の流れる額に手を当て、マルクスを睨み据えた。

「なんだあ? その反抗的な目は?」

 マルクスは唇を歪ませ、蔑みに満ちた半眼で参謀を見下ろす。

「お前は妻と娘がいたな。奴らの翼を切り落とし、男共にくれてやっても良いのだぞ?」

 卑劣極まり無い宣告に、参謀は悔しげに唇を噛みながらうつむく。丸め込んでやったという優越感と支配感に浸りながら、マルクスは周囲の防人達を見渡した。

「お前達もわかっておろうな? 南方砂漠にいる家族を守りたければ、エリアを生かして捕らえ、儂のもとに連れてくるのだぞ、必ずな」

 先代盟主の娘はまだ十八の若い小娘だ。だが、その美しさは防人の女性達の中でも群を抜いている。マルクスは四十だが、年の離れた女を妻にするのは、人間より長命な防人ではよくある話だ。人気のあった先代の娘を手元に置けば、最早誰も自分を反逆者などと呼びはしまい。正しさはこちらにあるのだ。

 見目麗しき娘を手籠めにする妄想を巡らせ、だらしなく口元を緩めた時。

「マルクス、様!!」

 ヴィフレスト側に偵察に出していた防人のひとりが、慌て切った様子で翼をはためかせて飛んできた。

「な、何事だ!?」

 咄嗟に表情を繕い、威厳を保って胸を張ると、斥候は体裁を繕うのももどかしいとばかりに、両手を振って声を高めた。

「『鬼』が! ヴィフレストの第三大隊が、崩れています!」

「何だと!?」

 身体的にも精神的にも、マルクスはよろめいた。ヴィフレストの軍師エキドナは、

『第三大隊だけでも、反乱軍を皆殺しにしてやれるんですのよ』

 と、あんなに自信満々で扇をあおいでいたではないか。

「て、敵は」なんとか踏みとどまり、斥候に訊ねる。「どれだけの反乱軍が『鬼』と戦っているのだ」

「それが……」

 反乱軍の援軍か。『鬼』を相手取るとはどれほどの規模と強者なのか。

「三人です」

 続けられた報告に、マルクスの中の優越感ががらがらと音を立てて崩れていった。

「さ、ささささ……!?」

「防人らしき者もひとりおりますが、三人とも、尖った耳と牙を持っています。恐らく、竜兵ドラグーンではないかと」

 防人の視力は、二キロメートル先の光景もくっきりと見える。マルクスは掌に汗をかきながら盆地の対岸を見やり、そして絶句した。

 金髪の防人が翼を広げて、火炎魔法で『鬼』を焼き払っている。炎から逃れた『鬼』を、赤髪の大柄な竜兵が薙ぎ払い、小柄な銀髪の竜兵が素早く翻弄して、次々と刈り取っている。

 と、マルクスの視線に気付いたのか、防人の竜兵がふとこちらを向いた。背中を滝のように汗が流れていった瞬間、竜兵はにっこりとこちらに向けて笑いかけ、左手を突き出した。

 直後、どおんと爆音を立てて、マルクスの足元の地面が爆ぜた。あの距離からマルクスだけを狙った魔法の精密さに、最早恐怖で頭の中がぐるぐる回って、裏切り者はその場にへたり込んでしまった。さらに。

「反逆者にはお似合いの無様さね」

 戸惑う防人達の間を悠々と通って、緑の髪の少女が進み出てきた。その手には、短弓が握られており、耳は尖っている。

「竜兵!?」「四人目!?」

「メディリア様の命で南方戦線を見ていたけれど、お前は指導者の器じゃないわよ」

 周囲の動揺には受け合わず、竜兵の少女はさらりと肩までの髪をかき上げる。

「お前に付き従う者達は、人質に取った、ここにいる連中の家族を、面白半分に殺していた。人質っていうのは、生きているからこそ価値がある、って、先人も言っていたのを知らないの?」

 たちまち防人達がどよめいて、ぎんとマルクスを責める視線を向ける。

「そ、それが何だというのだ! 部下達が勝手にやったことではないか! 儂には関係無い!」

 その言葉を待っていたかのように、竜兵は周囲の防人達を見渡し、一層声を張り上げた。

「聞いた? こいつは自分の言動に責任を持たないのよ。そんな奴に唯々諾々と流される必要がある?」

 さざめきは一層強くなる。それを見ていた少女は、決定打を与えんとばかりに、懐から銀の指輪を取り出して、「ナードというひとはいる?」と呼びかけた。ひとりの防人が、戸惑い顔で進み出る。

「ナードはおれだ。その指輪は、おれが恋人に贈ったものだ。なんであんたが?」

 ナードの問いかけに、竜兵は一瞬、いたましげな表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻ると、相手の手に指輪を託した。

「マルクスの部下に斬られた、瀕死の女性から託されたわ。『あなたはもう何にも縛られないで、心のままに戦って』って」

 ナードは目を見開き、がくがくと震えながら指輪を見つめる。

「ああ、ララ! ララ! おれが弱かったから!」

 たちまち地面に膝をつき、泣き崩れる青年を一瞥し、竜兵はマルクスを指差して防人達に呼びかける。

「わかったわよね? こいつは約束を守らない。自分のことしか頭に無い。そんな奴に、付き従う必要がある?」

 その言葉は、防人達の心を打った。

「そう……だよな」

「もう縛るものが無いなら、こんな奴」

「私達が従うべきは、エリア様だ」

 誰もが口々に決意を述べながら、あるいは剣を抜き、あるいは魔法を手に発動させて、じりじりとマルクスに迫る。

「え、ま、待て。待て待て待て!」

 マルクスは急展開に慌てふためき、口の端から泡を吹きながら、へたり込んだまま後ずさる。

「話し合おう、なっ? 話せばわかるだろう!?」

 だがその言葉は、防人達の怒りの火に油を注いだだけだった。

「話し合わなかったのは、お前が先だろう」

「よくも、私の大事な家族を」

「エリア様を悲しませて。許せない」

 追い詰められたマルクスの座っている地面に、じんわりと染みが広がった。恐怖が過ぎて失禁してしまったのだ。

 小物すぎた反逆者の末路をこれ以上見届けるまでも無い。竜兵の少女はきょうだいに念話を送った。

『アバロン。アバロン、聞こえる?』


 赤い太陽が地平線の向こうへ消えゆこうとする中、ゼファー達の戦いは続いていた。アバロンが撃ち漏らした『鬼』を、カラジュが右から薙ぎ、ゼファーは身軽に跳ねて翻弄して、確実に決定打を打ち込む。『鬼』に喰われるのを恐れてか、ヴィフレスト正規兵は周囲にはいない。よって、敵は『鬼』だけを気にしていれば良かった。

『ゼファー、カラジュ』

 そこに、しばらく攻撃の手が止んでいたアバロンから念話が入る。

『クリミアがやってくれました。マルクスは自滅し、防人の増援を気にする必要は無くなったようです』

「あいつ、やっと来たのかよ!」

 姉の到着に、カラジュが顔をしかめるが、声色は頼もしい援軍を得て嬉しそうだ。より力の加わった一撃が『鬼』に叩き込まれ、白い粒子となって消えてゆく。ゼファーも安堵の息を吐くと、横から迫っていた『鬼』を斬り伏せた。

「ゼファー!」

 第十七分隊がいる丘の上を見やったアバロンが、肉声で呼びかける。

「ウィルソン殿の合図です。旗を!」

「わかった!」

 ゼファーは頷き返し、背に負っていた旗を取り出す。グラディウスを模した衣装はヴィフレストの正規の旗と同じだが、布地が違う。正規軍は赤だったが、こちらは純白に輝いている。まるで、正義は我らにありと叫ぶかのように。

(ヒオウ王子)

 ヨギュラクシア城に向けて、ゼファーは大きく旗を振る。

(どうか、気付いて)

 ハルトゥーンが無事にヒオウに伝言を届けてくれていることを願って、夕暮れ時の風に旗をなびかせる。

 しばらくの後。

 鬨の声が響いたかと思うと、ヨギュラクシア城のはね橋が降り、レジスタンスの戦士達が各々の武器を手に、飛び出してくる。

 その先陣を切るのは、背の高い、緋色の髪の青年であった。

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