第22話:蘇る思い出(お題22日目:さみしい)
まだ、幼い頃だった。
まだ、思慮が足りなかったのだ。ひらひら飛ぶアゲハ蝶を追いかけて、『霧』の濃いほうへふらふら近づいてしまったのだ。
『霧』が蝶を包み込み、蝶がみるみるうちに白く巨大化した。触覚は角になり、からだの真ん中にばかでかい口が開いて、牙が覗いた。
ひくっと喉を鳴らして後ずさる。そこに運悪く岩があって、足を引っかけ尻餅をついてしまった。
竜兵として短剣は持たされている。だが、実戦など経験の無い竜族のこども。がちがち歯を鳴らして、ゆったり羽ばたきながら近づいてくる、蝶の『鬼』から目を逸らせずにいると。
『そこから動くな!』
背後から叱咤と共に駆ける足音が近づいて、脇をすり抜け、槍を振るう。正確無比な一撃は『鬼』の急所を的確に貫き、『鬼』は白い粒子と化して、空気に溶けた。
ふう、と息をつきながら袖で額の汗をぬぐい、救い主が振り返る。その姿に、吸い込まれそうなほどに見惚れた。
緋色の髪を持つ、背の高い少年だった。整った顔立ちをして、紫の瞳は優しげだが、確たる意志が宿っている。
『こどもがこんなところでひとりで遊ぶなんて、危険極まりない』
『人間が、竜族の聖域に近づくのも、よくないんじゃないの?』
竜族はフィムブルヴェートの守り手だから、必要以上にひとと関わってはいけない。だから、聖域にひとを近づけてはいけない。それは
『それを言われると返す言葉が無いな』
人間の少年は瞳を細めて、眉を垂れた。
『竜族の聖域に近いおかげか、母上の病に効く薬草が採れるんだ。見逃してもらえるとありがたい』
『おかあさん、病気なの?』
実の親のことは知らない。竜王が母だ。だが、あのひとが病に倒れたら、自分だけではなく、きょうだいたちも皆悲しんで、心配するだろう。すぐ上の兄のカラジュは意外とさみしがりやだから、『いなくならないでください』ってめそめそ泣く姿が、容易に想像できる。
『君は竜族なのか』
少年がこちらの耳を見て、目を真ん丸くした。尖った耳と牙を認識したのだろう。
『こんなに幼い竜兵もいるのか』
『どうせ弱いよ』
きっと、竜兵がこんな弱いこどもだから、馬鹿にされる。半べそをかきながら耳に手をやると、少年は槍を背中に仕舞い、右手を差し出した。
『君はきっと強くなる。弱さを認められる者は、成長できる。僕の祖父が教えてくれたことだ』
はっと顔を上げると、少年はやわらかく微笑む。なんだか、胸のあたりがむずむずした。
『メディリアさまには、言わずにいてあげる』
『竜王様のお名前は、メディリア様というのか。ありがたいよ』
少年の手を握り締める。ぐいっと強い力で引かれて、腰が抜けていたからだが力を取り戻し、立ち上がる。
『また、来てもいいかな? 君と僕の秘密』
その言葉にうなずき返すと、少年は嬉しそうな笑顔を弾けさせた。
『里には友だちがいないからさみしくて、友だちが欲しかったんだ。僕は……イスミ・コウ。君は?』
名乗った少年に、名乗り返そうとして。
「ゼファー?」
ウィルソンの呼ぶ声で、ゼファーははっと現実に回帰した。焚き火の炎を見つめていたら、過去の記憶に沈み込んでいたようだ。
「ウィル殿の説明の間に寝落ちとは、あなたも随分図太くなったようですね」
モリエールが配るスープの入った器を受け取りながら、アバロンがお得意の毒舌を放つ。
「まったく。俺に導けと言いながら、肝心の話を聞かないとは」
「ごめん……」
それ以上返す言葉も無い。ゼファーは身を縮こめながら、スープを受け取った。
ハルドレストを脱出したレジスタンスは、四、五人の少数部隊に分かれて、ヒオウ王子がいるというヨギュラクシア城を目指すことになった。ウィルソンとモリエールの軍師二人を守るのは、竜兵であるゼファーとアバロンの役目で、カラジュはマギーと共に別の部隊にいる。初めてすぐ上の兄と別行動を取ることになって、さみしさというか、物足りなさのようなものはあるが、カラジュは「あの毒舌二人に挟まれるよりはましだぜ」とあっけらかんとしていたので、マギーと楽しく喧々囂々やっているのだろう。
「エキドナは近い内、ヨギュラクシアに第三大隊を送るだろう。大隊とは名ばかり、『鬼』で構成された、殺戮部隊だ」
ウィルソンの言葉に、ゼファーもアバロンもモリエールも、緊張を面に貼り付ける。
「だが、『鬼』も無敵ではない。覆す方法はここにある」
ゼファー達の緊迫感にも構わず、ウィルソンは、自信満々に己の頭を小突く。
「その方法って?」
「気が早い」
ゼファーが訊ねると、ばっさり切り捨てられた。
「決定的かつ繊細な策は、直前まで明かさない。わたしも兄さんに教わりましたから」
ゼファーが落ち込むと思ったのだろう。モリエールが取り繕うように口添えする。
「とにかく君達には万全でいて欲しい。それだけは言っておこう」
ウィルソンは、フォローのつもりかそう言い添えると、スープに口をつける。
それに倣うようにスープを飲みながら、ゼファーは考えを巡らせていた。
かつて出会った少年。そう、彼は『イスミ・コウ』と名乗った。あの出会いの後も何度かきょうだいたちに隠れて一緒に遊び、いつしか別れた。
外の世界に出てから、記憶は鮮明になってくる。ならば、彼に再会できる日も近いのだろうか。
(コウを見つける為にも、必ずヒオウ王子を助ける)
決意を新にして、ゼファーは残っていたスープを一気に飲み干した。
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