第19話:軍師は見据える(お題19日目:網戸)
どんどん、どんどんと。扉を乱暴に叩く音が聴こえる。
どおん、どおん、と。幻聴が蘇る。太鼓の合図で兵が抜剣し、炎を放って、武器も無い民達を虐殺した日が。夜明け時、累々と横たわる死体の中に、愛した女の姿を見つけた時の絶望が。
「出てこい、ウィルソン・ガルフォード! ヴァーリ様のお召しだ! ヴィフレストへ帰ってこい!」
「……うるさい……」
うるさい、うるさい、うるさい。耳を塞いでヴィフレスト兵の怒号を遮断しても、太鼓の音は貫通してくる。そこの外れかけた網戸なら、武の無い自分でも多少対抗できるだろうか。
「やはり応じないか」
「手足の一本二本落としてでも連れてこいと、エキドナ様のご命令だからな」
「やれやれ、軍師殿は未亡人にご執心か」
扉を叩いていた音は、蹴ったり剣で殴り付ける音に変わる。まったく、あの横恋慕女も懲りないものだ。
いっそこのまま、ヴィフレストへ連れ戻されて、腐り果てて消えてしまってもいい。ふらりと立ち上がった時。
「ウィルソン・ガルフォード!」
若い声が太鼓の音を消し飛ばした。
ぎょっと見やれば、地下保存庫の蓋が開いて、さっき訪ねてきた
「何故そこが……」
「モリーに聞いたんです。保存庫には穴が開いていて、街の地下水路に繋がっていると」
ゼファーと呼ばれていた竜兵の答えが合図になったかのように、扉の外でヴィフレスト兵の悲鳴があがった。ばたばたと倒れてゆく音もする。
「ウィル。あなたはここで終わるような人じゃあない。モリーが信頼を寄せているのが、あなたが
「世界」
思わず笑いが洩れてしまう。妻一人守れなかった男の頭脳が、世界に必要とされていると。この竜兵は本気で思っているのか。
「お前は」
ぼさぼさの前髪の下から相手を見据え、試すように問い返す。
「友になれる人間を失ったと言ったな。レジスタンスに力を貸すのは、その仇討ちか?」
「それも、勿論あるけれど」
竜兵は微塵も躊躇いもせず、復讐の念を認めて、語を継ぐ。
「ぼくはフィムブルヴェートの守護者である竜族なのに、フィムブルヴェートのことも自分のことも、何も知らなかった。竜兵でも敵わない相手がいた。守れないものがあった。たった数日間でそれを思い知った。だから」
金の瞳が、まっすぐにこちらを射貫いてくる。
「導いてくれるひとが欲しい。ぼくが道を間違えないように、諭してくれるひとが欲しい。どんな強敵にも負けない策をくれるひとが欲しい。それは、あなただと思っている」
鐘を叩くように、竜兵の言葉は心に響く。いっそ正義感に満ちた上っ面の言葉だけを吐いてくれたら、見限ることもできたのに。この若者は、復讐心も、己の無知も未熟さも、全てを認めた上で、自分が必要だと言い張るのだ。
「はっ……はは……」
笑ったのはいつぶりだろう。最後の戦場に向かう前日、妻と他愛ない話をしていた時以来か。
「ゼファー、だったな」
髭に覆われた口元をにやりと持ち上げて、相手の名を呼ぶ。
「眠れる獅子を起こした責任は、しっかり取ってもらうぞ」
薬指に指輪のついた左手で前髪をかきあげる。生気を失っていた茶色い瞳に光が宿り、鋭く細められた。
「果たしてお前達についてこられるか、腕試しといこうか」
死にかけていた心に火が灯る。
『あんた、頑張りなよ』
妻の叱咤を最後に、幻聴はもう聴こえない。
ウィルソン・ガルフォードは、戦場に帰ってきた。
「なっ、なんだ!? 何事だ!?」
ウィルソンを引き出すのに躍起になっていたヴィフレスト兵達は、混乱に陥っていた。そちらに気を取られていたとはいえ、夕闇に紛れて、一気に二人が切り捨てられたのだ。混乱して周囲を見渡す。
そこに、ばあん! と、今まで取りついていた扉が開け放たれて、数人が吹っ飛ばされる。飛び出してきたゼファーは、狼狽える一人の喉笛を短剣で切り裂いた。
「武力を持たない男一人を連行するのに人数などいらないと、十人を切る小隊で来ているだろう」
飛び出してきた竜兵の後から、ウィルソンが悠々と歩み出てきて、不敵な笑みを浮かべる。
「まだ、魂までは腐っていなかったようだ」
「ゼファー、やったな!」
「無茶苦茶だよ、アンタ達!」
彼の意気込んだ姿を見て、カラジュとマギーが拳を突き上げる。ゼファーは短剣を高々と掲げて応えると、背後に迫っていた一人をさらに斬り捨てた。
「左右の選択がある時に右から選ぶ癖のある竜兵は、右から薙ぐ」
堂々と腕組みしたウィルソンが高らかに宣誓すると、「どおりゃ!」とカラジュが
「伏兵は伏兵に気づかない」
曲がり角から矢を構えていた兵の背後に、ゼファーは軽く地を蹴って宙返りした後に降り立ち、袈裟懸けに。
簡単な任務のはずが、あっという間に部下達を失った小隊長が、「ば、ばかな」と後退る。
「手駒を失った生き残りは、起死回生を狙って、一番弱い者を狙う」
ウィルソンは先読みでもしているかのように、朗々と声を張る。その通り、小隊長は離れた場所に身を潜めて成り行きを見守っていたモリエールを見つけると、ばっと駆け出し、
「き、貴様ら動くな! この娘がどうなっても」
彼女に剣を突きつけようとしたところで、「ぐほっ」と血を吐き、あと一歩及ばぬところで崩れ落ちた。
「ありがとうございます」
非力とはいえ、伊達にレジスタンス分隊の軍師を今まで務めてきていない。落ち着き払った様子でモリエールが微笑みかけると。
「別に。借りを作りっぱなしにしたくないだけだよ」
マギーが憎まれ口を叩きながらそっぽを向いたが、その頬は少し赤みを帯びていた。
敵が全て片付き、モリエールは目を細めて再度笑み、それからゆっくりと立ち上がって、義兄のもとへ歩み寄ってゆく。
「心配をかけたな、モリー」
ウィルソンは、いつになく優しい口調で、柔らかい笑みを義妹に向ける。
「……兄さん」
モリエールが笑おうとして失敗した。義兄の胸に飛び込み、身を震わせる。
「お手柄だぜ、ゼファー」
ゼファーがカラジュの隣に並ぶと、平手で背中をはたかれた。彼は加減したつもりだろうが、力自慢のきょうだいの一撃はよく効く。
だが、その痛みすら今は心地よかった。
(ぼくは間違えなかったよね、カイト?)
ゼファーはもういない少年に問いかけながら天をあおぐ。見上げた空には夜が訪れ、星々が希望を示すように輝き始めていた。
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