第15話:水葬(お題15日目:解読)

 夜が来た。

 レジスタンスを乗せた船は砦から離れて、湖に水が注ぎ込む川へと入っていった。ヴァーリは追撃を諦めたのか、それとも何か他の思惑があるのか、ヴィフレスト兵が追いかけてくることは無い。

 服を真っ赤に染めたゼファーは、魂の抜けたような顔で、動かなくなったカイトを見下ろしていた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。ヴィフレスト兵から助けた時、もっと周囲に注意を払っていれば。マギーをもっと疑っていれば。『ユミールの腕アーム・オブ・ユミール』にとどめを刺していれば。いや、そもそも竜兵ドラグーンが介入しなければ。

 たらればが頭の中をぐるぐる巡って、耳に手をやる。撫でた瞬間に、乾きかけた血ががさがさと肌に触れて、これが現実であるのだと、まざまざと痛感させられた。

「このガキ! お前がいなければ、仲間達は死なずに済んだんだ!」

 レジスタンスの男が、後ろ手に縛られて縮こまっていたマギーの服を掴んで締め上げる。

「やめなさい。彼女を害しても、失われた人が帰ってくる訳ではないわ」

 モリエールが冷静に諭すと、彼は今にも泣き出しそうな顔を軍師に向けて、のろのろと手を離す。マギーは顔をしかめてその場に尻餅をつくように座り込んだ。

「だって、あいつ、さっきまで隣で笑ってたんだぜ……。なのに、鬼王の一撃で……首が飛んで……」

 惨劇を思い出したのか、男は両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちる。あちこちから、大事な人々を失った者達の啜り泣きが起きた。

 モリエールは悲痛な表情でそれを見渡した後、

「ゼファーさん」

 カイトのそばから動かないゼファーに、そっと声をかけた。

「いつヴィフレストが追跡してくるか、わかりません。船の重みは少しでも減らしておかなくてはいけません」

 そして続けられた言葉に、ゼファーははっと目を見開いた。

「カイトを、世界アルファズルに還してあげましょう。もう、休ませてあげましょう」

 モリエールの言うことは正しい。正しいと、ゼファーもわかっている。だが、頭が納得していても、心臓のあたりがぎゅうっと締め付けられて痛く、行動に移すことを拒むのだ。

「ぼくは……」

「ゼファー」

 自分でもなんと反論しようとしたのかわからないゼファーに、アバロンが落ち着き払った声で言い聞かせる。

「彼が、君を選んだのです。彼の望みを叶える為に、今は前に進まなくてはいけない」

 長兄はいつでも、どこまでも正論を言う。ゼファーはよろめきながら腰を上げると、カイトの背に両腕を回した。死者は魂が抜けた分軽くなるというが、竜兵として鍛えたゼファーには、想像以上に軽く思える。

 船の縁に膝をついて、カイトの遺体をそっと川につける。手を離す。

 支えるものの無くなったカイトの身体は、差し招くように腕を広げて、水底へと沈んでゆく。船は止まることなく進んで、その光景もあっという間に遠ざかる。

 ぽたっ、と。

 船底に水分が落ちたかと思うと、ぱたぱたっと水滴が続いた。雨かと思って天をあおげば、両頬を熱いものが流れ落ちる。

 涙、と自覚した途端。

 ゼファーの喉の奥から、唸るような呻きが絞り出されて、わっと号泣に変わる。


 もっと話したかった。

 彼のことを何も知らなかった。

 自分のことも何も話さなかった。

 背中を預けられる友になれると思った。

 彼のことを知りたいと願った。


 だが、それはもう永遠に叶わない。

 カイトは、身体は水に還り、魂は天上ヴァルハラへ逝ってしまったのだから。

 初めての、きょうだい以外の朋友の喪失に、ゼファーは船底に突っ伏すようにかがみ込んで、慟哭を迸らせた。


 大切な仲間達を失っても、朝は来る。

 小さな川から大きな河の流れに乗った船の上を、朝日が照らす。

「今回は、わたしの失態です。本当にごめんなさい」

 痛恨の極みの表情で、モリエールが頭を下げる。

「モリーのせいじゃない!」

「今更謝られても」

 擁護する者、責めるような口調の者、さまざまな声があがる。それを全て受け止めて、彼女は言葉を継いだ。

「わたしの力はヴィフレストには通用しない。それを思い知った今、わたしはわたしより力のある人を頼ろうと思います」

 どよめきがわき起こる。それも織り込み済みなのだろう。モリエールは静かに続ける。

「このまま流れに乗って、ハルドレストの街へ入りましょう。そこにいる人を頼ります」

 すると、それまでマギーの隣を維持してだんまりで話を聞いていたカラジュが、声をあげた。

「ヴィフレストのスパイがいるのに、作戦を暴露していいのか?」

 マギーに一斉に注目が集まる。少女は不貞腐れた表情でそっぽを向いて、吐き捨てるように言った。

「アタシはダイナソア語が解読できるから、ヴァーリさ……ヴァーリに弟達を人質取られて、こき使われてただけだ。あの鬼王が嘘をつくとは思えない。弟達はもう、『鬼』の腹の中だ。アタシをヴィフレストに縛り付けるものは、もう無い」

「それでは、わたし達に協力してくれませんか?」

 モリエールの申し出に、マギー自身も、周りの仲間達も、ぎょっとして軍師を注視する。

「『ユミール』を封印した始祖種の言葉を解読できる方がいてくださったら、わたし達は鬼王に対抗する手がかりを得ることができるかもしれません」

「アンタ本気? アンタがそう言っても、ここの連中、納得しないでしょ」

「貴重な能力を持つ方を、刺客だったからとただ斬り捨てるのは、わたしの師に、愚策だと叱られます」

 マギーが眉を跳ね上げても、モリエールは一歩も退かない。周りのレジスタンスも口出しをしないということは、彼女に理があると、理解しているのだろう。

 ゼファーの中にも、マギーに対して抱く炎はある。だが、ここで短剣を抜いて彼女を引き裂いては、カイトが悲しむだろう。

「生きて、罪を償ってください。それが死んでいった仲間達への手向けです」

 ゼファーの代弁をするように、モリエールが静かに諭す。マギーはしばらくの間、うつむいて考え込んでいたようだが、やがて、ぽつりと洩らした。

「甘いよ、アンタ」

「よく言われます」

 モリエールが苦笑して、カラジュに「縄を解いてあげてください」と願う。

「オレが見てるからな。おかしな真似したら、首の骨折るぞ」

「……どうぞご勝手に」

 ぴりぴりした空気を漂わせるやりとりをしながら縄を解かれて、マギーは手首をさすりながら、憎まれ口を叩いた。

「それにしても、貴女はどうして、ダイナソアの言葉を解読できるのですか?」

 モリエールの質問に、マギーは面倒臭そうな顔をしながらも、口を閉ざすことはしなかった。

「アタシ、辺境村に住んでて学が無いから文字は読めなくてさ。五年くらい前、たまたま村に来ていた、ダイナソアの子孫だっていう三日月の傷を額に持つ男が、言葉を教えてくれたんだ。結局現代語は読めないけど、始祖種の言葉が読めるって、ヴィフレストに知られたんだよ」

 それまでぼんやりと話を聞いていたゼファーは、そこで弾かれたように顔を上げた。三日月の傷を持つダイナソア。竜王ドレイクが親だろうと伝えてくれた男の特徴と一致する。

「そのダイナソアはどこへ!?」

 気づけば必死の形相でマギーに詰め寄っていた。少女は、最前まで意気消沈していた竜兵が食いついてきたことに面食らいながら、ぶんぶん首を横に振る。

「し、知るかよ! 半年くらいで、次の行き先も告げずにいなくなっちまったんだから」

 父かもしれないひとの手がかりは失われてしまった。だが、まだ身内が生きているかもしれない、という事実は、かすかな明かりとして、カイトを失った悲しみに暮れていたゼファーの心に灯ったのであった。

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