第12話:脅威(お題12日目:色水)
湖上の船から砦に向けて矢が放たれる。訓練された兵の射撃の前に、窓から顔を出して様子を窺っていたレジスタンスの戦士達が次々と射抜かれて湖に落ちてゆく。赤い血がじんわりと水面に広がる様は、水を含ませた筆から絵の具がこぼれ落ちて、色水を作るかのようだ。
「反逆者を狩れ!」
いくらかのレジスタンス戦士を減らしたとにらんだヴィフレスト兵が、抜剣して砦に上陸する。レジスタンスも決して弱くはないが、数に押されて次々と斬り捨てられ、廊下に赤い絵画を描いた。
「第十七分隊は厄介だって、こっちの軍師も警戒してたんだよねえ」
無邪気な盗賊の少女ではなく、鍛えられた刺客の正体を現したマギーが、蛇のようにくねった短剣を、モリエールに向ける。
「元ヴィフレスト筆頭軍師サマの義妹。そんな奴に『彼』側につかれたら、あのお方も困るだろうから」
「な、なに、訳わかんねえこと言ってんだよ」
ゼファーとカイト、アバロンが、モリエールを守るように構える中、カラジュだけがだらりと両手を下ろして、呆然と言葉をこぼしている。
「また、オレ達をからかってるんだろ? 嘘だって、やっぱり馬鹿だって、笑えよ」
それを聞いたマギーの瞳に、一瞬、迷いの光が過った。だがそれは本当に一瞬で、すぐに見下すような半眼になる。
「あんたが馬鹿なのは確かだよ。なんで、ヴィフレスト兵がそこの坊ちゃんを追って竜の聖域に近づけたと思う? なんでアタシが、『
少女はにいっと歯を見せて笑い、短剣を持っていない方の手で、頭を小突く。
「少しは頭使いなよ。ト、マ、ト」
直後。
咆哮をあげて、カラジュは
マギーの身軽さは、重い一打を得手とするカラジュには手に負えないだろう。
「アバロン」
ゼファーは
「モリーさんを連れて先に逃げて。君にしかできない」
「確かに、私にしかできないですが、勝機はあるのですか?」
「なんとかする」
アバロンの毒舌は相変わらずだが、今はそれ以上を打ち合わせている余裕は無い。長兄も、無駄なお喋りに時間を費やすほど愚かではなかった。
「失礼」
さらうようにモリエールを横抱きにし、彼女が「えっ」と顔を赤らめる間にも、ぶわりと背中に防人の証である翼を生やして、窓から空高く舞い上がった。
「逃がすか!」「させない!」
マギーが少々慌てた様子で腿に仕込んでいた暗器を数本取り出して投げる。だが、それはアバロン達に届く前に、ゼファーが短剣を振るい、カイトがチャクラムを投げることで叩き落とした。その間に、アバロンは湖上からの矢が届かない高さで砦から飛び去る。
「チィッ!」
マギーが忌々しそうに舌打ちし、暗器を、今度はゼファー達目がけて投げてくる。それを回避するのに気を取られた内に、少女はカイトに肉薄していた。
「弱っちいのに、前線に出てくるからこうなるんだ!」
不意を突かれて少年が怯んだところに、波打つ刃が振り下ろされる。
「させない!」
ゼファーは二人の間に瞬時に割り込み、マギーの短剣を跳ね上げた。主人を失った得物は、くるくると回りながら吹き飛び、離れた床に突き刺さる。それに気を取られた少女の脇腹に。
「この、馬鹿野郎!」
カラジュの絶叫と槍斧の柄が叩き込まれて、肋骨の折れる音がした。
「ぐあっ!」
苦悶のうめきをあげて、マギーの身体は壁際まで吹っ飛び、床に叩きつけられる。
ふうーっ、ふうーっと。
猛獣のような荒い息をつきながら、マギーを睨みつけるカラジュの赤い瞳には、言いようの無い悲しみが浮かんでいた。
二人の間に、絆とも呼べるものが芽生え始めていたのは、聖域から出たことの無いゼファーでも気づいていた。初めて
だが、彼女の手引きで、この砦にいるレジスタンスの多くが命を落とす羽目になった。報いは受けさせなくてはならない。
カラジュもそれを重々承知しているのだろう。大きなため息をついた後、ぎらりと目を光らせ、槍斧を握り直すと、マギーに向かって歩み寄ってゆく。
「カラ」「止めないで」
この期に及んでも戸惑いを見せるカイトを制し、ゼファーは二人の結末を見届けようとする。
だが、カラジュがマギーの前に仁王立ちになって、槍斧を振り上げた時。
夜よ 去ることなかれ
あたらよに この世界を繋ぎ止めたまえ
『わたし』の 欠片を探しにゆけ
突然頭の中に響いた、『ユミールの腕』と邂逅した時に聴こえた歌に、ゼファーは身の毛がよだつ思いをして、武器を取り落としそうになる。
何故、『ユミール』の歌が聴こえるのか。しかも今度は、バスの男声で。
カイトもカラジュも、その不気味さに動きを止める。その直後。
すさまじい風圧が室内を駆け抜けて、ゼファー達の身体は紙のように吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「成程。竜族とはいかほどの強者かと思ったが」
低く地を這うような声に、痛む身が縮こまる。絶対的な敵だと、しかも、「敵わない」と、本能が告げている。
風を巻き起こした主が、姿を見せる。
はじめ、巨大な獣かと思った。焦茶色の髪に紫の瞳、白銀の鎧をまとって紫のマントを翻す大柄な男だ。背丈ではカラジュと同じくらいだが、幾人を斬ったのか、ぽたぽたと血の色水が滴り落ちる大剣を片手で持つ様は、人間の域を超えているように思える。
それが誰か。答えに辿り着くとほぼ同時に、マギーが、折れた肋骨の辺りを手でおさえながら、細い声を出した。
「ヴァ、ヴァーリ様……」
ゼファーも、カイトも、カラジュも凍りつく。
最大の敵にして最恐の脅威が、まさかここに現れるとは、誰が予想していただろうか。
「ゴミクズどもが、多すぎる」
ヴィフレストの鬼王ヴァーリは、狂気のような笑みを浮かべてみせた。
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