名無しと権兵衛

ひろひさ

最強の拳!! ロック・フィスト!!

 これは人類が経験した6度目の超人戦である。


 2024年12月5日、午前10時37分。前回のいわゆる超人、人智を超えた能力に目覚めた者たちによる事件から約5年の月日が流れたこの日、再び超人による市立高校立て籠もり事件が発生した。


 場所は家康が晩年を過ごした地方都市、その県庁所在地である。犯人の男は同校の学生であり知人の少女を人質に現金1千万円と逃走用の車両1台を要求。事態は膠着状態へと突入した。


 県警は『組織犯罪対策課』を始め、『超常犯罪対策係』、『特殊事件捜査係』などからなる合同捜査本部を立ち上げ、県は政府に対し『超常事案』の認定を求める。


 これを受け政府は直轄組織である『超常現象研究所』に職員の派遣を命じ、研究所は国際条約を元に制定されたいわゆる『超人法』に則り、事件現場と同じ市内に本社を置く『株式会社ホッグ・ノーズ』に協力を要請。貴社は従業員で国内唯一の超人、『民間協力能力者』3名を事件現場へと派遣した。


 こうして事件発生から約1時間後の午前11時40分。捜査本部主導の下、救出作戦が開始される。




 この日の空に雲はなく、風は穏やか。しんと静まり返る家々の間を肌を震わす空気が時折駆け抜け、それがまるで今年の終わりを告げているかのようで持つ者には安らぎを、持たざる者には嘆きを与えた。

 しかし、そんな個々の事情が時の針に影響を与える筈もなく、ただ着実に来年へと向かう。そんな最中の出来事だ。


 被疑者は粗野と粗暴、二つの言葉に取り憑かれていた。彼にとって力は全てであり、この世は弱肉強食。舐められたら終わり。そんな世界に自分の居場所を見出した男の顔はその周りの人間の顔ととてもよく似ていた。よく見れば整った顔立ちも何処か高圧的で酷く歪み、社会通念上表に出すべきではないとされる本能、衝動、暴力性を隠すことなく周囲に巻き散らし、他者を委縮させることに重きを置く、とても単純でとても軽い、鉄砲玉という言葉がとてもよく似合う雰囲気を醸し出している。


 しかしその高い背丈と細く鍛えられた肉体、荒い気性も好意的に受け止める女性は数多く、とは言え、魅了された彼女らが最終的に涙を流すことになったのは言うまでもない。

 今回の被害者である女子生徒もまた、その怪しげな色香に惑わされた一人である。


 この男は覚醒剤所持、密造、密売、売春斡旋、売春強要、不同意性交、恐喝、暴行、傷害、違法賭博などの前歴があり、出所後も更生することはなかった。

 そしてこの男が関わっていた未成年者を働かせる違法風俗店が摘発される。当然、逃走を試みたものの失敗。その際にブラックマーケットで流通するほんの僅かな確率で超人になれるといわれる違法薬物、通称『DD』、『アメリカ』等と呼ばれる物を自ら体内に注入する。男はすぐさま悶え苦しみ始め、心停止を起こし救急搬送されることになった。


 こうして、覚醒。救急車を破壊し、現在に至る。



 

 灯火の消えた高校を取り囲む黄色い線。その範囲内から人々は既に避難を終え、避難所へと急ぐ慌ただしさは当の昔に消えている。

 さながら結界を張った住宅街に一歩足を踏み入れると師走の風がより一層強まり、体の芯から熱をいとも簡単に奪い去っていった。


「ねぇ、もう止めなよ。こんなこと……」


 多く、などと単純な秤では数え切れないほどの生徒を迎え、そして見送ってきた1年C組の教室に少女の涙が溶けていく。二人を中心に円が描かれ、規則正しく並べられていた机らは力任せに投げ飛ばされ、行く手を阻む防護柵と化していた。


「ああッ!? うるせえよッ!!」


 足りない頭でも見える敗北の二文字が元から隠す気などない怒りと共によく表れる。

 計画性など元からなく、逃げ込む場所もそのツテもない。男に捕まる以外の道はなかった。売人から渡された真偽不確かな超人化薬を使ったのも捕まるくらいなら死んだ方がマシだったからであり、手っ取り早く死ねる手段の一つでしかなかった。彼女の通う高校に来たのも現在地から一番近かっただけに過ぎない。


 これからどうすりゃいいんだよ……。


 登録された連絡先に片っ端から電話を掛けるも繋がらず、自分も使い捨てられてきた連中と同じ、只の鉄砲玉であるということを嫌という程思い知らされる。

 

 ああ……、クソッ……。

 

 自分だけは違う。そう信じて疑って来なかったおめでたい脳味噌がここに来てついに悲鳴を上げた。

 そんな状態で簡易柵の向こう側、扉の前で息を潜めて待機する超常犯罪対策係の特殊部隊に気付く筈もない。


「作戦開始」 


 隊員らに取り付けられた小型カメラを通して情報をリアルタイムで共有する司令官から発せられた一言を合図に男のスマホが沈黙を破る。画面に表示される『非通知』の文字。


 誰だ!? 助けか!?


 突如目の前に現れた、天から伸びる蜘蛛の糸。一縷の望みに掛け、急ぎ受けるも相手は無言。


「チッ! おいっ!! 誰だテメッ——」


 音速で何かが飛来した。


 窓ガラスとカーテンを突き破り、男の前頭部から後頭部までを貫いたそれは古びた床をも抉り取り、ようやくその素早い動きを止める。

 グラスに注がれる水の如く自身の血によって目の前は真っ赤に染まり、意識は途切れ、糸の切れた操り人形と化した男は足元からぐらりと崩れ落ちると、天を見上げ、半開きの口と目を観客へと曝け出した。


 直後に上がる少女の悲鳴。扉を開け、机を前に足を止める隊員たち。そんな中、1人の青年が窓ガラスを叩き割る。堅牢な強化ガラスを物ともせず、地上から一気に跳躍し、袖口から伸びる己の拳が最大の武器であると豪語する、深く紅い、太陽の光を受けて輝く五本指の金属腕を用いて。


 彼の作戦時名は『権兵衛』。派遣された民間協力能力者の一人である。超人的な身体能力と再生能力を有し、さらには体内で生成される金属物質の操作によって両肘から指先までを彼が好む娯楽作品に頻出する機械の腕や研究開発が進められている強化外骨格のように変化させることが可能だ。

 自分の腕を変える、変わる。その色や形に意味や意思はあるのか。彼自身にも理解が及ばない部分ではあるが異形の腕、といってもそこに力を誇示するかのような禍々しい鋭さはなく、工業製品めいた無駄のなさ。人の手を取ることができる滑らかさと不条理を打ち砕き、信念を貫く力強さを併せ持つ、純粋で温かな理想を追い求める不思議な2本の腕がそこにはある。


 残った窓ガラスが音を立ててその役目を終えると、彼は銀色の窓枠に両手を掛け、鍛え上げた強靭な肉体を一気に室内へと持ち上げた。


「よっと」


 颯爽と現れた突然の来訪者に少女は言葉を失う。身長は178センチ程度。身に着けた衣服は隊員らと同じく耐久性や強度、伸縮性に優れた黒の上下に同色のブーツ。頭の暗赤色のヘルメットだけが彼に合わせて作られた特注品であった。側面には頭の大きさ程はある金色の六角ボルトが二つ付いており、額部分にも六角錐の角が2本施されていた。これを被ると顔の一部が隠れ、秘匿性を上げつつ視野を確保する為、目の部分だけは露出するようになっている。その為、彼の人目を惹く二重の目蓋が露わとなっていた。


 ――――ロック・フィスト……?


 その鍛え抜かれた分厚いハムのような大胸筋と特徴的な両腕。そしてその漫画やアニメの中から飛び出して来たような出で立ち。彼女は何かの媒体で目にした男の名前を呼び起こす。


 ある種のおふざけとも取られかねない格好は彼と彼に関わる全ての人間の安全を保障する為のものであり、株式会社ホッグ・ノーズがキャラクタービジネスを生業としているからでもあった。

 この会社は彼をモデルとしたメディアミックス作品を制作し、そのある意味実写化にも耐えうるリファインがなされた衣装を纏う彼が活躍することで作品の人気が上がるだけでなく、日本が国際条約を批准し、彼らはあくまでも民間人であるということを強調しているという側面もあった。


 そして彼、本名『桃木陽斗』もまた、この衣装をとても気に入っている。


 こうして権兵衛改めロック・フィスト改め桃木陽斗は入室後すぐ身をかがめ、状況を確認。安全を確保してから目の前で憔悴しきった顔の少女に明るく声を掛けた。


「もう大丈夫ですよ!! 助けに来ました!!」


 突然のストレスと恐怖で凍り付いた心を少しでも解きほぐせるよう強く意識した訳ではなかったが、彼の描く大きな三日月はどういう訳かどんな性根の人間であっても不思議と警戒心を緩めてしまう才がある。気付けば彼女もいつの間にか強張った心をその暖かな心根に近づけていた。


「あっ……」


 彼女の心が軽くなる。その変化に気づき再び頬を動かすと、小銃を構えた隊員たちが物々しい雰囲気を携え教室へと入って来た。


「対象者発見」


「大丈夫ですか? 立てますか?」


「あ……。はい……。大丈夫です……」


 彼女は顔を隠し、己を殺す。任務遂行の為の駒に徹する屈強な男たちが放つ高圧的な威圧感を前に仰け反りながらも陽斗の笑みの効果もあって何とか圧し潰されることなくか細いながらも声を発することができた。


「…………」


 圧がすげぇよ……。


 目は口ほどに物を言うとよく言うが、本当にその通りなのだなぁと感心し、陽斗は笑みを零す。


「さてと……」


 現場を後にする彼女を見送ると、床に転がる男の前にしゃがみ込む。右膝を付き、生死の確認だ。


 どう見ても死んでるんだけどな……。


 額には穴が開き、血は流れ、目は見開いたまま。医者でなくとも判断が下せる有様ではあったが、現状能力者は全員再生能力がある。頭を撃ち抜かれても再生した事例がある以上、油断するなど以ての外だ。全員入室時から再生の兆候がないか目を光らせ続けていた。


「確認します」


 陽斗は次に行う行動を周囲に述べる。銃口が己と男を狙う中、能力を解き瞳に光を当て、脈を測る。傷口からの血が止まる様子はまだ見られない。

 再生はまだか……。

 それともこのままなのか、現時点では断定の仕様がない。


「被疑者死亡。再生、確認できません。経過観察、開始します」


 そう宣言すると立ち上がり、近づくもう一人の隊員と入れ替わる。彼もまた同じ言葉を繰り返した。


「ふぅ……」


 順調に事が進んで行き、陽斗は込めた力を僅かに緩める。 


「ひとまずお疲れ、名無しさん。流石だね」


 インカムでもう一人の協力者、『名無し』。本名、『立花小春』に称賛の言葉を送る。


「……まだ終わってない」


 小春は約800メートル先、ビルの屋上で腹這いになり、能力によって右腕の肘から指先までを流線形で鈍く光る暗い鋼色の狙撃銃で覆っている。そして同時に極限まで高められた視力と聴力を駆使して見えない室内の様子を捉えていた。

 表舞台に立つ予定のない彼女に便宜上用意されたヒーロー名は『ストレンジャー』。望まぬ能力を得た代償として記憶を失い、自身の名前すらも思い出すことのできなかった彼女をビジネスに利用することは躊躇われ、念の為、彼女に可否を問うと『どちらでも構わない』という答えが返ってきた。上が『名無し』という名を彼女に与えたのもこの為である。


 160センチ代の身長に頭の先から爪先までを覆い隠す特殊部隊服。目出し帽まで使用し、彼らと同じく自身に関する情報を徹底的に遮断。個性を黒く塗り潰す。

 その姿を目にした者たちが噂する彼女の様相は正しい部分もあり、顔立ちは目端で捉えれば追ってしまう凛とした白い花のようであり、肌は柔らかく潤い、しなやかでハリがある。防弾チョッキで隠れた胸は豊満で、髪は濡れた烏の羽の色。元々は肩甲骨の辺りまで伸ばしていたが、現在は首の辺りで切り揃えられている。

 そして能力の影響とも呼ぶべき変貌を果たしてしまった彼女の内面、乱れぬ水面を映し出す鏡としての表情は感情表現を放棄し、己の色を失い、無色となった眼球もただ目の前の情報を脳へと伝達する澄んだ凸レンズへと形を変えていた。


 そんな彼女の能力は身体能力の超人化と高い再生治癒能力。そして触腕の生成である。この触腕は体のどこからでも生やすことができ、タコやイカのそれと同じく筋繊維状態と体内の金属物質を用いて強化することも可能だ。また、同時生成できる本数は計4本。さらに強化した触腕を腕に巻き付けることで電磁砲にもなる。但し弾もそれを撃ち出す為のエネルギーも彼女の体から生成されるものである為、その力は有限。発射された弾丸を操作することも不可能だ。


「真面目だねぇ」


 中学2年の秋から付き合い始め、彼女が記憶を失った大学1年時まで付き合っていた元恋人の変わらぬ気質に過去の記憶が微かに過る。


「……」


 この後の流れは医師免許を持つ研究所職員による超人化抑制薬、通称『ハルペー』の投与が行われる。その名の由来はギリシャ神話の英雄ペルセウスがメデューサ退治の際に使用したとされる伝説の武器からであり、投与の理由は今の科学技術、予算では能力者を能力者のまま拘束することはできない。では、罪を犯した能力者をどう裁き、どうやってその刑を全うさせるのか。人類は『梅竹義人』という最初の超人から約6年、彼と彼の幼馴染でもう一人の超人、『笹川優人』の協力により能力者を元に戻す特効薬を完成させた。

 しかしこの薬はまだ不完全な代物で、健康な状態では効果を発揮することができず、体の再生を最優先させるような深刻なダメージを負った状態でなければならない。先刻の狙撃もこの程度のダメージを最低限与える必要があるからであり、現在確認されている能力者は全員、高い再生治癒能力を持っている。


「ん?……」


 先程からぴくりとも動かず再生の兆候すら見せない男に陽斗は妙な違和感を覚え、組んでいた腕を解き、僅かに緩んだ気を再び締め直す。


「……」


 なんだかな……。


 首の後ろがチリチリと騒ぎ出し、何かが起こる可能性があると強化された身体機能の一部か、それともこれまでの経験則から来る勘なのか。兎にも角にも意識的に拾い上げることができなかった変化を無意識だけが見逃さなかった。


 なんだ、この感覚……?


 このまま無視して良いものか疑問が生じる。


「——!」 


 その時、男の右手の指が動いた。


「再生反応確認!!」


 陽斗は叫び、素早く右の拳を振り下ろす。その威力は加減してはいたものの頭蓋を割ることに迷いはなかった。

 空を切る音と共に衝撃が室内に響き渡る。


「!!」


 マジかよっ!!


 右に傾いた男の頭。散大していた瞳孔が収縮し、陽斗の仮面を捉える。


 ヤバいッ!! 逃げられるッ!!


 能力者は危機的な状況で驚異的なパワーを発揮することがあった。梅竹義人も死亡したと思われる状況から再生し、生還した事例などがある。

 ぼやける視界。吹き飛び、欠けた脳で情報を処理する余裕などある筈もなく、男は感覚的に頭を動かした。ただそれだけのことではあったが、それが運良く回避行動へと繋がり、陽斗に精神的ダメージを与える。


 ハッ……!! ハッ……!!


 男はこれまでの短い人生の中で微塵も考えたことなどない自身の脳味噌をとても深く、皺の一つ一つまで丁寧に丁寧に注意深く観察し、その脈動を感じているかのような鮮明な感覚に襲われていた。傷口から肉が盛り上がり、欠損部分を駆け回る犬が如く瞬時に埋めていく。


 舐めんなッ!!


 陽斗は逃がすまいと素早く左手で男の首を押さえ付け床に固定すると、迷うことなく無防備なみぞおちへ左膝を叩き落とした。


「ガッ……!!」


 骨の砕ける音と共に肺を押し潰され、生存に必要な空気が外へと漏れ出す。この部位への攻撃は横隔膜を停止させ、呼吸困難を引き起こした。続けざまに当てられた耐え難い苦痛。男は再び意識を失った。


「————ふぅ……」

 

 危ない、危ない。

 

 ゆっくりと体を起こし、陽斗は肩の力を抜く。ここで逃がしたら人質や隊員らを危険にさらすところであった。

 

 これが火事場の馬鹿力ってやつか……。

 

 先輩、義人も経験したという限界を超えた能力の発現。能力の限界とは? という話にはなってくるのだが、話に聞いていた現象を目の当たりにしたのだろうと思えてならない。

 

 恐ろしいね、まったく。

 

 同じ能力者であってもこの恐るべき耐久力、再生能力には驚かされる。

 たぶん俺も周りからこう見られてんだろうな。

 ふとそんなことを思いながら顔を上げると、


「…………」


 やはり銃口がこちらを向いていた。

「もう大丈夫です」


 両手を軽く上げ、隊員らに安全を訴え掛ける。そして小銃を持ち上げたまま固まる彼らに笑みを向けた。


「薬、お願いします」


 その言葉を受け、隊員の1人が待機する医師を無線で呼び、張り詰めた空気が僅かに緩む。


「——ふぅ」

 

 息を吐き出し、ゆっくりと立ち上がる。こうして事件は幕を閉じた。

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