第17話 振り切った先に
横並びの列から少しづつ前に出始めるのはやはり紫のR33。しかしそれを駆る黒崎真澄の顔にいつもの開放感と余裕は無く、額には汗が浮かんでいた。
真澄は一番多感な時期に全てを失った。平日は家族のために働いて、休日にかっこいい赤のスカイラインで走りに行く父が死んでからだ。あまり母に懐かなかったこと、反抗期入りはじめの"女"を母が可愛く思わなかったことが相まって真澄はツテを通して金持ちに売られることとなったのだ。学校に通わず屋敷で働き、外に出ることもなく様々な礼儀作法と家事を仕込まれるだけの日々。周りに同年代がいないことも相まりどんどん自分が何かわからなくなっていってしまった。
しかし18で運転免許を取りに行った際、真澄は久しぶりに楽しいと思えたのだ。エンジンの生む巨大な力を右足で操りハンドルで思い通りに動く車体はおもちゃを与えられてこなった彼女にとってとても刺激の強いことだった。バイオリンや料理、裁縫のお稽古なんかよりもよっぽど面白かった。
そして数年前に入手したR33で夜中に走り回る日を繰り返すようになった。自分が心の底から好きだと思えたこと、父と同じ道を歩めることに自分を見出してただひたすら走り続けた。チューニングを続けてしばらくすると、誰も追いつくことは出来なくなっていた。あたしは失うものがない、だから他の人より深く踏み込める、真の限界まで行くことができるから…そう思っていた。
だが今左右を見ればこんなにもついてくる人がいる。後ろではなく真横に、隙があればぬかさんとばかりに。今まで冷静であった。走ることそのものに価値を見出し真摯に向き合ってきたつもりだ。それがどうだ、こんなにも熱くなってしまっている。心臓が飛び出てしまいそうな程に緊張して、こわばる足がペダルを踏む足を震えさせる。
…近いうちに死ぬ。
R33を組んだ湊さんに言われたこと。もともと無謀なことをしているのだ、いつその時が来たっておかしくはない。だが、自分より先に逝こうとしている者がいる。自分より強いものを求めて、何かを追うように前へ前へと進んでいる。
Z31…もう限界のはずだろうに。噂通りL型エンジンをつんだ西岡さんの車、そのエンジンじゃ800馬力の直進について来ることはやっとのはず。まだ踏めているということはマージンはほぼ無しのギリギリまで切り詰めた仕様だろう。続く直線の間にブローしてしまうはず、それでもいたわることなく前に出ようとするのはどうして?
CBRは驚いたことに意外と余裕を持っている。なぜだろうか、自分と同じ雰囲気を感じると真澄は思った。元の性能も周りより一回り二回り低いハズだろうに何があれをこの領域まで連れてきたのか、どこか惹かれるようにすら感じる。
一番左を走る健吾もZ31のわずかな異変を感じとった。エンジンの音が前へ進もうとする雄叫びじゃない、限界を超えてしまった絶叫のように感じてしまうのだ。長年走り続けた西岡さんがこの異変を感じ取れぬわけがない。故意だ、車が死ぬことを分かった上で限界を超えた領域まで踏み込もうとしている。そしてZ31もそれに応えてしまっているのだ。おそらくもう長くは持たないだろう。
バァアァアアアン‼︎
Zのマフラーからミスファイアと呼ぶには過剰な量の炎が上がった。瞬間、膨大な加速力を得て前へと飛び出る。あと何秒の命だろうか、それでも西岡は踏み続けた。この十数年で望み続け探し求めた残像が、答えが目の前にある。これを逃せばもう機会はないと何故か思った。追い続けるんじゃない、前を走らねば。そのために長い付き合いのL型は死んでしまう。いや、死んでもらうのだ。今日がきっと最後、俺が満足して終わるにはこうしないとならないのだ、と。
R33をついに制し、Z31が先頭に躍り出た。依然マフラーからの発炎は止まらず、10秒もすればよろよろとスピードを落としていった。エンジンが限界を迎えてしまったのか、それとも満足してスロットルを抜いたのか、それは本人にしか分からないことだろう。
CBRがまだ前に出続けている。怪物が乗り移った、長谷蔵源二はそう感じた。限界ギリギリのハズ、背中へ張り付くように死が見えてくる領域。生身をさらしているならなおさらだろう。
自分はこれ以上踏めない、M3もこれ以上のパフォーマンスを出せば死んでしまうだろう、西岡さんとZ31のように…そしてもしM3が死んでしまえばこれ以上ない悔恨の念に押しつぶされることも分かっている。満足して破滅に向かうことは出来ない、まだこの領域にとどまっていたいのだと。M3と嘉田さんが組んでくれた直6ターボは使い捨てじゃない、だからもう前には出ない。
私は私の残像を追う。そうして丸目4灯のリアにノーズを近づけ一定のペースでついていく。これで良いんだ、これで。答えがすべて詰まっている、ようやく見つけた自分の場所。28年の人生の中で、いや、同じ歳の人間の中で私以上に満足している人間などいるまいと長谷蔵は感じた。
「水温、油温ともに限界、オーバーフロー…」
真澄がついにスロットルを抜く。呼応するようにM3もスピードを落としていき、ついに2台の視界からCBRが消える。勝敗は決した、ついに紫の化け物が陥落し正体不明のバイクが記録に残らぬ伝説を残して去っていったのだ。
…以降、このCBRが首都高はおろか東京では目撃されることはなかった。
*
グランフロント大阪南館9F──
「うす、久しぶりっね西岡さん。そちらは嘉田さんでしたっけ?」
「どうも嘉田です。西岡さんから話はよく聞くよ。」
「酒飲める歳になったってな、大島。」
嘉田と共に、久しぶりに大阪に訪れ大島に会いに来た。おっさん2人とツナギ姿の若者には似合わないバーに訪れている。
あの日Z31と最後の走りをしてから3年、俺は死んだL型を降ろしてレストアを試みている。フレームに亀裂は入るしエンジンマウントを変えているせいで純正のVGエンジンすら入らない、ブローの破片が吸排気系に飛び散ったのかその辺りも全取り換えである。まだ形にすらなっていない。
あの日から健吾の姿はなくなった。走ったまま大阪方面へ向かい京都綾部まで帰ったと一報入っていた。荷物は郵送で送り返してやった。
「結局健吾の奴は何がしたかったんやろか?姉ちゃん見つけたのに、そのままぶっちぎって地元帰ったんやろ?何考えてるんやアイツ。」
「言葉交わさずとも分かっちまったんじゃないか?そもそも家族の事を知りたかっただけで一緒に住みたいとかはなかったみたいだぜ。」
「知りたいっつーだけでよぉそこまでやりおったな…」
「一緒に走ってた身としては健吾がどうしてあそこまで喰らいつけたのか不思議でならねぇんだよ。嘉田、お前払われた金以上の事とかやったのか?」
「実を言えば彼のCBRのエンジン、市販の状態とは違ったんだよね。ぶっ壊れてたCPU直してパソコンで解析したらかなり過激なセッティングにしていたようだし、ポート研磨がかけられたような痕跡もあった。持ってこられた時点では死にかけで性能を発揮しきれていなかったけど、直してやれば素性が良いんだからそりゃ速くなるってものよ。」
「そんなことがあったのか…」
「健吾も親父さんの血を引いてるんだから何かの力で引き寄せたんだろうね、あのCBRを。」
健吾とは音信不通になった。大島伝いの地元仲間の情報でも、親にこれまでの隠していることを洗いざらい話してもらった後に高校を辞めた…までしか分からない。その後は自殺したとか全国を旅しているとか憶測ばかり飛び交っている。
親父と同じく、彼もまた残像となったのだろう。亡くしていた自分の家族というピースを見つけ直し、探す途中で見つけた自分だけの世界を求めに行ったのだと俺は推測した。
健吾の姉、真澄と外資社長の長谷蔵はあの後結婚したのだろう。一般女性と結婚、とネットニュースに載っていた。見出しだけで記事までは見ていない…見る必要はない。分かりきっている。
『さぁ最終セクションです先頭を走るはホンダドリーム、その後ろを追うは今年初参戦のHASKRホンダ!』
「鈴鹿のバイクレースか…HASKRって長谷蔵さんのとこの会社じゃない?」
「あぁ、スポンサー始めたんだってな。」
大型テレビのきれいな映像でレースの様子が放送してある。外は暗いがテレビの向こうは明るいのでサブスクの類で引っ張ってきたのだろう。HASKRのバイクカラーはメタリックがかった紫、見覚えしかない、きっと社長夫人の趣味であろう。今年参戦の割には中々良いポジションまで行っている。
『最終コーナー立ち上がり!HASKRが仕掛ける、ホームストレート!どうだ、どうだ…行ったああぁぁあ!HASKR初参戦にして初優勝です!!』
変動する順位プレートにKENGO KUROSAKIの文字が見えたが知ったことではない。もうあの世界の住人ではないし関わることもない、馴れ合う必要もないし自慢の種にもならない。だが…少し安心したというか、知ることができてよかったとは思った。
「マスター、何かオススメを。」
「飲むねぇ西岡さん!」
俺たちが追い続けた残像は決して虚無に向かうものではなかった。追いつき振り切る過程で弱さや迷いを捨て、行くべき場所へと運んでくれた。残像を追い続けた十数年と3年前のあの特別な夏を忘れることはないだろう…
終
200マイルの残像 半熟たまご @Mari-HanjukuTamago
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