第1話 地下アイドル

マッチングアプリを始めて最初に会った女性は、地下アイドルをしている女性だった。2歳年下の22歳である。正直、驚いた。驚いたというのはこの女性が地下アイドルだということももちろんあるが、自分がそんな女性と関わりを持ったことについての方が大きかった。女性は「まい」と名乗っていた。

アプリ内ではほとんど顔も明かしておらず、目だけの画像だった。しかし、目が大きな女性が好きなので何も気にせず(まんまととも言うべきか)やり取りを始めた。

アイドル生活で男性と話すことは慣れているのだろう、メッセージのやり取りもすごく楽しかった。話した内容を掘り下げてくれたり、新たな質問をしてくれたりと、会話は途切れることがなかった。なにより、こちらに興味を持ってくれているという彼女の姿勢が嬉しかった。

程なくしてこちらから、会ってみたいという旨のメッセージを送り、LINEを交換して予定を立てることになった。


当日は恵比寿で待ち合わせをした。これは向こうからの指定である。なぜ恵比寿なのかと問うと、渋谷や新宿はファンに遭遇する可能性が高いからだそうだ。確かに渋谷や新宿はアイドルがよくビラを配っている。ということはそのファンも多いというわけだ。ライブやイベントも渋谷が多いと聞いた。

ちょうど恵比寿にはずっと食べたかった牛タン定食が食べられる店があったので、そこに付き合ってもらうことにした。10月の過ごしやすい時期、彼女は俗に「スナ系」と呼ばれる花柄のワンピース姿で現れた。やはりアイドル。多少写真の加工はあるにしても顔は整っている。二重幅の広い大きな目が特徴の、ロングヘアの女性だった。イメージは「アフタヌーンティーに行ってそう」である。

そんな彼女だが、牛タンはたらふく食べたいということで合流後そのままご飯を食べにお店へ。

注文してしばらくすると楽しみにしていた牛タン定食がやってきた。

向かい側の席に座った彼女も目を輝かせている。一方こちらは、待ちに待ったものが目の前に現れて、正直飛びつきたい気持ちでいっぱいだった。今すぐにあの分厚い肉を口いっぱいに頬張りたい。そんな欲求が自分の中で暴れていた。

しかしてここでがっつかない。女性の前だ。自分はデキる男なのだ。そう自分に言い聞かせた。

ゆっくり食事をしながら


「まいちゃんって、明日もライブあったりするの?」


興味本位で聞いてみると、


「うん!渋谷で!見に来てくれてもいいよ!後方彼氏面!」


と返してきた。地下アイドルの世界について全

く詳しくないが、そんなことをしてバレた時には彼女だけではなく私まで地獄送りになることだろう。


「俺が刺されるからさすがにやめとくよ」

「確かに!それは困る。私のオタク過激派多いから。」


…どのように過激なのかはあえて聞かないことにした。


というようなやり取りを続けたあと、ふとずっと気になっていたことを思い切って聞いてみた。


「まいちゃんってアイドルなのに恋愛していいの?」


彼女は少し答えづらそうにしていた。しまった。と思って慌てて訂正しようとすると、彼女は笑顔で


「アイドルなんてばれてないだけでみんな彼氏いるんだよ。おじさんとチェキ撮るだけじゃやってられない!!」


と答えた。なるほど、アイドルというのは表面的なキラキラした印象だけでは想像もつかないような苦労を抱えているのかもしれない。ステージで輝く彼女達の裏には、若い女の子には耐え難い痛みや悲しみが隠れているのだろうか。

アイドルってすごい。と思うと共に、彼女たちのために現場に通い、イベントやCDに持てる限りのお金を捧げる中年たちのことを思い胸が痛んだ。彼らの立派なオタク魂に敬礼。


「でも優くんだって、すぐに彼女できそうなのになんでアプリなんてやってたの?」


先ほどこちらがしてしまったような、答えづらい質問がお返しかのように飛んできた。

身構える。


「すぐにできそうというと??」


「こんなにかっこよかったら女の子たちほっとかないよ。逆ナンとかされない?」


ポカンとしてしまった。彼女から出てきたのは予想に反して褒め言葉のようなものだったからだ。しかし、逆ナンなんてものは都市伝説である。そんなものが現実で起こるはずがない。あんなものは女性に落し物を拾っていただいたとか、女性とたまたまライブ会場で仲良くなっただとか、そんなことを逆ナンされたと勘違いしている男たちの妄想である。都市伝説は信じないのだ。

実際、マッチングアプリ内でも特段多くの女性から反応をいただいたというわけではない。

この女はいったい何を言っているんだと思った。


「ないよ、普通の出会いすらないのに」


そう返すと、


「たしかにこんなにかっこいいと逆に声掛けられない、彼女いると思うもん」


と彼女は言う。自分は今何を言っても褒めてもらえるのだろうか。別にチェキ代とか払ってないのだが。もしかして彼女と出会った時知らないうちにチケット代とドリンク代を払っていたのだろうか。と思うほど彼女はこちらを肯定してくれた。

もう一度オタクたちに思いを馳せ、心の中で敬礼。今度はついでに心臓を捧げるポーズもしてみた。顔も知らない中年たちが、涙を浮かべてこちらに敬礼を返してくれている気がした。


店を出たあとすぐに解散してもよかったのだが、彼女がアイドルだという話の流れからカラオケに行くことになった。

部屋に入ると、彼女は恥ずかしそうに、だが少し楽しそうにマイクを握った。

彼女がデンモクに曲を入れると、誰もが知っているような大ヒットアイドルソングが流れ始めた。

その後も流行りのアイドルソングから少し昔の曲まで、様々な曲を彼女は歌った。

その姿は輝いていた。衣装を着ているわけではないし、踊っているわけでもない。歌詞の表示されている画面を見つめて笑顔で歌っているだけなのに、それでもものすごく輝いていた。

目が離せない。目を奪うとはこういうことなのかと身をもって体感した。

「アイドルにいそう」と言われるような自分とは全然違う。あんな輝きは放てない。それは天性のものだった。


「楽しいね!」


と笑う彼女を見ながら、ある決意を固めた。


19時頃にカラオケを出て、彼女とはそのまま別れることになった。


「めっちゃ楽しかった!また遊ぼうね!」


という彼女に対して


「うん、俺も。またね」


と告げて、彼女を恵比寿駅の改札まで見送った。

彼女の姿が見えなくなったあと、渋谷まで歩くことにした。歩きながら考えることにした。

彼女に告げた「またね」は嘘である。もう彼女と会うつもりはない。それは彼女との時間が楽しくなかったとか、好みじゃなかったとかそういうわけではない。ただ、彼女のアイドルとしての人生に自分は邪魔だと思ったのだ。彼女が現在売れているか、これから売れるかなんてものは全く分からない。ただ、カラオケでの輝きを目にしてしまった以上、自分はこれ以上この人の邪魔をするべきでは無い。と判断した。

もちろん、彼女にとってはそんなことは関係ないのかもしれない。自分にいい印象を持ってくれたかもしれない。本当にまた会いたいと思ってくれているのかもしれない。

しかし、この選択をしたのは自分だ。恋人が欲しいとあれだけ言いつつ、なりふり構わずに飛び込んでみる事は出来ない。そんな自分の弱さに少し落ち込みながら、彼女と交換していたLINEにお礼のメッセージを送り、携帯の電源を切った。会うつもりは無いというのに、ここできっぱりとブロックという手段をとることができないのは女性経験が少ないがゆえの不安なのだろうか。とにかく自分は情けない男なのだと改めて感じた。


恵比寿から渋谷までの一本道を歩きながら、マッチングアプリでの関係の終わりはこれほどまでにあっけないものかと哀愁に浸る。先程まで仲良く話していた女性とは二度と関わることが出来ない。今回はこちらから関係を断つことを選択したが、向こうから願い下げの時だってもちろんあるだろう。

なんにせよ、また次の女性を探さなければならない。帰ったらまたアプリを開いてみよう。

これが結構億劫なのだが。


マッチングアプリ初戦、大敗北である。

自分が女性を楽しませられたわけでもないし、むしろリードされてしまった。モテる男はエスコートが上手いとよく聞くが、自分には決定的にそれが足りなかった。

反省。自分磨きをしなければならない。



それにしてもアイドル、いろいろ調べて曲聞いてみようかな。


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