しとらすのへや

青海老ハルヤ

しとらすのへや

 ――サイゼリヤにおいて。

 ピッタリ1000円で注文することは、責務である。

 バイ、あたし。


「てなわけで、カルボナーラは決定として、他どうしよっかなー」

 レモンは花粉にやられ、もうそろそろ腫れてきそうな目をこすりながら、注文用紙にPA05と書き入れた。こすればこするほど痒みが増していくのは頭では分かっているはずなのだが、どうしようもなく抗えない。

「レモンまたそれー? せっかくいろんなのあんのに」

 体面に座るユズがいじっていたスマホを置いて、レモンが持っていたメニューを覗き込んできた。ユズは花粉症ではないから春先の今もケロッとしていて、つくづくうらやましい限りである。

「曜日ごとに変えてんの。土曜はこれ。ユズどうすんの?」

 そうは言っても、土曜の午前授業の後でないと、レモンがサイゼに来ることはあまりない。だからレモンは、自分こそがこの店で一番カルボナーラを食べた女だと思っている。さすがに飽きてきたので、そろそろこの縛りをやめてもいいかな、とも考えているのだが。

 店内はランチ時だというのに、空席のエメラルドグリーンが日の光をうけて眩しいくらいに輝いている。学校や駅の近くにそれぞれ別店舗があるのだが、そのどちらからも少し離れたこの店舗は、待たされることもなく長く居座っても気を遣うことがないので、レモンたちはよく訪れていた。

 てか、ドリンクバーつける? レモンが続けて聞くと、ユズはメニューに視線を落としたまま首を振った。

「わたしペン――ペンネアラビアータ? いってみようかな。それかイカ墨パスタ。レモン食べたことある?」

「おーいいね、ペンネはおいしいよ。イカ墨は分かんない。でもそっちいってほしい」

「んな無責任な」

そう言いながらユズは注文用紙にPA25と書き入れた。ちぇ、とレモンはくちびるを突き出してみる。イカ墨パスタちょっと気になってたのに。

「なら自分で頼めばいいでしょー」

 心を見透かしたようにユズも目を開いて口を突き出した。だってさー、とも言ってみたものの、

「あたしさー、死んだばあちゃんに誓ってんの。曜日ごとにメニュー変えんの」

 たいした理由なんてない。1000円縛りと一緒だ。

「ふーん……ばあちゃんの名にかけて?」

 ユズはメニューから目を離さずにせせら笑った。横に置かれたカバンについているキーホルダーの鈴がしゃらしゃら鳴る。クラスメイトの前と目の前のユズはまるで別人のように良い性格をしている。

「そう、ばあちゃんの名にかけて」

「ばあちゃん名前なんていうの?」

「えー、ジャン高山?」

「だれだよ」

 やっぱドリンクバーつけようかな、とユズは興味なさげに呟いた。じゃ、あたしも、とDB04の右に2とつけてもらう。ランチセットのドリンクバーはとても安い。レモンの好きなように頼むとなぜか900円になりがちなので、100円のそれはとても便利なのだった。残りはいくらだったっけ。

「え、レモンじゃん」

「んえ?」

 急に名前を呼ばれレモンが顔を上げると、クラスメイトの男子の顔があった。え、えと、名前は、

「清見くんじゃんー、さっきぶりー!」

 ありがとうユズ! レモンは心の中で呟いた。2年生になって初めて同じクラスになった子はまだ名前がはっきりしていない。どうにも、人の名前はポロポロと脳が取りこぼしてしまう。

 その点ユズはすごい。振り向きざまにピタリと名前を言ってのけた。声だけで分かったのだろうか。もうクラスのみんなの名前を覚えているのだ。

「なんでこんなに遠いところに来てるのー?」

 少し語尾が長いのはいつものユズだ。貼り付けたようなにこやかな顔も。清見くんは少し斜め下を向いて「俺ん家こっちだから」と声が小さい。

「お前らこそ、どうしてこんなとこに来てんのさ」

「ここゆっくりできるし……ちょっと遠いけど空いてるからさぁ。清見くんは1人?」

「いや、さっきまで石地と食ってたんだけど、急に部活行かなきゃいけないらしくて帰った。あいつ忘れてたらしくてさ」

 金払わずに帰りやがったよ。そう軽く笑って、んじゃ、と清見くんはレジへ向かった。聞こえない距離まで離れたのを見計らって、はぁ、とユズはため息を吐いて肘を着く。

「レモンさ……清見くんの名前、忘れてたでしょ」

 また意地悪くせせら笑うユズに、清見くんと話していた時の面影は無い。その落差は何度も見てきたはずなのだが、レモンは未だに動揺する。

「えへ……バレた? てか顔変わりすぎでしょユズ。変面みたい」

「まあねぇ。もう癖になっちゃって、自分でも直せないんだわ、これが」

 急に再びにこやかになったユズに後ろを振り向くと、清見くんが手を振っていた。店を出て再度肘をつける。その動作の流れは滑らかだ。

 「レモンは気が置けなくて嬉しいわーわたし」

「あ、なんだっけ。気が置けない方がいいんだっけ。岩谷が言ってた」

 岩谷とはレモンたちの高校で国語を教える初老の男性教師である。

「そぉそぉ。よぉく覚ぇてるねぇ、レぇモンぢゃん」

「似てる! キモ!」

 そのタイミングでネコ型配膳ロボットがレモンたちの机を逃げるように通り過ぎていった。ほらーキモイなんて言うから猫ちゃん傷ついちゃったじゃん、なんてユズが言って笑う。目を擦ると目ヤニが少し落ちた。


 もう3杯目のジンジャーエールをレモンが取って戻ってきたところで、ようやくユズがペンネアラビアータを食べ終えた。ユズは口が小さいから食べるのが遅い。

「ごちそうさまでした。あ、レモンわたしアンタスカッシュ取ってくるね」

「はーい」

 ユズは「レモン」が着く飲み物を言葉にする時は「アンタ」と言う。よく分からないが気に入っているらしい。スマホを取り出すともう2時半だった。

 通知をいくつかスワイプして消していると、ユズが早歩きで戻ってきた。興奮した様子で指を指すその手には、レモンスカッシュではなくスマホが光っている。

「ね! レモン! コレ見て!」

 見てみるとインスタのクラスメイトのストーリーである。ふたつの手が交差して、スターバックスの何やら名前の長そうな飲み物を写している。

「これハルカのだよ!」

「えっ嘘! ハルカ付き合ってんの!?」

 ハルカはレモンたちの去年からのクラスメイトである。男勝りの性格で男っ気がなさそうということにかけては1番だった。

「え、相手誰……え、宮川じゃね?」

「宮川!? ええと、1年の時2組の?……えてかユズ待った、なんで分かんの」

 ストーリーに写っている体の部位は少し明るく加工してある手だけ。それ以外には特段何も写っていないはずなのだが。

「や、多分だけど、爪の形とかが宮川っぽい……? あいつホクロとかないし」

「……あたしそれが分かる方がオドロキだけど。今宮川3組だっけ?」

「そうそう。体育の時一緒だったじゃん? えー、マジか……」

 宮川アリだったんだけどなぁ。そう呟きながらユズは突っ伏した。なのに落ち込んでる様子はなく、すぐさま宮川のインスタのアカウントを探し始めたので、レモンはジンジャーを少し飲んでまたスマホに目を落とした。

 まただ。目が痒くてまた目を擦ると、視界が歪んでスマホが見れなくなった。今度はハンカチで強く目に押し当てる。ジンジャーエールで目を洗えば少しは花粉症も良くなるだろうか、なんて。

 恋愛の話をする時、いつもレモンは少しユズが怖いと思ってしまう。レモンは恋愛経験が大してないのもあるが、ユズの口調は恋愛をゲームかなにかかと思っているようだ。

「あ、これか、宮川。あー、やってんなコレ」

 ユズが見せてきたスマホの画面には、仲睦まじい男女が手を握り合う様子が軽く掛けられたモザイクの先に見えている。前情報があるせいか、レモンにはその手の主はハルカとしか思えなかった。

「鍵もかけずによーやるわ。やっぱナシかも」

「え、そうなの?」

「え、わたしこういうのないわ。ハルカはまださ、鍵かけてるし幸せな気持ちを共有したいんだろなって感じだけど、なんていうんだろうな、宮川のは……トロフィー? 感がすごいのよ。ほんとに大事されてんのかなー? ハルカさ」

「……そういうもんかなぁ」

 スマホに目を落としたまま、毒を吐くユズもまた怖い。それでも怖いのを隠してレモンは頷いた。別に写真を見てもそんな風には思わなかったけれど、恋愛の場数を踏んで大人になればそう思うのかもしれない。やっぱり目がかゆい。擦るとまた少し目ヤニが落ちた。それでも目の痒みはまだ続く。いつかもし私も恋愛をしたら、あたしもユズのようになるのだろうか。

 もう出よう。ジンジャーエールを少し残してユズはスマホを置いた。500円玉1枚取りだしたユズに慌ててレモンは財布を取り出す。またね野口、なんつって。

 その瞬間、ユズの柔らかい表情が固まった。そんなにつまらなかったのだろうか。だが、ユズは気にもかけず、じっとなにか一点を凝視している。レモンが振り向くと、店の入口に男女二人が立っていた。

「あれって……マドカ? ……と」

「4組の河内。去年私たちと一緒のクラスだった」

 またレモンが振り向くと、普段通りのユズがいた。固まったように見えたのは錯覚だろうか。

「分かる分かる。数学めっちゃできる河内よね」

「そうそう。……へー、あいつらそういう……」

 チョイチョイ、とユズが座るよう手を振り下げた。だって気になるじゃん。そう目が言っている。

「あいつらって関わりあったっけ」

「ユズが知らないのにあたしが知るわけないじゃん」

「そりゃそうか」

 そう小声で言いながらユズはじっと2人を見つめている。尋常でない気配を感じてレモンは黙った。人の恋愛にそこまで本気になるものだろうか。そう聞けばユズは「わたしの趣味みたいなもんだからねー」と言うに違いない。……違うだろうか。

 2人はこちらに気が付かないまま、窓から離れた席へ座った。声は聞こえない。どうも、微妙な距離感をしているようにレモンには見えた。ああ、とユズが言った。

「そういえばマドカ、この間ボランティア行ってたわ」

 それだ、とレモンは無言のまま口を大きく開けてユズを指さした。新学期が始まる前、体育館のペンキの塗り直しがボランティアで行われ、河内はその実行委員だったはずだ。

「でもそんな1回で……?」

「……そうよね」

 歯切れ悪いユズも珍しい。少し考える素振りをして、でも、その目はマドカたちに向かって注がれている。

「レモン」

「なに?」

「ごめんだけどレモンティーお願い」

 どうやら長そうだ。レモンは小さくため息を着いて席を立った。


 1時間ほど経って、「ごめんそろそろ帰るわ」とレモンはカバンに充電の切れかけたスマホを入れた。もう何回ドリンクバーを取りに行ったか分からない。しかも河内とマドカどちらかにかち合わせないよう神経を使ってだ。なのに、ドリンク以外に河内とマドカに特に動きは無いし話も聞こえない。トイレは河内とマドカの座る席の向こうにあるのでユズには止められていた。さすがに限界だ。

「レモンごめんもうちょい待って」

 ユズが小さくつぶやいたが、レモンは首を振って「塾あるから」と財布を出した。それは本当だ。だから仕方がないのだ。

「待ってレモン座って! あれ!」

 ユズが後ろを指さした。振り向くと河内とマドカが立とうとしている。もう店を出るようだ。

「行くよ!」

 ええ、とレモンは思わずため息を漏らしたが、河内とマドカが店を出てすぐユズはレジへつかつかと歩いていった。先行ってて、と背中に声をかけてレモンはトイレに向かう。

 先行ってて、ということは後から行かなきゃ行けないのか。手を洗いながらレモンは鏡の中の自分を睨みつけた。今回ばかりはさすがにユズには腹が立つ。

 別にさっさと帰ってしまえば良かったんだ。バレたところで困るのはマドカたちだけだ。それでこのサイゼに来にくくなったとしても、ユズはきっと自力でその関係を洗い出すだろう。

 ポケットにハンカチがないのに気づいてレモンはパッパッと手を振った。さっき目の痒さにハンカチでゴシゴシ擦って、それで手提げバックの中にでも間違えて入れてしまったんだろう。思い出してしまってレモンは目をキュッと閉じた。

 テーブルに戻ると伝票はもうなかった。レモンはカバンの中を探してハンカチを探し、案外早く見つかってしまって次は目薬を探した。ああ目が痒い、目が痒い。

 あれだけ待たされておいて今度はあたしが待たせている。これがアイロニーというやつか。岩谷が言っていたのを思い出してに思わずニヤける。いや、違う。

 あたし別に怒ってるわけじゃない。


 レモンが外に出ると、ユズは通りで立ち尽くしていた。

 何かに取り憑かれたように、まっすぐ通りの先を見つめている。その視線の先に、マドカと河内がいた。

 歩道を歩く二人は、まだすこし距離があるようだった。二人は止まった。道を渡るようだ。レモンが目を凝らしてもよく見えない。けれど、信号が変わる瞬間、マドカがふと足を止めて、何かを言ったのがわかった。そのときだった。

 河内がそっと手を差し出し、マドカの指に触れた。どうしてかそれだけがはっきりと見えた。

 ほんの一瞬、でも確かに、指が絡んだ。

 それだけだった。信号が変わって、すぐに2人は見えなくなった。

 なのに、ユズはその場から動けなくなっていた。

「……ユズ?」

 レモンが声をかけると、ユズはゆっくり振り返った。

 頬に、涙が一筋流れていた。音もなく、表情も変えず、ただ落ちた。次の瞬間には、ユズは目をそらし、手のひらでそれをぬぐった。

「……なに泣いてんの、あたし」

 かすれた声だった。

 レモンは何も言えずに立ち尽くしていた。

 まさか、という思いが頭の中をぐるぐると回る。なにか、なにか言わなければ。

「あ、あれかも、2人は幼なじみで、それで――」

「違う!」

 違うの……。か細い声と共にユズは座り込んでしまった。ユズはクラスの恋愛のことならレモンよりたくさん知ってしまっていた。

 もう何を言うべきかレモンには分からなかった。そうだハンカチ、とポケットをまさぐっても何も無い。バックの中だ、と思って下を向くと、いつの間にかレモンは手提げバックから手を離してしまっていて、空いたチャックからハンカチと教科書が雪崩出ている。

 外に出た面を裏返してハンカチを渡して、それからレモンがさっきそれで目をこすったのを思い出して「あ」とだけ声が出た。だがユズは何も言わず目に押し当ててしまった。強く握ったハンカチはくしゃくしゃになってしまっている。

それを見ているうちに、レモンの胸の奥に、ふっと風が抜けたような感覚が残った。何かがほどけてしまう、そんな頼りなさに、思わずレモンはユズの肩を握った。あまりにも華奢で、少しあたたかくて、震えている。花粉交じりの風を、吸って、吐いて、レモンは目を閉じた。今はかゆくないことが、なぜかむしろ嫌だ。

「ごめん」

 自然と口に出ていた。自分で言っておいて、何がだろうとレモンは思ったが、輪郭を持たせるのが怖かった。ひどく冷たい手がレモンの中をうごめいている。

 まるでサイゼで1000円を超えてしまったかのようで、小さなユズの背中に、レモンはなぜか「安心」の文字を浮かべていた。

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しとらすのへや 青海老ハルヤ @ebichiri99

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