第8話 悪役令嬢は願う

 「もう元気になったのかい、アル」


 アルベルトはアルルの顔が見えない。なので抱きついたままである。


 「え、ええ、元気ですわよ」


 自身が倒れていたことを知らないアルルは戸惑いを滲ませながら答える。


 「そうか、それなら良かった。どうなることかと心配したんだ。もしも。もしものことがあったらどうしようかと」

 「わたくし……死にかけていたんですの?」


 アルルは困ったように苦笑を浮かべながら私に問いかけてくる。

 死にかけていたか、否かであれば、まあ死にかけていた。

 薬がなかったとしたら、もしかしたら……ということはありえた。


 正直に言うか否かという点で若干迷ったが、誤魔化したところでどうしようもないよなという結論に至り。二度大きく頭を縦に振った。


 「そうですのね。言われてみれば身体が少し怠いですわね。気怠いですわ」

 「アル? それは本当かい。まだ完治していなかった、ということだね」


 アルベルトはなんか馬鹿みたいなことを言っている。

 アルルは薬の力で熱が下がっているだけで、根本的に風邪が治癒したわけじゃないのだろう。あくまで解熱剤で熱が下がっただけ。

 実際のところどうなのかは知らないが、そうなんじゃないかと思っている。少なくとも日本で生きていた時の知識ではそう考えるのが自然。

 大体、そうでなかったとしても、病み上がりなんだから身体が気怠いのは自然なことなのではと思う。

 娘が心配過ぎて馬鹿になっている。


 「……お父様。色々言いたいことはあるのですけれど」

 「なんだい。アル。遠慮なく言いなさい」


 そんな会話をしている間も抱擁をし続けている。

 なんだかんだもう三分くらい抱き合ってから経過している。

 長い。いつまで続けるのだろうか。


 「そろそろ離していただけませんこと? あまりにも暑苦しいですわ」


 アルルが音を上げた。

 最初から嫌そうな顔をしていたことを考えると、まあ耐えた方なんじゃなかろうか。


 「おっと、すまない」


 アルベルトは両手を上げて、アルルから距離をとった。

 もっとあれこれ言い訳して離れないと思っていたので、すっと素直に離れるのは結構以外だ。


 「お父様。わたくしはどうしてここにいますの?」


 ベッドの上でちょこんと正座するアルルはアルベルトに問う。


 「おや? そこのお嬢ちゃんから話は聞いていないのかい?」


 アルベルトは不思議そうに私のことを見てくる。


 「聞いていませんわ。聞いている途中でしたの。お父様が突然部屋に入ってきて、わたくしたちの会話を邪魔したせいで聞けなかったんですわ」


 嫌味ったらしくアルルはアルベルトへ告げる。

 悪意マシマシであるのにも関わらず、アルベルトは嫌な顔一つしない。


 「そうかそうか。それはすまなかったな。アルは風邪を引いていたんだ。それでここに運ばれてきたんだ。そこの嬢ちゃんがアルを運んできてくれたんだ」

 「ハルですわね」

 「嬢ちゃんはハルって名前なのか。アルの命の恩人だ。ハルの名前。しっかりと覚えておこう」


 財務大臣。公爵家の当主に、名前を覚えてもらう。それって本来かなり光栄なことなのだろう。

 言ってしまえば、コネを作ったようなもん。

 でも私は貴族と必要以上に関わって生きていくつもりはない。

 未だにのんびりまったり異世界ライフを夢見ている。

 貴族とコネを作ったところでそれを使う時はこない。むしろ変なしがらみができて面倒そうだなとさえ思う。


 あと水野春奈。ミズノ・ハルナである。

 どうせ覚えるならちゃんとした名前で覚えて欲しいなって気持ちがある。まあわざわざ指摘するほどじゃないが。


 「……ハル。感謝しますわ。わたくしを助けてくださったこと」


 膝に手を乗せ、まじまじと私を見て感謝を告げてくる。

 感謝されるようなこと……はしたな。したけど、これって私がやりたくてやったこと。いわば自己満足なのだ。

 自分のためにやった行いで感謝されるのは正直気まずい。


 「そうですわ。お父様。なにか褒美を与えるべきですわ。身分を問わずに信賞必罰をする。それがエルサレム家の信条ですわよね。であればハルには褒美を与えるべきですわ。それともわたくしがいない間に変わってしまいましたの?」

 「まあ待てアル。落ち着け」

 「わたくしは至って落ち着いてますわ」

 「とりあえず薬を飲め……」


 アルベルトは私に押付けていたコップと薬を回収し、アルルに渡した。アルルはそれを飲む。そして「うげ、にが……」とくしゃっとした顔を見せる。


 「ハルにはもちろん褒美を与えることになっている。しっかりと要望も聞いた」

 「なんだ、そうでしたのね。てっきり褒美を与えないのかと思っていましたわ。さっさと言ってくだされば良かったのに。お父様ったら隠しちゃって。困りますわ」

 「アルが早とちりしたん――」

 「なにか言いまして?」


 アルルは圧をかける。

 家を追い出された人間だからできる芸当なのか。それとも普段からこんな感じなのか。ちょっと私にはわからない。追い出されて一応赤の他人だから強気な姿勢を見せられると見ることができるし、いつものノリのようにも見える。


 「……とにかくそういうことだから。安心してくれ」

 「ええ、そういうことなら構いませんわ。……では、わたくしはハルが褒美を受け取り次第出ていきますわね」

 「出ていかなくていい。アルはここに残ってくれ。またエルサレム家として迎え入れる」


 ごほんとわざとらしい咳払いを挟んだアルベルトはさっきまでの親バカみたいな雰囲気とは打って変わって、真面目な口調でアルルへ告げる。

 これで一件落着。

 すべて丸く収まった。


 アルベルトはアルルを家に連れ戻す免罪符を得て、アルルは慣れ親しんだ場所へ帰ることが出来た。

 これが綺麗な形なのだ。と、わかっていてもほんのりと心の中には寂寥が滲む。


 「どうしてですの?」


 アルルは不思議そうに首を傾げている。


 「ハルとそういう約束をしたからだ」

 「なるほど……」


 アルルは口元に手を当てて、少しだけ俯く。

 かと思えば、すぐにパッと顔を上げた。


 「遠慮いたしますわ! わたくし、ハルと暮らすって約束してますの」


 アルルは立ち上がる。ベッドの上で不安定ながら腕を組む。アルベルトを見下ろすように見ている。


 「アル、これはハルと決めた話なんだ」

 「拒否いたしますわ。わたくしは一度この家から追い出された身。やったことはそう簡単に消えませんわ。甘えるわけには行きませんの。それに、ハルに救われて、ハルと共に暮らしたいって思いましたわ」

 「…………」

 「だから、お父様。わたくしはお父様の元に戻るつもりはありませんの」


 改まって宣言をした。

 ひょいっとジャンプをして、ベッドから飛び降りる。

 それから私の元へとやってきた。


 「ハル。さっきの通りですわ。わたくしはここに戻るつもりはありませんの」

 「もしも私がやっぱり家にあげないって言ったら? どうする?」

 「そうですわね……ここで大泣きして駄々を捏ねますわ。それでもダメなら……また一人で放浪して、ハルが助けに来るのを待ちながら死ぬことになりますわね」


 アルルの熱に私は押し負ける。

 そんなこと言われて、それでも拒絶できるほどできた人間ではない。


 「そっか」

 「そうですわ」


 アルルは私の手を優しく握る。


 「わたくしを、連れ帰ってくださいまし」


 アルルのためにという建前も消滅してしまった以上、これを拒否する理由はない。もちろん私の心も嫌だとは思っていない。

 だから答えはもう決まっていた。

 私は、悪役令嬢アルル・エルサレムを連れ帰ることになった。

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