がんばったって、誰かに言ってほしかっただけ。
わたふね
短編
放課後の教室は静かで、まるで誰かの帰りを待っているようだった。
私は黒板に書いたノートのまとめをしていて、気づけば窓の外は赤く染まりはじめていた。
「……まだ残ってたんだ」
声がして振り向くと、部活帰りの犬飼くんが教室の扉にもたれていた。
汗をかいた髪が少し乱れていて、ユニフォームの襟元を指でつまんであおいでいる。
「うん。板書、撮り忘れてて……犬飼くんこそ、早くない? 部活」
「……今日は、早めに切り上げた。なんか、調子出なくてさ」
いつもの元気な笑顔は影を潜めて、彼の表情はどこか浮かない。
「大丈夫? ケガ?」
「ううん、そういうのじゃないけど……今日さ、監督にも仲間にも言われちゃって。
“判断遅い”とか“声出てない”とか……正論だから何も言えないんだけど、なんか、こう……」
彼はふと黙って、自分の手をじっと見つめた。
「……がんばってるのにな、って思っただけ」
ぽつりとこぼれた言葉に、胸の奥がきゅっとなる。
普段は誰よりも明るくて、ムードメーカーで、みんなの中心にいる彼が――
こんな顔をするなんて。
私はゆっくり立ち上がって、彼のそばに寄る。
「……犬飼くんは、がんばってるよ。今日だけじゃなく、いつも。私、ちゃんと見てた」
そう言うと、彼は少し驚いたように目を見開いて、それからふっと笑った。
でも、その笑顔の端っこは、少しだけ寂しそうで。
「……なでて?」
「え?」
「なんかさ……今日、いっぱい言われたから……」
「だれかに“よくやった”って言ってほしかっただけ、かも」
そう呟いて、彼は私におでこをすっと向けてくる。
その仕草が、あまりにも犬みたいで――
私は笑いながら、そっと手を伸ばした。
「よしよし、えらいぞ、犬飼くん」
「……うぅ、やばい、それ言われると泣きそう……」
くしゃっと目を細める彼の髪に、やさしい夕陽が差し込んでいた。
がんばったって、誰かに言ってほしかっただけ。 わたふね @watafune
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