第10話
「朝音ちゃん、アイドルやってんだね」
「……っ!」
その時は、唐突に訪れた。
私はお兄さんのライブを観に来たはずなのに、お兄さんに問い詰められている。
彼は、私の正体を知らなかった。
つい先日まで、気づく素振りすら見せなかったのに、何故、どうして……。
いや、答えは明白だ。
あの人が。
あの怖そうな女性が、バイト終わりにお兄さんに話したのだ。
私の正体が、アイドルであることを。
お兄さんと、私の関係を引き裂くために。
「些細なきっかけで知っちゃってさ。色々と調べたし、ライブ映像も見たよ」
「……あ、う……ぁ、あぁ……」
私は、言葉が出なかった。
冷や汗が流れ出し、動悸が激しくなり、意識が朦朧とする。
今までに積み重ねてきた全てが崩れ去って、底の見えない穴の中へと落ちていく。
本当の私を見てくれていたお兄さんが、アイドルとしての私を知った。
普通の女の子ではなく、国民的アイドルとして認識してしまった。
その事実が、重くのしかかってくる。
私は、逃げられなかった。
どれだけ目を背けようとも、過去は消えたりしない。
一度でもアイドルとして生きた以上、アイドルとしての自分は何処までも付き纏ってくる。
そう突きつけられて、吐き気がした。
いっそ、全部吐き出したかった。
アイドルとして生きた過去も、地獄に引き摺り込もうとする両親も、いつまでも弱い自分も。
全てを投げ捨てて、生まれ変わりたい。
歌を歌いたいという未練に縛られず、もう少し早く行動していたら。
こんな思いはせずに、済んだのに。
私がアイドルである事を知って。
お兄さんは今、何て考えているのだろうか。
こうやって尋ねてきたという事は、何かしら関心を抱いているのは事実。
見る目が変わったのは、確かである。
もしかしたら、本当の私を見なくなって、アイドルとしての私を見るようになるかもしれない。
……それだけなら、まだ良い。
よくないけれど、何とか耐えられる。
でも、もっと最悪なのは。
お兄さんが、私と距離を取ろうとすること。
国民的アイドルと会う事で、変な噂を流されるのを嫌って、私から離れて行ったら。
きっと、生きていけない。
歌えなくなる上に、心の拠り所を失ったら私は、絶対に死に……。
「それで、ライブの感想なんだけどさ……オレは、心の底から、感動したっ!」
「……!?!?」
不意に、手を掴まれる。
反射的に、お兄さんの顔を見ると、彼は満面の笑みを浮かべていた。
それこそ、子供みたいに目を輝かせながら。
「歌もダンスも、マジでクオリティ高すぎるぜ。曲に合わせてファンと一緒にライブを盛り上げるコーレスとか、一体感ハンパなくて涙が出たくらいっ! なんていうかなー、自分の世界に引き込む力、見てる側も壇上に引き上げる魔力がずば抜けててさ。そりゃ、人気でるよなって納得させられたよ。アイドルってコンテンツに触れるのは初めてだったけど、オレもファンの一人になっちまった」
「あ、ありがとう、ございます……?」
思わず、戸惑ってしまう。
だけど、本当に……嬉しかった。
お兄さんは、何も変わらなかった。
アイドルとしての私を知っても尚、歌が大好きな本当の私を見てくれていた。
偏見の目を向けることも、避けることもせず、ありのままの姿で接してくれていた。
その上、本当の私が歌う姿を愛してくれた。
ファンになった、とまで言ってくれた。
お兄さんの言葉を頭の中で反芻する度に、泣きそうになってしまう。
私は、理解者と出会えた。
本当の私を見てくれる存在と巡り逢えた。
お兄さんと出逢うのは、運命だったと思えた……それなのに。
「朝音ちゃん」
「は、はい」
「もう一回……アイドル、やってみない?」
「……っ!」
お兄さんから飛び出たのは、予想外の言葉。
絶対に言われたくない言葉だった。
何故、どうして。
そんな疑問が、脳内を埋め尽くす。
「ごめんなさい、私には、無理です……」
「なんでさ」
私の考えが理解できないとでも言いたげに、お兄さんは首を傾げる。
すごく、もどかしかった。
彼は、分かっているはずなのに。
私の気持ちを知り尽くしている、私の理解者である筈なのに。
なんで、そんな意地悪を言うのだろうか。
「私は、お兄さんの歌が聞く時間が大好きです。貴方の輝きを、一番近くで見続ける。そうするだけで、心が満たされます。だから、アイドルは……もう、良いんです」
「ウソが下手だね、朝音ちゃんは」
取り繕った発言は、即座に切り捨てられる。
今も尚、お兄さんは、私を見ていた。
声色も表情も、真剣そのもの。
普段のへらへらとした表情ではなく、真摯な姿勢で対話しようとしてくれていた。
そんな彼の姿を見て、ようやく気がついた。
お兄さんは、意地悪を言っている訳ではない。
いままで本当の自分を隠していた、私の気持ちを探ろうとしてくれているのだと。
「歌を歌うの、大好きなんだろ? その気持ちにウソをついちゃダメだ。……もしも、キミがアイドルじゃなかったら。ただのファンだったなら、オレの歌で救えたかもしれない」
「…………」
「でも、朝音ちゃんは立派なアーティストだ。歌う快感を、自由になる気持ちよさを知ってしまってる。だから、絶対にオレじゃ救えない。キミのことは、キミ自身しか救えないんだよ」
「そ、れは……」
「一緒に歌ったから分かる。キミはオレと同じ人種だ。歌を歌わなきゃ呼吸ができない。フツーに生きると息苦しくて死んでしまう……歌わないで生きるなら、死んだ方がマシだと考えてる人間なんだよ」
お兄さんの発言は、全て正解だった。
私の心中を的確に言い表していた。
恐らく、一緒に歌を歌ったり、ライブの映像を見て、こちらの真意を感じとったのだろう。
実際に、私が観客の前で歌って踊る事を楽しんでいたのは事実だった。
けれど、そんな彼でも……心の奥底で、私がライブ以外のアイドルとしての活動を嫌悪している事までは読み取れなかった。
だからこそ、今こうやって、対話している。
私に嫌われる事を覚悟した上で、精一杯向き合ってくれている。
本音を聞き出そうと、努力しているのだ。
「お兄さん」
「……はい、なんでしょう」
「ちょっとだけ、考える時間を下さい」
心に決めた。
お兄さんが私と向き合ってくれるのならば、私も自分の心に嘘をつくのをやめる。
もう、遠慮したりしない。
自分の心に従って、これからは生きていく。
そして、絶対に……お兄さんに告白する。
私に希望を与えてくれた貴方と、ずっと一緒に生きていきたいという、本心を伝えてみせる。
「いくらでも考えなさいな。そもそも、キミが決める事なんだから、オレの了承を得る必要はないよ」
「そうはいいますが……元はと言えば、お兄さんが言い出した事です。絶対に、他人事にはさせませんよ。ちゃんと、責任をとって貰います」
「せ、責任……?」
ようやく、自覚した。
はっきりと、胸を張って言える。
……私は、お兄さんのことが好きだ。
狂おしいほどに愛している。
今まで、他人と壁を作って生きてきた私が、特定の個人に執着するのは初めて。
これは、間違いなく初恋。
だからこそ、絶対に成就させたい。
お兄さんにも、私を好きになって貰いたい。
「連絡先、教えてください」
「れ、連絡先ぃ……? で、でもぉ……未成年の女の子と個人的なやり取りをするのは、一介の大人として色々とマズいと思いまするぞ」
「まさか、ダメとは言いませんよね? 事情を察しておきながら、アイドル復帰を迫ってきて。私に嫌な事をさせようとしているお兄さんが、私の願いを跳ね除けるなんて、嫌な事をしませんよねっ!」
故に、私は最善を尽くす。
アイドルとして生きた過去は忌々しいけれど、捨てるわけにはいかない。
もしも、アイドルを辞めたいと伝えたら……私とお兄さんはアーティストとファンの関係に戻る。
そうなれば、絶対に恋人にはなれない。
心理的な距離が縮まる事はないと断言できる。
だから、今は言わない。
お兄さんが……私のファンだと言うのなら、アイドルとしての立場を最大限利用する。
アイドル復帰の手伝いを口実にして、お兄さんと関わるチャンスを獲得する。
そうして、少しでも一緒に行動する。
お兄さんに、アプローチする機会を作る。
「分かった。そこまで言うなら、教えようじゃないか。だけど、オレ……割とズボラだから。あんまり返信できんかも知れんけど」
「いえいえ、交換して頂けるだけで有難いです。お兄さん、私……自分なりに、頑張ってみます。だから、ちゃんと目を離さずに見ていてくださいね?」
敢えて、少し大袈裟にあざとい仕草をすると、お兄さんは僅かに頬を赤らめる。
私は、狡い女だ。
アイドルとしての自分が嫌いなくせに、都合よく利用しようとするくらいには性格も悪い。
純粋なお兄さんには相応しくないかもしれない。
お兄さんには、私よりもっと良い相手がいるかもしれない。
でも、そんなの関係ない。
私は彼と、絶対に両思いになってみせる。
これから、何が起きるか予想できない。
だが、それでも一つだけ分かっている事がある。
コンビニで、お兄さんと一緒に働いていた人。
私に明確な敵意を向けて、お兄さんに私の正体を話したであろう……銀髪の怖そうな女性。
あの人も、絶対にお兄さんのことが好きで。
……間違いなく、私の敵であると。
◇
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