第6話
「ごめんなさい、私には、無理です……」
「なんでさ」
「私は、お兄さんの歌を聞く時間が大好きです。貴方の輝きを、一番近くで見続ける。そうするだけで、心が満たされます。だから、アイドルは……もう、良いんです」
「ウソが下手だね、朝音ちゃんは」
指摘すると、朝音ちゃんは動揺を見せる。
図星を突かれた、とでも言わんばかりに。
映画やドラマに出演したり、ファンの対応をしたり、インタビューを受けたり。
ステージの外の朝音ちゃんは、明らかにアイドルとしての仮面を被っていた。
あくまで事務的に、己に求められた役割を淡々とこなしていた。
でも、オレは、知っている。
ステージ上の朝音ちゃんの姿を……オレと初めて会った時に全力で歌っていた姿を。
アイドルとしての仮面を取っ払って、心の底から楽しそうに歌の世界に浸る姿を知っているのだ。
人間は、自由じゃない。
生きるためには何かしらのコミュニティに属して、適応して、金を稼がなくちゃいけない。
会社とか、法人とか……その他諸々。
誰にも頼らずに生きる人間なんて、ごく少数。
大多数の人間は、何かに縛られて生きている。
きっと、それは朝音ちゃんだって同じだ。
アイドルとして、色んな鎖に縛られて生きてきて、心を病んだのは事実なのだろう。
でも、歌ってる時は、自由だ。
世俗の物事も、ちゃっちい悩みも、煩雑な人間関係も、忘却の彼方に追いやって、歌に浸れる。
自分を曝け出して、心で叫ぶ事ができる。
それは、何にも変えられない体験。
一度ハマったら病みつきになる快感。
オレは、すっかり夢中になっていて。
……朝音ちゃんも同じだと言い切れる。
だって、歌っている時の彼女は……オレの曲を聴いている時の、何倍も楽しそうなのだから。
「歌を歌うの、大好きなんだろ? その気持ちにウソをついちゃダメだ。……もしも、キミがアイドルじゃなかったら。ただのファンだったなら、オレの歌で救えたかもしれない」
「…………」
「でも、朝音ちゃんは立派なアーティストだ。歌う快感を、自由になる気持ちよさを知ってしまってる。だから、絶対にオレじゃ救えない。キミのことは、キミ自身しか救えないんだよ」
「そ、れは……」
「一緒に歌ったから分かる。キミはオレと同じ人種だ。歌を歌わなきゃ呼吸ができない。フツーに生きると息苦しくて死んでしまう……歌わないで生きるなら、死んだ方がマシだと考えてる人間なんだよ」
包み隠さず、全部言った。
オレが伝えたい事は全部。
個人的には、もう満足ではあるが……朝音ちゃんは、見るからに心が揺れていた。
俯きがちになって、握り拳を作る。
今の朝音ちゃんが、どんな表情をしているのか、確かめる手段はない。
けれども、予想は出来る。
恐らく、彼女は泣きそうになっているだろう。
色々な感情がないまぜになって、心がぐちゃぐちゃになっているに違いない。
そう考えると、申し訳ない気持ちになってくる。
朝音ちゃんにとっては、災難だ。
純粋にオレの曲を聴きにきただけなのに、訳のわからぬままトラウマをほじくりかえされて。
我ながら、ウザいにも程がある。
絶対に、嫌われただろうな。
つーか、オレなら絶対に嫌いになるね。
余計なお世話じゃクソジジイと、面と向かって言っちゃう自信すらある。
「お兄さん」
「……はい、なんでしょう」
「ちょっとだけ、考える時間を下さい」
だけど、違った。
顔を上げてオレの顔を見据えた朝音ちゃんは、一滴も涙を流しておらず。
覚悟を決めようとしてるような、とても凛々しい顔つきをしていた。
……どうやら、彼女は、オレの想定よりも強い人間だったみたいだ。
「いくらでも考えなさいな。そもそも、キミが決める事なんだから、オレの了承を得る必要はないよ」
「そうはいいますが……元はと言えば、お兄さんが言い出した事です。絶対に、他人事にはさせませんよ。ちゃんと、責任をとって貰います」
「せ、責任……?」
思いもよらぬ発言を前に驚きを隠せない。
そんなオレの姿を目にした朝音ちゃんは、小悪魔のような笑みを口元に浮かべた。
「連絡先、教えてください」
「れ、連絡先ぃ……? で、でもぉ……未成年の女の子と個人的なやり取りをするのは、一介の大人として色々とマズいと思いまするぞ」
「まさか、ダメとは言いませんよね? 事情を察しておきながら、アイドル復帰を迫ってきて。私に嫌な事をさせようとしているお兄さんが、私の願いを跳ね除けるなんて、嫌な事をしませんよねっ!」
こ、怖い……。
確かに、笑ってはいる。
屈託のない笑みを浮かべているけれども、有無を言わせない圧力が存在していた。
「分かった。そこまで言うなら、教えようじゃないか。だけど、オレ……割とズボラだから。あんまり返信できんかも知れんけど」
「いえいえ、交換して頂けるだけで有難いです。お兄さん、私……自分なりに、頑張ってみます。だから、ちゃんと目を離さずに見ていてくださいね?」
こてんと小首を傾げた朝音ちゃんは、にこりと微笑む。
……なるほど。
本当に、よく分かった。
朝音ちゃんは、オレの想定よりも、精神的に強くて、意外と強気で。
死ぬほどあざとくて愛らしい……アイドルの仮面を被らなくとも、魅力たっぷりの女の子みたいだ。
「……随分と、面倒な展開になった」
仲睦まじそうな二人の様子を眺めながら、誰に言うでもなく独り言を呟く。
私の手に握られているのは受信機。
つい先程、先輩の服につけた盗聴器の音声を聞くために必要な、ラジオに似た形の機器である。
「希咲朝音が、強引な先輩を嫌うのが理想だったけど……そう上手くはいかないか」
先輩のことは、誰よりも私が理解している。
それゆえに、あの人がこのような行動を取ることは予測できていた。
でも、意外だったのは希咲朝音の方。
まさか、あのアイドルが衝動的に行動した先輩を、受け入れるとは思っていなかった。
てっきり、トラウマを刺激されたショックで、好意が反転すると考えていたのに。
そうならなかったのは、何故だろうか。
希咲朝音が有するトラウマが、思ってたよりも軽いものだったのか。
先輩が投げかけた言葉が、彼女の心に響いてしまったのか。
或いは、多少の不快感が気にならないくらい。
先輩の事を好きになっていたのか。
「……っ!」
受信機を握る手に力が込められる。
最悪な想像をしてしまった。
希咲朝音と先輩が交際する……なんて、絶対にありえない未来が脳裏をよぎった。
……大丈夫。
何も問題はない。
確かに意外ではあったけれど、これもまた想定の範囲内ではある。
あのアイドルがどれだけ先輩に好意を寄せようとも、二人が結ばれることはない。
だって、あの子はニセモノで。
先輩は、本当の……だから。
道が交わる事は、ない。
心配せずとも、二人の関係は破綻する。
お互いに見据えている未来が違うから。
認識の違いから亀裂が入って、やがてバラバラに砕け散ってしまう。
だから、こうやって見てるだけで良い。
先輩のことを何も知らない無垢な女の子が、恋愛ごっこに興じる様を眺めるだけで良い。
私も、無為に人を傷つけるのは本意ではない。
何よりも、先輩が彼女と関わり続ける選択を下したのなら、邪魔するわけにはいかない。
あくまで、想定外の事態が起きるのを防ぐために、監視するだけで十分。
先輩の動向を完璧に把握した上で、不測の事態に対応できるよう、念入りに準備しておけば、深刻な問題は生じないはず。
でも、その上で。
希咲朝音と、先輩の関係が破綻して。
それでも、愛が消えないのなら。
今の彼女が抱く、淡い恋心が肥大化して、歪な愛情へと変貌を遂げて。
異常なほどの執着心を抱いて、先輩を手に入れようと画策するのならば……。
「……殺す」
先輩が、誰かのモノになるなんて許せない。
あの人は、自由であるべき。
何者にも何事にも縛られず、生きたいように生きていくべき。
そう、在るべきなのだ。
だって、先輩は、私の……神様なのだから。
「何があろうとも、誰であろうとも……絶対に、私の『神』は汚させない……!」
改めて、決意を固める。
私は、先輩に救ってもらった。
暗闇の中に居た私に、光を与えてくれた。
その恩は、一生涯かけて返さないといけない。
たとえ、私の命と人生を捧げてでも。
先輩が先輩らしく生きようとするのを邪魔する者は、排除しなければならないのだ。
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