第53話 古医術師セレンと小さな光の少女 失敗だらけの魔法陣を何度も二人で撫でては重ねて

 計算式の整合は、ようやく取れた。

 紙の上では、双環式第三配置の理論は完璧だ。

 ――あとは、実際に術式を起動できるかどうか。


 診療所の裏手に出て、チョークを取り出す。土の地面に円を描き、補助環を組み込みながら丁寧に線を重ねていく。

「……これで、よし」


 息を整え、魔力を流し込む。

 だが光は一瞬きらめいただけで、すぐにかき消えた。


「……また歪んだ」

 線を修正し、再び試す。環の半分が発光したが、制御核に至る前に魔力が逃げる。

 三度目。四度目。額から汗が滴る。何度描き直しても、わずかなズレで崩壊する。


「……くそっ、あと一歩なんだが」


 苛立ちを押さえ込みながら五度目を描こうとしたとき――

「セレンさん、描かなくてもいいんです」

 背後から柔らかな声が降りてきた。


 振り返ると、アルターが小首をかしげて立っていた。指先には淡い光。

「なに?」


 彼女はそっと手を差し伸べる。次の瞬間、光の線が宙に浮かび、俺が何度も失敗した双環式の環が、寸分の狂いもなく形を結んだ。


「……今のは」

「小さい頃から、これだけは毎日やらされてたんです。だから――」

 バツの悪そうな笑み。けれど、その瞳は自信にきらめいていた。


「やってみます?」

「そんなうまくは……」

「大丈夫。最初は簡単なので。感覚を掴むのが大事です」


 アルターは空中の光を崩し、より簡易化した補助環を描き直す。

 流入点と制御環を一本の線で繋ぐだけの、単純明快な術式。

 その手元があまりにも美しく、俺は一瞬、式よりも彼女の横顔に見惚れてしまった。


「セレンさん、手を」

 促され、思わず手を差し出す。

 柔らかな指先が重なった瞬間、魔力よりも先に体温が伝わってくる。

 ――あたたかい。

 その熱が胸の奥にじんわりと広がり、鼓動がひとつ跳ねた。


「頭の中で理論を回してください。式を描くんじゃなく、理論そのものを循環させるように」

 耳元で囁かれる声。吐息が頬をかすめ、思考が溶けていく。


 深呼吸。魔力の流れを頭の中でなぞる。

 ぱん、と光が弾け、環がひとつ、安定して浮かんだ。

「……できた」

「ほら、やっぱり。セレンさんは筋がいいんです」

 アルターがぱっと笑う。その笑顔は、星よりも眩しかった。


 余韻に浸る間もなく、俺は呟いていた。

「……でも、十二日で間に合うか」

 その言葉に、アルターは視線を落とす。長い睫毛が震え、淡い影が頬に揺れた。


「十二日は……厳しいかもしれません。でも、これに特化して磨けば、きっと」

 確信めいた響き。


「わたしも……時間ばかりかかって、失敗ばかりで。“役立たず”って言われて……」

 淡々と語る声の奥に、寂しさが滲む。


「本当は……力が強すぎるって、怖がられたんです。制御できない子供なんて危険だって。名家を名乗っても誰も信じてくれなくて……結局、追い出されました」


 胸が締め付けられる。

「アルター……」


 思わず手が伸びた。三つ編みの上から、くしゃりと頭を撫でる。

 細い肩が小さく震え、彼女はきょとんと目を瞬かせ――次の瞬間、頬を真っ赤に染めてうつむいた。


「はわっ……な、なにするんですか……っ」

 声は抗議めいているのに、耳の先まで真っ赤だ。

 俺は微笑みながら、そっと囁いた。

「……頑張ったんだな。えらい」


 アルターは両手で頬を覆い、かすかな声を漏らす。

「……ずるいです。そんなの、嬉しいに決まってるじゃないですか……」


 その囁きが、胸の奥深くに落ちていく。

 顔が自然と近づき、額が触れそうになった、その瞬間――


 小さな羽音。

 一羽の鳥が二人の前を横切った。足には紙切れが結ばれている。使い魔便だ。

 甘い空気が揺れ、彼女と俺は同時に息を呑んだ。


***


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