第43話 現実で両手で壁ドンされたと思ったら夢の中で黒いネグリジェ姿で迫られて陥落寸前です

 夜の診療所には、どこか湿った気配が漂っていた。

 薄暗い廊下を歩くたびに、誰かに見られているような感覚が背中を撫でる。

 俺は振り返らなかった。

 ただ、わかっていた。


 ヴェレムが近くにいる──それだけが、妙に確信めいていた。


 そのとき、背後から音もなく足音が近づいてきた。


「先生」


 振り向いた瞬間、ヴェレムに壁際へ追い込まれる。


 両手をつかれて、がっしりと左右の壁を塞がれる──まるで檻の中に閉じ込められたようだった。


 目線の高さは、俺と同じぐらい。


 なんで俺が、される側なんだ──。

 屈辱、戸惑い、そして少しの……高鳴り。


「先生、昨日はラナとお楽しみでしたね?」


「ちが──」


「ふふ、冗談ですよ。……どこまでしたかは、ちゃんと分かってます」


 すぐ近くの距離で、吐息がかかる。


「今夜は──私の番ですから」


 その瞬間、ヴェレムの目が細く縦に長くなる。

 まるで獲物を前にした蛇のように──静かに、確実に、逃げ道を塞ぐ気配。


 その声は甘く、けれど確かな重みがあった。


「……ずっと待っていたんですよ。先生」


 ヴェレムの指がそっと胸元をなぞる。

 何もされていないのに、身体が反応してしまう。


 心臓が高鳴る。


「……っ」


 しかし、ヴェレムはそれ以上は何もしなかった。

 ふわりと微笑んでその場を離れる。


 ──残された俺の鼓動は、しばらく止まらなかった。


 なんか怖い──もしあまり迫られたら、逃げよう。


***


 少し経って、寝る支度を整え、俺は寝室のドアをそっと開けた。

 ……誰もいなかった。


「……なんだ」


 思わず小さく安堵の息が漏れる。

 気が張っていた分、どっと疲れが押し寄せてきた。


 服を脱いで布団に潜り込むと、重力に負けるようにまぶたが落ちる。


 ベッドに横たわり、目を閉じる。


 すぐに意識が落ちた。


 霧の中で俺は目を覚ました。

 夢だと気づくが、身体が動かない。


 いつもとは違う、薄い黒のネグリジェを身にまとったヴェレムが、霧の奥からゆっくり現れる。


 胸元の輪郭さえも見えており、よく目を凝らせば、その中心の小さな突起までぼんやりと浮かんでいた。


 露骨ではない。

 だが、それゆえに──ひどく目を奪われる。

 幻想のなかの、あまりに艶めいた現実感だった。


「ようやく……お目覚めですか、セレン」


「……いや、これ夢だろ」


「ふふ、そうです。私は夢魔ですから」


 ヴェレムはゆっくりと笑う。

 その目は、霧の奥でもなお冷たく艶めいていた。


「あなたの夢は、すべて私の支配下にあります。逃げ場なんて、最初からありませんよ」


 ヴェレムの目が細められ、吐息がわずかに熱を帯びる。

 その表情には、ぞくりとするような興奮の色がにじんでいた。

 指先が微かに震え、唇が熱に濡れるようにゆるく開く。


 ベッドの上で、ヴェレムが俺ににじり寄る。

 膝立ちの姿勢で身体をかがめ、絡みつくように触れてくる。


 手、唇、吐息、そして胸元に指を這わせ、


「先生……ドキドキしていますね。」


 ヴェレムの声が震えるほど甘く、熱を帯びていた。

 その目がセレンの表情をじっと捉え、ふわりと微笑む。


「まるで、薄雪の中に取り残されたヒトリガモの雛のよう……儚くて、触れれば壊れてしまいそうで……可愛らしい」


「なんだよ、ヒトリガモの雛って」


 気圧されながらも、俺は反射的にツッコミを入れる。

 でも、その声にはわずかに緊張が混じってしまう。


 ヴェレムにとっては愛玩の証にしか映らなかったようだった。


 囁く声には、愛しさと征服欲が溶け合っていた。

 頬が紅潮し、瞳は潤んでいる。


 自分が快楽に呑まれそうなほどに興奮していることを、まるで隠しきれていなかった。


「可愛いセレン。もっと見たい。もっと壊したい。もっと、私の色に染めたい──。“夢だから”って、すぐに忘れられると思ったんですか? ……甘いですね」


 抗えない快楽と、支配されていく感覚。


「これは夢。でも、想いは本物──貴方を、私だけのものにしたい」


 ヴェレムの顔が、ゆっくりと近づいてくる。

 髪が頬に触れるほどの距離。香り立つ吐息が唇をかすめる。


 瞳と瞳が重なる瞬間、時が止まったような錯覚。

 俺の胸が高鳴り、喉が鳴る。

 けれど身体は動かない。

 

 ヴェレムの視線は、熱と欲と、狂おしいほどの執着に満ちていた。


 ヴェレムの手が、そっと俺の胸に触れる。

 指先は優しくなぞるように動き、押しつけることなく、まるで宝物を扱うような繊細さだった。


 その柔らかな刺激に、俺の呼吸が浅くなる。

 恥ずかしいほどに心臓が跳ね、肌が熱を帯びていく。


(いかん、このままでは)

(キスしてしまう……いや、それ以上?)


 その時、ふと思い出した。

 古医術の技法、夢の深層意識に干渉する呼吸法。

 わずかに指先に意識を集める。


 霧の中で研ぎ澄ませた気の流れが、ヴェレムの動きを止めた。


「先生」


 ヴェレムの瞳が驚きと悦びに揺れた。


「驚きました、反撃されるとは。やはりあなたは……目が離せませんね」


 そう言いながらも、ヴェレムの頬がわずかに紅潮していた。

 支配の中に想定外を織り込まれる快感──その目は、さらに熱を帯びていた。


***


 はっとして目を覚ます。

 汗ばんだ額、胸の高鳴り。


 ──夢だった、はずだ。


 ベッドの端に、しれっとヴェレムが座っている。


 いつもの黒のスーツ姿。


「夢、楽しかったですか?」


「……お前──」


「ふふっ、冗談ですよ。でも……記憶の一枚一枚、全部私の中にありますから」


 そう言いながら、ヴェレムの手がゆっくりと俺の頬に伸び、すりっと撫でる。

 その仕草はあまりにも優しく、まるで現実に引き戻す代わりに、再び夢へ引き込もうとするかのようだった。


 境界が曖昧なまま、ヴェレムの瞳が揺らめく。


 ──これは、夢の続きなのか。それとも現実なのか。


 俺の喉が、乾いた音を立てた。


***


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現在、第4回「G’sこえけん」音声化短編コンテストに応募するため、スピンオフとしてヒロイン達のASMR回想録を制作しています。

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