第20話 せんせぇ、泣きそうだった──サキュバスに背中からそっと抱きしめられて

診療所の椅子に座ったまま、俺は動けなかった。


エリシアの「裏切り者」って言葉が頭を巡る。

俺は、人間を裏切った覚えはない。

魔族の側に立った覚えもない。


ただ、目の前の患者を治したかっただけ。

でも──それが“どっちつかず”なんだろうな。


医術ギルドに戻る気はない。

でも、軍医長って言われて、うなずくこともできなかった。


魔族を治して、人間を傷つける。

人間を救って、魔族を怒らせる。


結局、どっちの味方でもない。

ただ、どっちの敵にもなっただけか。


俺は──今、この世界に、立ってる意味があるのか?

なんで、今さらそんなことを言うんだ。


「……くそっ」


拳を握りしめる。

なにが正しくて、なにが間違いなんだ。

俺はただ、誰かを治したかっただけなのに──


そのとき、不意に背中からぬくもりがのしかかってきた。


「──わっ、ラナ!?」

「ん~♡ 背中が空いてたから埋めてみた♡」


耳元で、甘ったるい声が囁く。

抱きついてきた彼女の柔らかな胸が、背中に押し当てられる形になる。


……いや、これは完全にアウトだろ。

胸元に押し付けられるこの感触は──


もしかしなくても、あれだ。

思考が一気に吹き飛んだ。

首に巻き付けられた腕の温かさ、耳元の甘い息遣い、

そして背中に押し当てられた柔らかな感触──


全部が一斉に、思考をジャックしてくる。


「……っ、離れろ、バカ」

「やーだ♡ せんせぇがむっつり顔してるから、慰めてあげようと思ったのに~♡」

「どんな発想だよ……!」


でも、怒鳴れなかった。


背中にぴったりと張りつく温もりが、ひどく優しくて、苦しくて。

ほんの少しだけ、目を閉じる。


ラナの匂いがふわりと鼻先をかすめた。それは、いつもの魔力香よりずっと淡く、

優しい匂いだった。


「……せんせぇ、今、泣きそうだった」

「泣いてねぇ」

「……そっか。でも、泣いていいんだよ?」


言葉が、優しすぎた。


ぐっと奥歯を噛みしめる。こぼれそうになるものを、力づくで押し戻した。


「──ちょっと、行ってくる」

「え?」

「殴り込みだ」

「どこに?」

「ヴェレムのとこ」


ラナは、目をぱちくりとさせて。

そして、そっと背中から腕をほどいて──


「行ってらっしゃい♡ 帰ってきたら……またいっぱい抱きしめてあげる」

「……バカ」


扉を開けて、冷たい夜の空気に身を晒す。

足が自然と、怒りの熱で早まっていた。


「……レオナルト。来てくれるか?」


静寂を裂くように、空が鳴った。


黒銀の鱗が月明かりに煌めき、蒼翼の飛竜が、

診療所の屋根をかすめて降りてくる。


アスリナの配下、飛竜レオナルト。

応えるように、静かに首を垂れた。


彼の存在が、少しだけ背中を押してくれる気がした。


──それから、帰ったら。


ラナの腕の中に、倒れ込んでもいいだろうか。

少しだけ、甘えても許されるだろうか。

あのぬくもりと香りが、まだ胸の奥に残っていた。


***


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