第7話 ちょっとだけ本気

 夜風が冷たい。


 契約も終わり、報酬も受け取った。

 魔族の重症患者も、なんとか治した。

 診療所を出て、闇の中を一人で歩いていくはずだった。


 ……のに、なぜか背後からぱたぱたとついてくる足音がある。


 振り返らずとも分かる。

 あの、軽すぎる足音は。


「……お前、なんでついてきてんだ」


「えー? 先生こそ、なんでそんな寂しそうな顔して歩いてんの?」


 ぴたりと隣に並んできたラナが、悪びれもせず言った。


 そういう顔、してたか? と内心で苦笑する。

 魔王軍の診療所で、初めての仕事を終えたばかりだ。

 薬は効いた。患者も助かった。

 報酬は、思ったよりも多かった。


 でも。


 ……これは、もう“帰れない”ってことなんじゃないか。

 魔族のために働くってことは、そういうことだ。

 俺は、戻れない道を選んじまったのかもしれない。


「先生って、医者なのに──なんか時々、患者より苦しそうな顔するよね」


 ふいに、ラナがそんなことを言った。

 その横顔は、いつもよりちょっとだけ静かだった。


「……苦しくはない」

「うそ」


 即答された。


 思わず、肩が揺れる。


「まあ、いいけど」


 そう言って、ラナは空を見上げた。

 雲の切れ間に、欠けかけの月。


「先生さ、魔族のこと、ほんとにちゃんと“診よう”としてるんだね」

「当たり前だ。俺は医者だ」

「うん。だから──」


 ラナは、立ち止まってこちらを見た。

 瞳がまっすぐで、ちょっとだけ寂しそうで、でも、確かに笑っていた。


「……あたし、ちょっとだけ本気になっちゃおうかな?」


 その一言が、妙に響いた。


 どこに?

 いや、どっちだ(心か、股間か。言わないけど)。

 そんな顔すんな。

 そんな目で見んな。

 揺れるだろ。


「……勝手にしろ」


 俺がそう答えると、ラナはほんの少しだけ、目を細めて笑った。


「ふふ、ありがと」


 そのまま歩き出す──と、思ったのに。

 ふいに、ラナの手が、俺の手に触れた。


 指先がそっと絡んでくる。

 手が、柔らかくて。

 あたたかくて。


(……なんで、魔族と)

(でも、なんで……こんな、きゅってするんだ)


 ただ、それだけのことなのに。

 触れた場所から、心がじんわり崩れていくようだった。


 離す理由も、握り返す勇気もなくて──

 ただ、歩いた。


 揺れてるのは、たぶん月じゃない。


 ……俺の気持ちだ。


***


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