光と影の会話

 

 ゴールデンウィークが明け、桜ヶ丘高校は再び生徒たちの笑い声と喧騒に包まれていた。五月の陽光は新緑を一層鮮やかに照らし、校庭の芝生は柔らかな緑に輝いている。

 園芸部の温室では、セレナ・フローレンスがいつものように花の世話をしていた。彼女の手には小さなジョウロ、目の前にはスズランやカスミソウの鉢が並ぶ。

 金色の髪をゆるく編んだ彼女は、鼻歌を歌いながら水をやり、花に話しかけるように微笑んでいる。

 

「スズラン、元気だね。リリィさんが見てたら、きっと喜ぶかな。」 

 

 セレナの声は穏やかで、温室の静かな空間に優しく響く。ゴールデンウィーク中、リリィと過ごした時間が、彼女の心に温かな記憶として残っていた。絵画の個展、甘いパンケーキ、音楽ライブ。

 あの日のリリィのぎこちない笑顔や、音楽に合わせて手拍子する姿が、セレナの胸を温かくしていた。リリィの不器用さや、どこか影を帯びた瞳に、セレナは「放っておけない」気持ちを抱いていた。

 

 そんなセレナの背後で、温室のガラス扉が静かに開いた。

 振り返ると、園芸部の部長、アヤメが立っていた。黒髪をポニーテールにまとめ、クールな瞳がセレナをじっと見つめる。

 アヤメは普段、部活では淡々と指示を出すタイプだが、今日はどこか真剣な空気をまとっている。

 

「セレナ、ちょっと話がある。時間いいか?」 

 

 アヤメの声は低く、いつもより少し硬い。セレナはジョウロを置き、首を傾げた。

 

「うん、もちろん。アヤメ先輩、なんか用?」 

 

 アヤメは無言で温室の奥に進み、木製のベンチに腰を下ろした。

 セレナを座るよう手で促し、彼女も隣にそっと座る。温室の中は、花の香りと湿った土の匂いが混ざり、静かな時間が流れる。

 だが、アヤメの視線には、いつもと異なる重さが宿っていた。

 

「セレナ、リリィ・フロストについて、どう思う?」 

 

 アヤメの突然の質問に、セレナの目が少し見開かれた。リリィについて? セレナは一瞬、意図が掴めず、笑顔のまま首を傾げる。

 

「リリィさん? えっと…優しくて、ちょっと不器用だけど、頑張り屋さんで…一緒にいると、なんか安心する子だよ。どうして急に?」 

 

 セレナの素直な答えに、アヤメは小さく息をついた。

 彼女の瞳は、セレナを通り越し、温室のガラス越しに遠くを見ているようだった。

 

「セレナ、お前は純粋だな。…いや、悪い意味じゃない。リリィのことを、ちゃんと見てやってるのは、俺もわかってる。」 

 

 アヤメの声は静かだが、どこか探るような響きがあった。

 セレナは眉を寄せ、アヤメの言葉の裏に何かがあることを感じ取った。

 

「アヤメ先輩、なんか変だよ。リリィさんのこと、どうしたの? 何かあった?」 

 

 セレナの声には、わずかに警戒が混じる。アヤメはセレナの視線を受け止め、しばらく黙った後、ゆっくりと口を開いた。

 

「リリィ・フロスト。お前の言う通り、優しくて不器用な子だ。だが…ちょっと、普通じゃない雰囲気、感じないか?」 

 

「普通じゃない?」 

 

 セレナは首を傾げ、記憶を辿る。

 リリィの不思議な雰囲気は、確かにクラスでも話題になっていた。

 入学式でのぎこちなさ、体力テストでの驚異的な記録、ミオが冗談で言う「忍者疑惑」

 だが、セレナにとって、リリィのそんな一面は、ただ彼女の魅力の一部だった。

 

「うーん、リリィさんは、確かにちょっとミステリアスだけど…それがリリィさんのいいところだと思うよ。運動神経すごいし、園芸部でも真剣に花の世話してくれるし。」 

 

 セレナの笑顔に、アヤメは小さくため息をついた。彼女はポケットからスマホを取り出し、何かを見ながら言葉を続けた。

 

「セレナ、俺は少し調べたんだ。リリィ・フロストの背景について。」 

 

「調べた? え、なんで?」 

 

 セレナの声に驚きが混じる。

 アヤメの真剣な表情に、彼女の胸に小さな不安が芽生えた。

 アヤメはスマホをしまい、セレナをじっと見つめた。

 

「リリィの身元、ちょっと不自然なんだ。両親が海外赴任中で、親戚の家から通ってるって話だが…その親戚の情報が、妙に曖昧だ。まるで、誰かが意図的に作った履歴みたいに。」 

 

 セレナの目がさらに見開かれる。

 彼女はリリィの過去について、深く考えたことはなかった。

 リリィが話す「昔住んでいたところでは辛いことがあった」という言葉や、悪夢にうなされる姿に、セレナはただ寄り添いたいと思っていた。

 だが、アヤメの言葉は、彼女の知らないリリィの一面を突きつける。

 

「それに、セレナ。あいつの動き、見たことあるだろ? 体力テストでのあの記録。あれ、普通の高校生のレベルじゃない。まるで…軍の訓練を受けた人間の動きだ。」 

 

「軍!?」 

 

 セレナの声が思わず高くなる。彼女は慌てて声を抑え、温室の入口を振り返った。

 誰もいないことを確認し、アヤメに視線を戻す。

 

「アヤメ先輩、急に何? リリィさんが軍とか…そんなの、冗談でしょ?」 

 

 セレナの声には、半ば笑いものとして受け流したい気持ちが混じっていた。

 だが、アヤメの瞳は真剣そのものだった。

 

「冗談じゃない。セレナ、五年前の戦争、覚えてるか? 魔物との五〇年にわたる戦いが終わった時のこと。」 

 

 セレナは頷いた。あの戦争は、彼女がまだ小学生の頃に終結した。

 ニュースや教科書でしか知らないが、人類を救った「ハンター」と呼ばれる超人兵士たちの存在は、誰もが知っている。

 アヤメは言葉を続ける。

 

「ハンター。あの戦争で、魔物を倒すために作られた超人兵士だ。超人的な身体能力、戦闘技術…そして、感情を抑える訓練を受けた人間兵器。リリィの動き、あの体力テストでのパフォーマンス、まるでハンターそのものだ。」 

 

「ハンター…リリィさんが?」 

 

 セレナの声が震える。彼女の頭に、リリィの姿が浮かぶ。銀色の髪、紫の瞳、ぎこちなさの中に隠れる優しさ。

 体力テストでの驚異的な記録や、時折見せる遠い目。

 確かに、普通の高校生とは異なる何かがあった。

 だが、セレナの心は、それを認めたくなかった。

 

「そんな…リリィさんが、兵器だなんて…信じられないよ。」 

 

 セレナの声には、動揺と反発が混じる。アヤメはそんなセレナを見て、静かに息をついた。

 

「俺も、信じたくはない。だが、セレナ。リリィの過去が何であれ、彼女がこの学校にいる理由は、きっと普通の生活を学ぶためだ。ハンターだった人間が、戦後の世界でどう生きるか…それを探してるんじゃないか。」 

 

 アヤメの言葉に、セレナは黙り込んだ。彼女の胸には、リリィの悪夢にうなされる姿、園芸部で花を丁寧に世話する姿、ゴールデンウィークでのぎこちない笑顔が次々に浮かぶ。

 もし、リリィがハンターだったとしても、セレナにとって彼女はただの「リリィ」だった。

 

「アヤメ先輩…リリィさんがハンターだったとしても、私には関係ないよ。」 

 

 セレナの声は、静かだが力強かった。アヤメが少し驚いたように目を上げる。

 セレナは言葉を続けた。

 

「リリィさんは、優しくて、頑張り屋で…私の大切な友達。過去に何があったとしても、今のリリィさんが、私には大事なんです、園芸部で一緒に花を育てて、笑って、ゴールデンウィークで一緒に過ごした時間…それが、リリィさんの全部です。」 

 

 セレナの瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。

 アヤメはそんなセレナを見つめ、ゆっくりと頷いた。

 

「…お前らしいな、セレナ。」 

 

 アヤメの口元に、微かな笑みが浮かぶ。彼女はベンチから立ち上がり、温室のガラス越しに外を見た。

 

「俺も、実は同じことを願ってる。リリィが、もしハンターだったとしても、この学校で、普通の幸せを見つけてほしい。だが、セレナ。ハンターだった人間には、過去の影がつきまとう。戦争の傷は、そう簡単には消えない。」 

 

 アヤメの声には、どこか遠い響きがあった。

 セレナは、アヤメがなぜリリィの過去にこだわるのか、完全には理解できなかった。

 だが、彼女の言葉には、リリィを心配する気持ちが込められていると感じた。

 

「だから、セレナ。お前がリリィのそばにいてやってくれ。彼女がどんな過去を背負っていても、今の彼女を受け入れてくれるお前みたいな奴が必要だ。」 

 

 アヤメの言葉に、セレナは小さく頷いた。彼女の胸には、リリィの笑顔が浮かぶ。

 悪夢にうなされるリリィ、園芸部で花に話しかけるリリィ、ライブで手拍子するリリィ。

 それらが、セレナにとっての「リリィ」だった。

 

「うん、わかった。アヤメ先輩。私、リリィさんのそばにいるよ。どんなリリィさんでも、私には関係ないから。」 

 

 セレナの笑顔に、アヤメは小さく笑った。

 彼女はセレナの肩を軽く叩き、温室の出口に向かった。

 

「頼んだぞ、セレナ。…リリィのこと、よろしくな。」 

 

 アヤメが温室を出ていくと、セレナは再びスズランの鉢に目を落とした。

 花言葉は「純粋」。リリィの不器用な優しさ、彼女の笑顔が、セレナの心に響く。

 過去が何であれ、セレナはリリィを信じていた。

 この温室で、彼女と一緒に過ごす時間が、きっとリリィの心を癒すと。

 

 ――ー

 

 その夕方、セレナはリリィにメッセージを送った。「明日、園芸部でまた花の世話しようね。スズラン、きれいに咲いてるよ!」と。

 リリィからの返信は、いつも通り短く、ぎこちなかった。

 

「はい、楽しみです。ありがとう。」

 

 だが、セレナはその言葉に、リリィの小さな笑顔を感じた。

 彼女はスマホを握りしめ、静かに微笑んだ。

 リリィの過去が何であれ、セレナは彼女のそばにいる。

 それが、彼女の決意だった。

 

 ――ー

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