竹藪のなか

月浦影ノ介

竹藪のなか




 今から三十年ほど前の話だという。


 体験者の岩野さんは、当時まだ高校生だった。

 夏休みのある日のこと、部活を終えて帰宅すると、自分の部屋でゴロリと横になる。

 やがて遠くの方から、候補者の名前を連呼する選挙カーの声が聞こえて来た。そういえば地元の町では、まさに町長選挙の真っ最中である。三期目を目指す現職町長は何かと悪い噂が絶えず、若い新人候補に敗れるのではないかともっぱらの噂だ。

 そんなことをふと思い出しながら目を閉じているうちに、部活の疲れもあっていつしか眠ってしまった。


 肩を揺すぶられ、岩野さんはふと目を覚ました。すぐ傍らに母親が不安気な表情で立っている。

 「どうした?」と尋ねる岩野さんに「裏の竹藪に変な人たちがいる。ちょっと来て」と母親は答えた。

 岩野さんの家の裏手は竹藪になっていて、その竹藪を突っ切った先の土手を降りると、すぐ川が流れている。夏休みともなると大勢の人が訪れ、川で泳いだりバーベキューに興じたりするのだが、なかには竹藪にゴミを捨てて帰って行くマナーの悪い輩も多い。

 どうせそんな連中だろうと思ったが、母親の話によるとどうも様子が違うようだ。

 「五、六人で集まって何か念仏みたいなのを唱えたり、手を合わせて拝んだりとかしてるんだよ。気味が悪いからちょっと見て来ておくれ」


 その年の三月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件があったばかりで、世間ではいわゆる「宗教的なもの」に対する忌避感が蔓延している頃だった。

 自宅の裏の竹藪には祠もなければ神社もない。そんな場所で何やら拝んでいる集団など、不信に思われて当然だろう。


 時計を見ると夕方五時を過ぎていたが、まだ陽は高く周囲は明るい。父親も仕事から帰っていなかった。小学生の妹もいるし、ここは男の自分が行くしかないと思った。

 「分かった。ちょっと様子見てくるよ」と、岩野さんは起き上がった。

 台所の勝手口から家の裏手に出ると、裏庭を挟んで鬱蒼とした竹藪が広がっている。斜めに傾いた陽の光が竹藪の間から射し込んで、辺りを茜色に染め始めていた。ヒグラシの鳴く声が、何処からともなく響いて岩野さんの耳を打つ。

 

 裏門を開けると、竹藪のなかを細い一本道が続いている。少し進んだ先に、例の集団は竹藪のなかの僅かに広くなった場所で、円陣を組むように立っていた。

 岩野さんが近付くと、全員が一斉にこちらを振り返った。男が四人、女が二人の計六人である。いずれも若く、岩野さんより少し年上ぐらいに見える。

 「よう、アンタらそこで何してる?」

 岩野さんは怯むことなく声を掛けた。野球部で鍛えている岩野さんは、ガッシリした筋肉質な体格をしている。中学まで空手道場に通っていたので、腕っぷしにも自信があった。対して相手集団の男たちは、どいつもこいつも痩せ細った貧弱な体付きだ。

 喧嘩になっても余裕で勝てるなと、岩野さんは少し強気な態度に出た。

 「ここはウチの土地だ。勝手に入られちゃ困るんだが」

 相手は誰一人としてウンともスンとも言わない。黙ったまま俯いている。「なんだ、こいつら?」と岩野さんは少し不気味に思った。

 ふと見ると、彼らの足元に何かを燃やしたような痕跡があるのに気付いた。

 「・・・・こんなところで火なんか使いやがって。周りに燃え広がったらどうするつもりだ」

 咄嗟に怒りが込み上げて、語気強く詰め寄る。すると一人の男が進み出て「すみません、もう終わりましたから」と丁寧に頭を下げた。

 背の高い男だった。年齢は二十五、六歳ぐらいか。集団のなかでは一番年上に見えた。表情は穏やかだが、目元が笑っていない。能面のような男だと、岩野さんは思った。

 「・・・・終わったって、何が?」

 岩野さんが訊き返す。しかし男はそれに答えず「すみません、もう終わりましたから」と、同じ言葉をもう一度繰り返した。そして他の五人を促し、その場を立ち去ろうとする。

 「おい、まだ話は終わってねぇぞ」

 岩野さんが追い掛けて男の肩を掴もうとした瞬間、男がいきなり振り返った。そして岩野さんの顔を、じっと正面から見据える。その目付きはまるで爬虫類のような冷酷さを宿していて、岩野さんは思わずゾッとしてその場に固まった。


 男は無言のまま軽く一礼すると、他の五人を率いて竹藪の向こうへと去って行った。

 岩野さんは舌打ちして、その後ろ姿を睨み付けた。そして足元にある燃えカスを調べたが、しかしそれは完全に灰になっていて、何か紙のような物を燃やしたのだろうということぐらいしか分からなかった。

 火は完全に消えていたが、家に戻ってバケツに水を汲むと、念の為その燃えカスの上に水を掛けた。

 

 その夜、帰って来た父親に、例の集団のことを報告した。

 六人もの相手を一人で追っ払ったことに岩野さんは少し得意気だったが、父親はその集団の目的の不明さに首を傾げつつも「世の中には頭のおかしな連中もいる。あまり喧嘩腰になって、変に刺激したらいかんぞ」と逆にたしなめられてしまった。


 それから一週間ほどが過ぎた。

 朝起きると、父親が食卓で地元新聞を広げていた。その手元を覗くと、我が町の町長選挙のことが写真付きで大きく取り上げられている。

 投票日は昨日のことだった。勝利したのは現職の町長である。というか新人の対立候補が、投票日前日に急死したのだ。死因は心不全。事務所でいきなり倒れ、そのまま還らぬ人になったのだった。その結果、今回ばかりは落選するだろうと思われていた現職町長が再選を果たした。棚からぼた餅とは、まさにこのことだろう。

 新聞に掲載された写真には、事務所で取材を受ける町長とその家族や事務所スタッフ、支持者たちの姿が写っている。対立候補の死による当選という事態のせいか、いずれも喜びの表情はなく神妙な面持ちだ。

 何気なくそれを眺めているうちに、あることに気付いて岩野さんは「あっ!」と声を上げた。

 事務所の様子を撮影した写真の隅の方に、竹藪のなかにいた例の集団の、あの背の高い能面のような男が写っていたのである。


 「コイツだよ、コイツ!」と指差してそのことを伝えると、父親は新聞の写真をしげしげと眺めた後、岩野さんに向かって「お前が竹藪のなかで見たこと、あまり人に言い触らさない方が良いな」と、少し強張ったような面持ちで言った。それは「万が一、目を付けられたら困るからな」と、言外に言っているように岩野さんには思えた。


 無論、竹藪のなかで行われた何らかの儀式と、対立候補の死に関連があるかどうかは分からない。そもそも現職町長と、あの能面のような男の関係性すら不明なのだ。

 しかし偶然にしてはあまりに出来過ぎたタイミングに、岩野さんは言いようのない気味の悪さを覚えた。


 高校卒業後、岩野さんは就職のために地元を離れたが、その出来事はひどく不気味な印象と共に今もよく憶えているという。


                 (了)

 


 

 

 


 

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