第6話「出発」





 窓から差し込む光で、トオルは目を覚ました。

 上体を起こし、ぼうっと天井を見上げている。そうしていると、段々と頭の中がすっきりしてくるようだった。

「ええと……ここはどこだろう……?」

 ぐるりと視線をめぐらせる。すると、なんとなく見覚えがあるような気がした。

「……そうだ、確かトマの種を採りに来たんだった」

 寝起きの頭で、トオルは旅の目的を思い出す。

 それは言葉にすれば簡単で、しかし彼にとっても、一党にとっても厳しい旅だった。

 現在トオルがいるは、宿場町ニムにある一件の宿屋宵の口。仲間とともに、トライアド山脈へと向かう道すがら立ち寄り、休んでいるところだ。

 と、トオルが室内を見回していると、ふと隣に人影があることに気が付いた。

 びくっと小さく体を震わせて、目を見開く。

 だ、誰だ……?

 全身をシーツで覆っていて、その全貌を見ることはできなかった。

 それでも、そこに人がいる、ということだけはわかる。

 どうしたものかと悩み、トオルは意を決してシーツへと手をかけた。

 おそるおそるシーツを持ち上げ、その下に眠っているであろう人物を暴き出す。

「……ああ、そういえば」

 トオルの隣で眠っていたのは、誰あろうチヅルだった。

 昨夜、トオルとの押し問答の末に一緒に寝てしまったのだ。

 隣に女性が眠っている状態で寝れるわけがない。最初はそう思っていたのだが、思いの外疲れていたらしく、あっさりとトオルは眠ってしまっていたのだった。

 そのことをチヅルの寝顔を見るまで忘れていた。どうしてこんな大切なことを忘れていたのだろう。

 自分の記憶力のなさに辟易しながら、同時に困ってしまっていた。

 どうしたものだろう。当然、起こした方がいいのだろうが。

 交際しているわけでもない女性を起こすのは失礼に当たらないだろうか。セクハラと騒ぐことはないだろうが、できるだけトラブルは避けたい。

 こんなことを考えているのも気持ち悪がられたリするのだろうか。ううむ。

 トオルは困り果てて、部屋の扉の方へと視線をやった。

 この宿にはトオルを含めて六人が宿泊している。二人ずつ別々にというわけだ。

「……あの、チヅルさん」

 揺すって起こそうとしてみたけれど、女性の体に触れるという部分に躊躇してしまう。

 トオルのこれまでの人生の中で、女性との交流はとんとなかった。

 それこそ異性と話をしたのは母親と姉、それから小学生の頃に同じクラスだった何人かだけだ。

 社会人として働き始めるとなおさら機会は減り、トオルの孤独はますます増していっていた。

 そうして彼は女生との接点を完全に失ってしまった。会社にいるは男性社員ばかりで、トオルと同い年くらいの女性でさえ在籍していなかった。

 そんなこんなで、トオルは困り果ててしまう。このままにしておいてもいいものだろうかと思い悩む。

「ん、んんんんん~……」

 首を傾げていると、隣からくぐもった声が聞こえてきた。

 もぞもぞとシーツがうごめき、チヅルの眉間に皺が寄る。

 ゆっくりとまぶたを持ち上げるチヅル。寝起きの、うつろな瞳が揺れていた。

 彼女は視線を右往左往させて、周囲の世界を視界に収めていく。

 まだ頭ははっきりとしているわけではないのだろう。ぼんやりとした瞳がトオルを見つめていた。

「……トオルさん?」

「あ、あの……おはようございます」

 トオルが挨拶をすると、ようやく頭が冴えてきたのかチヅルの目が見開かれていく。

 バッと体を起こし、シーツを手繰り寄せて体を隠す。

「お、おはようございます、トオルさん……」

「おはようございます……大丈夫ですか?」

「はい……あの、トオルさん」

「な、何でしょうか?」

 何かよくないことを言われるのだろうか。

 トオルは反射的にそう思い、身構えた。

 けれど、チヅルの口から出たのは、全く違う言葉だった。

「ええと……少しお部屋から出ててもらってもいいですか?」

「ああ……なるほど」

 そりゃあそうか、と腹落ちするトオル。

 なるほど、相手は若い娘さんだ。

 トオルは言われた通り、部屋から出る。後ろ手に扉を閉めると、中から咳払いをするような声が聞こえた。

 次いで衣擦れの音がする。扉の板が薄いのか、しゅるりしゅるりという音が嫌に大きく聞こえてくるようだ。

 そうした聴覚の情報が、トオルの想像を否応なく掻き立てる。

「……なんだろう、この状況は」

 これまでの人生で、こうした状況になることなど想像だにしていなかった。自分が異性と関わる機会があるだなんて希望はとっくに捨てていたはずだ。 

 にもかかわらず、今まさに扉一枚を隔てた向こう側に年若い娘さんがいる。

 今まで女っ気などなかったトオルにとっては十分に刺激的な展開だった。

「……何してんだよ、トオル」

 トオルが扉の前で立ち尽くしていると、奥の方からカゲンたちがぞろぞろと出て来た。

 カゲンは扉の前で立ち尽くしているトオルを見て、不思議そうな顔をしていた。

 他のメンバーに関しても同様だった。彼の行動に対して意味がわからないとでも言いたげな雰囲気だ。

 さて、こういう場合、一体全体どうするべきだろう、と困ってしまった。

 とりあえず笑っておこうとトオルは笑顔を作る。

 ビジネスの場において、笑顔は大切だったから。

「ええと……なんと言ったらいいか……」

 昨夜はチヅルと同じベッドで眠っていた、なんてことは口が裂けても言えない。

 そんなことをすればカゲンたちからの信用を失ってしまうだろう。

 トオルは視線を右往左往させ、必死になって思考を巡らせる。

 社畜時代と比べて、これほど頭を悩ませたことはないというほど考えに考えた。

 結果として出力されたのは、意味のわからない単語だったけれど。

「あの……今日はええと……お日柄もよくですね」

「トオル? 何をそんなに慌てているんだ?」

 カズラがいぶかしげにトオルを眺めていた。

「どうしたんだ、トオル。まだ疲れが抜けていないのか?」

「あの……ええと、そうですね……そうかもしれません」

「だったらまだ寝てたらいいじゃねぇか。どうせ俺たちもまだ出発しねぇんだからよ」

「そうなんですか?」

「そうそう。食料の買い足しとか、まあやらないといけないことはあるからね」

 ハマルの言葉に、トオルはなるほどと頷いた。

「では、俺も何かお手伝いを……」

「大丈夫だって。トオルは体力ねーんだから休んでろよ」

「そうそう。買い出しはあたしたちにまかせてね」

「しかし……」

 そう世話になりっぱなしというのも気が引ける。

 トオルは食い下がろうと口を開きかけた。が、彼の言葉を遮るようにカズラが口を開く。

「それでは、トオルにはカスルと一緒にいてほしい」

「そうだな。あの婆さん、一人だと心配だからな」

 カズラに言われ、うんうんとカゲンも頷く。

 二人の言い分に否やはなく、トオルは快く受諾した。

 トオルにカスルをまかせた三人は手を振り、階下へと降りていく。その背中をトオルはじっと眺めていた。

 ほっと息を吐く。なんとかこの場は誤魔化せたようだ。

 チヅルと一晩同じベッドで眠っていたのだと知られたら、なんと言われたかわかったものではない。

「なんとかなってよかった」

 汗を拭う仕草をするトオル。起きたばかりだというのに、嫌な汗を掻いた気分だ。

「さて……どうするか」

 扉へと向き直る。そろそろ着替えが終わったころだろうか。

 コンコンッとノックしてみた。すると、中から返事が返ってくる。

「はい、もう大丈夫です」

 というわけで、トオルは扉を開けて部屋の中に入った。当然、そこにはチヅルがいる。

「あの……ごめんなさい、トオルさん。ちょっとわたし、取り乱しちゃったみたいで」

「ああ、いや……俺の方こそなんといいますか……」

 お互いに気まずい雰囲気が流れる。別段悪いことをしたというわけではないが、無言の時間がいたたまれなかった。

「そ、そういえば、昨日はどうして俺の部屋に?」

「うっ……それは……なんと言いますか、ちょっとした複雑な事情があって」

「複雑な事情? それはどんな事情なんですか?」

「そんな……今はちょっと勘弁してください」

「わ、わかりました……」

 突っ撥ねられてしまった。

 トオルは視線を外し、意味もなく室内を見回す。

 しんと静まり返る室内。ただただ、気まずい雰囲気が漂う。

「とりあえず、下に降りませんか?」

「そ、そうですね……」

 トオルの提案に素直に頷くチヅル。

 二人は部屋を出て、階段を降りる。カスルにも声をかけるべきかと思ったが、後でもいいだろう。

 トオルたちが連れ立って降りていくと、既にカウンターには店主の姿があった。

「あら、おはよう。どう? よく眠れた?」

 店主はトオルたちのやり取りを知らないのか、はたまた知らない振りをしているのか、朗らかにそう訊ねてくる。

 トオルは曖昧に笑い、その場を濁した。

 眠れたと言えば眠れたのだが、今朝のちょっとした出来事を他人に言うのは憚られたからだ。

「もしよかったら、何か食べる物をいただけるとありがたいんですが」

「ああ、そうだね……こんな物しかないけどいいかい?」

 そう言って店主が取り出したのは、蒸かしたイモだった。

 サツマイモのようでもあり、ジャガイモのようでもある、トオルが見たことのない不思議なイモ。

「これって……」

「カンナイモっていうこのあたりで取れるイモだよ」

「カンナイモ……特産品ですか?」

「はは、まさか」

 トオルの言葉に、店主は乾いた笑みを浮かべ、肩をすくめた。

「特産品なんて上等なものじゃないよ。ただのイモだかね」

「でも、このあたりで取れるって……」

「まあそうだけど……逆に言えば、こんな物しか取れないんだよ」

 店主は困ったといった様子で嘆息する。一体どういうことなのか、トオルにはわからなかった。

「以前はもっといろいろな物が採れたんだけどねぇ」

「そうなんですか?」

 トオルの背後から、ひょいとチヅルが顔を出す。店主はトオルから彼女へと視線を移し、忌々しげに頷いた。

「何が起こっているのかわからないけれど、なぜか作物が育たなくてね」

「ええと、食べ物は自家栽培しているんですか?」

「簡単な野菜とかわね。しかしそれもここ最近めっきりさ」

「一体何が……」

 店主が溜息を吐く目の前で、トオルたちは目を見合わせた。

 以前はちゃんと育っていた植物たち。けれど、それらが育たなかった。

 偶然と言えばそれまでだけれど、ただの偶然で済ませていいものなのだろうか。

 生前、とあるyoutube動画で言っていた。連作障害やなんらかの病気に起因するものなのだろうか。

 トオルは頭の片隅にそうした可能性を考えつつ、この可能性を口にしていいものかと思案する。

 実際のところ、本当にそうだという確実な根拠はなかった。ただのカンと言ってしまっていい。

 本当に連作障害や特有の病気なのだとしたら、今日や明日でどうにかなるものではない。しかし、伝えておかなければこれからもこの親子はカンナイモ以外の作物を手にできないことになる。

 そうなってしまっては、大問題だろう。

 トオルが悩んでいると、ツンツンと彼の肩が背後から突かれた。

 誰だ、と思うまでもない。ここにいるのは店主とトオル、そしてチヅルの三人だけなのだから。

「トオルさん、どう思いますか?」

「どうって、ええと……」

「そういえばあんた、植物に詳しいんだったねぇ」

「いやぁ、詳しいというほどでは……」

 チヅルの無邪気な言葉に、トオルは恐縮してしまう。

 トオルの知識など、ほとんど付け焼刃と言ってしまっていいだろう。少なくとも本人はそれほど自信に満ちてはいない。

 にもかかわらず、こうしてアテにされることのなんと気まずいことだろう。

 トオルは苦笑いを浮かべながら先ほど頭の中に浮かんだ可能性を口する。

「もしかすると、連作障害かもしれないですね」

「連作障害? なんだい、それは」

「ええと……同じ場所で同じ作物ばかりを育てていると育たなくなる現象ですね」

 この世界に連作障害があるのかは定かではなかったが、それくらいしか思い浮かばなかった。

「お店の裏で育ててるんですよね?」

「そうだよ。その方が何かと便利だからね」

「失礼ですが、見せてもらうことは可能ですか?」

「あ、ああ……それは大丈夫だけれど……」

 店主は困惑した様子だったが、それでも反対することなく請け負ってくれた。

 トオルはほっとして、彼女に向かって会釈する。

「ありがとうございます」

「何言ってんだい。助けてもらうのはこっちだってのに」

「ただあの……俺は専門家ではないので適格なことは言えないかもしれませんが……」

「いいよいいよ。だめでもともとだからね」                             

 店主はひらひらと手を振り、快活に笑った。

 彼女は笑顔の下に、一体何を思っているのだろう。まさかよからぬことを企んでいるわけではないだろうけれど。

 店主はトオルとチヅルを連れ立って、店の裏手へと向かう。

 裏口から出ると、そこには店の規模から考えてやや広めの畑が広がっていた。

 どれほどの広さがあるのだろう。咄嗟にはわからなかったけれど、一人で管理するには大変だろう広さだ。

「ここにカンナイモを植えていたんだ。あっちらへんには別の植物を」

「なるほど……ちなみに何を植えていたんですか?」

「カラヒナとアマザラシだね。どちらもそこそこ面倒だけれど、コツを掴めば育てるのは難しくはないよ」

「なるほど……」

 どちらも聞いたことがない植物だった。

 転生してからこっち、まともに名前を知っている植物と言えばトマくらいなものだ。それにしたって、まだ実物をみたことがない。

 カラヒナとアマザラシという植物が何科に属する植物なのかはわからないけれど、とりあえず土の状態をあらためておくことは大切だろう。

 そう思い、トオルは膝を折って土をすくう。

 さらさらさら、と土は指の間から零れ落ちる。詳しいことはまるでわからなかったが、あまりいい状態ではないのだろうということだけはなんとなく察せられた。

「どうだい?」

「どう……と言われましても」

 トオルにわかるのはおそらくこれはだめだだろうということだけだった。

 では一体何がどうだめなのかと問われると返答に窮する。

「ええとですね……」

 どうなったらよかったのだろう。確か、あまりにもさらさらし過ぎるとよくないのだったか。

 団粒構造を形成している土が畑の土としては一級品だったと聞いた覚えがある。

 その点でいくと、この土はさらさらし過ぎている気がした。確信を持ってそうだとは言えないけれど。

「……もしかすると、土の状態が悪いのかもしれないですね」

「土? 土なんてあるだけいいだろう?」

「いえ、ただあるだけではだめなんです。なんといいますか……土の健康状態が悪いといいますか」

「土の状態?」

「これを見てください」

 トオルはひと掴み、畑の土を掴んで店主へと差し出した。彼の手の中にあるそれをじっと見つめ、店主は小首を傾げる。

「これがどうしたってんだい?」

「以前はこんなふうではなかったはずです」

「そう……だったかなねぇ」

 店主は記憶を探るように目を細め、トオルの手の中にあるさらさらとした土を見つめていた。

 あまり自信がないのだろう。店主の表情がだんだんと険しいものになっていく。

「ええと、植物の生育に土の存在は不可欠です」

「わかっているよ。根っこを張るんだろう?」

「はい。そして根から栄養を吸収するんです」

「ああ」

 店主は納得したように頷きながらトオルの話を聞いていた。

「では、栄養はどこから吸収するのだと思いますか?」

「どこってそりゃあ……そうか」

 トオルの言わんとしていることがわかったのだろう。店主はハッとした様子で目を見開いた。

「そうです。この土に栄養はあまりありません。これでは育つものも育たない」

「なるほどね……大したもんだ。こりゃあそっちのお嬢さんが惚れるわけだよ」

「ええ、あの……ええと、わたしは……」

「な、何を言い出すんですか、突然」

 店主の軽口に、トオルとチヅルは慌てて否定する。

 二人は揃って顔を赤くしていた。その様子を見て、店主はあははと笑う。

「別に隠すこともないだろう。あんたみたいな頼りがいのある男、そりゃあそうなるさ」

「いえ、俺はそんな大した人間では……」

「そう自分を卑下するもんじゃないよ」

 がっはっはっは、という笑い声が似合いそうなほど豪快に笑って、店主は踵を返す。

 トオルはその背中を呼び止めた。

「待ってください。原因がわかっても、対策しないと」

「大丈夫だよ。土に栄養がないとわかったなら、補えばいいんだろう?」

「それはそうですが、一朝一夕でどうにかなるものでは……」

「むっ……それは困ったねぇ」

 どれだけ早く育つ品種を選んだとしても、今日植えて明日育つ野菜なんてない。

 ましてやこの世界は生前の日本と比べて文明レベル的には劣るように思えた。耐病性や早生品種などは存在しないと考えた方が無難だろう。

 そうだとすれば、この先もこの畑で植物を育てていくには相当の工夫が必要だと思われた。

「一応すぐにできる対策としては、カラヒナやアマザラシなどのこの畑で以前育てていたものは育てないといったところですかね」

「なるほど……しかしどうして栄養がないなんてことになったんだろうねぇ。今までこんなことはなかったよ」

 理由としては至極簡単だ。

 野菜でも何でも、植物は必要な栄養素を使って成長していく。同じ場所で同じ植物を育てていれば、必要な栄養素は枯渇してく。

 前世の頃は自明の理に思えたそうした理屈も、この世界ではそうではないらしい。

「とりあえず、すぐにできる対策としては全く別の野菜を育てることですね」

「なるほどね……しかし別の野菜か……となると何があるかな」

「カラハラの実なんていいんじゃないかな、母さん」

 不意に背後から声がして、トオルたちは振り返った。

 声の調子でなんとなくわかってはいたが、そこにはアンドレがいた。

 彼は微笑ながら、トオルの隣にやってくる。

「カラハラの実というのはどんなものなんですか?」

 トオルが訊ねると、アンドレは更に笑みを深めた。どうしてこんなに嬉しそうなのだろう。

 そんな疑問を抱くトオルを置き去りにして、アンドレはカラハラの実に関する説明を始めた。

「細長い野菜です。切るとネバッとしていて、それがおいしいんです。熱い地域で育ち、多少水やりをしなくても育つそうです」

「なるほど……そんなのがあるんですね」

 説明を聞いてもピンとこなかったが、なんとなくオクラのようなものだろうかと想像する。

 細長くてネバッとしている、という特徴からなんとなくそう思っただけで、根拠薄弱にもほどがあるのだけれど。

「それはこの近隣に自生していたりするんですか?」

「いえ、ここから少し離れた村で栽培されていると聞いたことがあります」

「カラハラの実ねえ……育てるのはいいんだけれど、いかんせん種を採りにいかなくちゃいけないというのがね」

 店主は困ったように眉根を寄せ、腕を組む。店を開ける心配をしているのだろうか。

 トオルはチヅルへと視線をやった。

 どうせなら手伝ってあげたいところではあるが、トオルたち一行も目的がある旅だ。安易なことは言えない。

「どうしましょうか、チヅルさん」

「そうですね……ちょっとわたしだけでは何とも……」

「ですよね」

 トオルは苦笑を浮かべ、チヅルから畑へと視線を戻す。

「カゲンたちが戻ってきたら相談してみましょう」

「そうですね。それがいいかと」

「すまないね。助かるよ」

 トオルとチヅルがそう結論付けると、店主が小さく呟いた。

 それに対して、トオルは何も言えなかった。

 

 

           ◇

 

 

 なぜ作物が育たなくなってしまったのか。その原因は連作障害である。

 そう結論付けたのはいいものの、実際のところはどうであるかはトオルにはわからなかった。

 とはいえ、何が原因だったにせよやることはそれほど多くはない。特にこの世界では。

 トオルの助言を聞いて、あの親子がどういうふうにするのかはトオルたちが口を挟むことではない。

「とりあえずごはんを食べましょう」

「そうですね」

 トオルとチヅルはカウンター席に座り、先ほど出されたカンナイモを蒸かしたものを口へ運ぶ。

「……へえ、なかなかおいしいですね、これ」

「はい。わたしも初めて食べましたけど、見た目よりずっと食べやすいです」

 ジャガイモのような見た目をしているけれど、ほんのりと甘みがあり、しかしあまりしつこくはない。

 朝食としてはかなりいいのではないだろうか。

「これ、村でも育ててみてはいかがでしょうか?」

「そうですね。トオルさんが気に入ったのなら――」

「それは無理な話じゃ」

 二人が蒸かしイモを食べながら話していると、背後からしわがれた声が聞こえてきた。

「カスルお婆ちゃん、起きたんだね」

「ああ、昨日は非常に疲れたのう」

 トオルたちが振り返ると、そこにはゆっくりと、だがしっかりとした足取りで怪談を降りてくるカスルがいた。

「おはようございます」

「うむ」

 トオルが挨拶をすると、カスルは頷いた。

「お婆ちゃんも食べる?」

「ふむ、では少しだけ。年寄りはあまりたべらないからのう。これくらいで十分じゃ」

 言いながら、カスルはチヅルのイモの三分の一以下の量を受け取っていた。

 それを口に運び、味わうように咀嚼する。

「どう、おいしい?」

「ああ、おいしいのう。昔、食べた味じゃ」

「へえ……以前にも食べたことがあるんですか?」

 トオルは立ち上がり、カスルに椅子をすすめた。すすめに応じて、カスルは座る。

「あれは今から十数年前のことじゃったかなぁ……当時、わしも食べたがあれはいいものだった」

「それは本当かい?」

 半信半疑、といった様子で店主はカスルへと視線を寄越す。

 彼女のしぶかしげな視線を受けて、カスルはしっかりと頷いた。

「左様左様。旅の者が持っていたカンナイモだった。それを分けてもらったことがある。わしがまだ子供の自分じゃったから、かれこれ数十年前になるじゃろうな」

 カスルの現在の年齢をトオルは知らなかったが、結構なご高齢であることは容易に想像ができた。

 彼女が子供の頃の話だとすると、それはそれは大昔の出来事になる。トオルから見ても相当過去のことなのだから、チヅルのような若い娘さんにとっては太古の昔に思えることだろう。

「当時、旅人から分けてもらったこのカンナイモをわしは村でも栽培するよう当時の村長に掛け合った。そして実際に種を入手し、育てることになった

「それで、どうなったの?」

「育たなかったんじゃよ」

 チヅルの期待を込めた問いに、しかしカスルは悲しげに告げる。

「何が悪かったのかは分からない。おぬしには分かるかのう?」

「ええと、俺にも分からないです。可能性を述べることはできますが」

「いい、いい……もう大昔のことじゃ。まずは目の前の問題をどうにかするとしよう」

 カスルは首を振り、嘆息する。

 大昔のこと。確かにそれはそうだが、なんとなく引っかかる。

 幼い頃からカスルに面倒を見てもらった身としては、何とか手に入れられないものだろうか。

 チヅルはちらりとトオルへと視線をやった。けれど、トオルは自分へと向けられたその視線に気付くことなく鎮痛な面持ちで頷いている。

「ちなみに、その旅人はどこで種を手に入れたのかは分かりますか?」

「さあてのう……何せ大昔のことじゃ。記憶はおぼろげでの」

 トオルの問いかけに、しかしカスルは返答に窮していた。

「どうしてそんなことを聞くのじゃ?」

「ええと、このカンナイモを村で育てることができたら、カスルさんは嬉しいかなと」

「……それはありがたい限りじゃ。とはいえ、わしのような老いぼれにそんな心遣いは不要じゃて」

「老いぼれなんてそんなことは……」

「よいよい」

 トオルが何か言おうと口を開きかけたが、続く言葉を遮るようにカスルは手を掲げる。

「それより今は眼前の問題だけを考えて欲しい。トマの種を入手するために」

「わ、わかりました……」

 カスル本人がそういうのであれば、トオルとしてはこれ以上口を挟むことはできなかった。

 彼女の言う通り、今はトマについて考えるのが先決だろう。

「それにしても遠いんですね、ドライドア山脈というのは」

「まあ遠いと言えば遠いですね。ただ、王都への道のりと比べると近いですが」

「そうなんですか?」

「そうですそうです。王都はここ、ニムの町からさらに六月はかかりますね」

「はえー」

 それは余りにも遠すぎる。ここまでの道程でさえ、トオルには非常に辛いものだった。

 だというのに王都まで六月。もちろん全てを徒歩で行くわけではないのだろうが、それにしたって遠すぎる。

「王都へ着いてからも、王宮までは一週間ほどかかるそうです。まあわたしは王都にすら行ったことはないんですが」

「カスルさんは王都へ行ったことはありますか?」

「ありはせんよ、わしも」

 トオルの問いかけに、カスルは小さく首を振る。

 老獪で人生経験豊富そうなカスルでさえ、王都には足を運んだことがない。とすると、村人のほとんどが王都へ赴いたことがないのではないだろうか。

 なんとなく村長のホヅルなら行ったことがあるような気がした。何せ村で唯一、魔法を使える人材だ。

 その昔、王都で何かしらの役職に就いていた……というのはフィクションではよくある話に思える。

 現実とフィクションを混同するなんて、と思ったりもするが、他に仮説の立てようもないので勝手にそう思っていることにした。

 なんてことを考えていると、店の扉が開く気配がした。

「お、三人とも揃ってるな」

 宿屋宵の口の出入り口から聞き知った声が聞こえてきた。

 チヅルは声のした方へと振り返り、パッと表情を明るくする。彼女につられてトオルも声のした方へと振り返った。

「カゲン、それにハマルにカズラ。どうだった、町の方は?」

 チヅルが興味深そうに訊ねると、ハマルとカズラは肩をすくめる。

 三人の中でカゲンだけが得意げに鼻を鳴らした。

「もちろん、必要なものは揃えて来たさ」

「そんなことわかってるよ。騎士と貴族の人たちはいなかったの?」

「ああ、そっちか。……もちろんいたさ。いけすかねえぜ」

 つい一瞬前までは楽しげだったカゲンの表情が途端に曇る。根拠はないけれど、何かトラブルに遭ってしまったようだ。

 トオルは帰って来たばかりの三人に椅子をすすめつつ、何があったのか深掘りしてみる。

「何かあったみだいですね」

「ああ、実はカゲンが騎士の一人に絡まれたんだ」

「え? 大丈夫だったの、カゲン」

「大丈夫だったから帰って来たんだろう」

 カゲンはあからさまに不機嫌そうな顔で椅子にどすんっと椅子に腰かける。

 対照的にハマル、カズラの二人は苦笑いをしつつ、静かに座った。

「まあほとんどカゲンが悪いと言えなくもないんだけどな」

「なんで俺が悪いってことになるんだよ」

「お前があの騎士に絡んでいかなければ生まれなかった揉めごとだった」

「仕方ねえだろ。あの騎士の態度はカズラたちも見たはずだぜ。人を小バカにしやがって」

「だからといってやたらとケンカを吹っ掛けるの止めたら? こっちまで迷惑なんだけど」

 ハマルは顔をしかめ、苦言を呈する。一体何があったのだろうか。

 トオルとチヅルは顔を見合わせ、首を捻った。騎士に対してカゲンが何を言い、どんな態度を取ったのだろう。

「た、大変でしたね」

 トオルは苦笑を浮かべ、カゲンを労った。労われた方のカゲンは嘆息してトンッと手にしていた槍の尻で床を叩く。

 それで頭を切り替えたのだろう。フッと彼の表情から険が消えた。

「まあな。それよりトオル、体の調子はどうだ?」

「ええと、体調が悪いということはないです。昨日はぐっすり眠れましたし、体力的にも問題ないかと」

 実際のところはまだ多少の疲れがあった。しかし、だからといって長く足を止めているわけにもいかない。

 それにこの程度の疲れなら、前世の方がきつかった。

 どうしてだろう、とトオルは考える。体力面では確かに今の方がきついはずなのだけれど。

「そうか。ならなるべく早く出発したいのだが、カスルはどうだ?」

「わしも構わんよ。すぐにでも出立するべきじゃと思う」

「では準備がすみ次第、出発しよう」

 カズラの号令で、各々の部屋へと戻る。

 トオルも昨日使っていた部屋へと取って返し、荷物をまとめる。荷物といっても、トオルの場合はそれほど多くはないのだけれど。

「それで、ええと……どうしてチヅルさんもここに?」

「わ、わたしも昨日はこの部屋で眠りましたから」

「それはそうですが……」

 確かに昨日はチヅルもこの部屋で寝た。けれど、荷物はここにはないだろう。

「手伝います」

「す、すみません……」

 トオルがモタモタしているのが気になるのだろうか。チヅルが手伝いを申し出だ。

 申し訳なく思いながら荷物をまとめていくトオル。それほど大した量がない上に二人が狩りだったからか、すぐに終わってしまった。

 そうすると、何もすることがなくなる。しんと静まり返った室内に、二人の息使いだけが反響する。

 こういう時、先にいたたまれなくなるのはトオルだ。生前に部下の女の子と深夜に仕事をしている時にも柄にもなくべらべらと喋ったものだ。

「あの、チヅルさん」

「どうしました、トオルさん」

「いや……えーと」

 トオルは言葉を探して虚空へと視線をさまよわせる。何を言うべきだろう。

「……カスルさんたちの部屋へ行きましょう。そっちに荷物を置いているんですよね?」

「はい。……そうですね、そうしましょうか」

 トオルたちは二人でカスルとハマルがいるであろう女子部屋へと向かった。

 そういえば町を観光したりはしなかったな、とトオルはうっすらと考えた。

 今回の旅の目的はトマの種を手に入れることで、観光は目的ではない。

 であるならば、そうした邪な考えは捨てるべきだろう。それに、町中には騎士が跋扈している。

 カゲンのように騎士に絡まれたら、トオルは毅然とし態度は取れないだろう。

 絶対にへっぴり腰で揉み手をしながら相手の機嫌を取っているに決まっている。

 そんな情けない姿を同じ旅の仲間に見せることにならなくてよかった、とほっとするトオル。

 まとめた荷物を持ち、部屋を出る。そのまま女子部屋へと移動し、こんこんとノックした。

「入ってー」

 中からハマルの声が聞こえてくる。

 チヅルは扉を開け、中に入った。トオルも彼女の後に続いて女子部屋へと失礼する。

「チヅル……と、あらあらトオルじゃん。どうしたの?」

「どうしたと言いますか、お手伝いすることがあればと思いまして」

「お、それは助かる。ちょっとカスルが手間取ってるみたいで」

「何も手間取っとらんわ」

「まあまあ。いいじゃないの、手伝ってもらえば」

 カスルはあまり納得していないようすだったけれど、それ以上何も言わなかった。

 というわけで、トオルは彼女の荷造りを手伝うこととなった。とはいえ、カスルの荷物はそれほど多くなく、すなわち荷造りはすぐに終了した。

「……終わりましたね」

「だから手伝いなんていらんと言うとるんじゃ。それより、チヅルの手伝いをしてやったらどうじゃ?」

「え? チヅルさん……」

 カスルに言われ、チヅルへと視線を移す。すると、一人で荷物を雑嚢に押し込んでいる姿が目に入った。

「あの子の方が荷物は多い。手伝っておやり」

「分かりました。それでは」

 指示通り、トオルはチヅルの許へと向かう。事情を説明し、彼女の荷造りを手伝った。

 老婆の言う通り、チヅルの荷物はトオルや他のメンバーよりやや多かった。そのほとんどが道中で食べる食料だったり、薬草だったりする。

 おそらく、これがチヅルの役割の一つなのだろう。要するに雑用係だ。

 カゲンやハマルは戦士としてトオルたちの護衛などの任務があり、カスルは年寄りだ。

 トオルは……体力面ではあまり信用されていないということなのだろう。故にチヅルがこうした役割を担っているわけだ。

 ありがたいと思いつつ、言われるがままトオルは荷造りを終えていく。

 そうして、出発の準備が整った。

「他にやることはありますか?」

 トオルが訊ねると、チヅルもハマルも首を振る。

「そうだね、とりあえずはカゲンとカズラが声をかけてくるはずだから、それまで待っていよう」

「分かりました」

 ということは、それまでは暇を持て余すことになる。

 この世界に時間という概念が存在するか否かは定かではなかった。少なくとも村の仲間たちにとっては時間という言葉や意味は未知のものだろう。

 彼らにあるのは、朝と昼と夜の大雑把な感覚だけだ。                                          

 そうした村人が持つ感覚は、ここ数ヶ月でトオルの心中にも浸透していた。

 詳しい時間が分からなくても生活できる。ゆったりとした時間の中で、トマを育てなければという焦りと穏やかな空気感という一見すると正反対の感覚に戸惑っていた時期もあった。

 前世ではただひたすらに焦りとストレスで死にそうになっていたというのに。

 それが今では一つの村を救うために旅をしているのだ。人生、何が起こる分からないものだ。

 などとトオルが感慨深く思っていると、ハマルはベッドに腰かけ、にこっと笑みを浮かべる。

「それで? 二人は昨日の夜、どこまで行ったの?」

「な、何を言い出すの、突然ッ」

 突然ハマルに言われ、恥ずかしそうに顔を赤らめるチヅル。慌てた様子でわたわたと両腕を振り回す姿に、トオルは首を傾げた。

「どうしたんですか?」

「な、なんでもないです! トオルさんには関係ありません!」

「そ、そう……なんですか?」

 明らかに関係大ありの様子だったが、チヅルの迫力に圧されあまり踏み込むことはできなかった。

 ただ、トオルも社会人としてそれなりの期間を過ごしてきた身だ。にやにやと笑うハマルの様子から何を言いたいのか、大まかな察しは付いた。

 しかし、それはトオルのただの憶測であり、実際にどうなのかを確かめたわけではない。

 そして同時に、女性に対して本当のことを確かめられるほどトオルの肝は据わってはいなかった。

 だから、わーわーと騒ぐ若い娘二人を視界の端に収めつつ、トオルはカスルへと問いを投げるのだった。

「ええと、カスルさん。これから向かうドライアド山脈についてなのですが」

「なんじゃ? いまさら怖気づいたとは言わんじゃろうな?」

「ええ、まあ怖気づいた言えばその通りなのですが、いまさら言っても仕方のないことですからね」

「なかなかに胆力のある」

「そんなことはありませんよ。いまでもびくびくしてますからね」

 そう言って自虐気味に笑うトオルに、カスルはまじめくさった顔で応じる。

「しかしおぬしはこうして付いて来た。それはなぜじゃ?」

「それは……」

 この旅に、トオルが同行する必要はなかった。それでも半ば無理をしてでもトオルは付いて来た。

 それはなぜか。理由は明白だ。

 ドライアド山脈とはどんな場所か。それを自分自身の目で確かめたかったからだ。

「なんと言いますか……好奇心、ですかね」

 むかしむかし、トオルは映画やアニメが大好きだった時期がある。

 ジュラシックワールドや劇場版ドラえもんなど、スケールの大きな大冒険譚が特に好きだった。

 自分もいつか、こういう大冒険を繰り広げるのだと夢を語っていた時期が確かにあったのだ。現実はただの社畜になってしまったのだけれど。

 それも一度死に、生まれ変わっ機会を得た。いざチャンスがめぐってくると、カスルの言う通り怖気づいてしまっている自分がいるのもわかってる。

「……俺は、なんだかんだ臆病な人間ですからね。知っておけることは知っておきたいんです」

 小学生のトオルなら、なんと言っただろうか。想像もつかないけれど、強がりを口にしただろうことだけは確かだった。

 もし虚勢の一つでも張れたのなら格好もつくだろうけれど、くたびれたおじさんになってしまったトオルにはそれもままならない。

「確かに憶病と言えば臆病じゃな。……しかしまあ、それも悪くはなかろうて」

 ふっと、微かにカスルが笑った……ような気がした。気のせいかもしれなかった。

 四人が各々過ごしていると、扉が無遠慮に開かれた。

「よし、それでは出立する」

 カズラのよく通る声が部屋の中を駆けめぐる。トオルはもちろん、チヅルやハマルまでおしゃべりを止めていた。

 これからニムの町を発つ。その後の道のりは、さらに険しいものになるだろう。

 トオルはぎゅっと唇を引き結び、決意を新たにした。

 

 

 

 続く。

 

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超ブラック企業勤めだった俺が異世界で農家始めちゃいました。 伏谷洞爺 @kasikoikawaiikriitika3

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