第19話

教育の変容──制度から営みへ、学びの根を植える


 学校は“建物”でも“時間割”でもなくなった。

 集会所、畑、縁側、そして風の通る空き家が、すべて学びの場になっていった。


 教える者と教えられる者は流動し、子どもが手当ての知識を教え、大人が耕作の失敗を学び直す光景が日常となった。

 外国から来た青年が自国の水管理術を教えると、地域の農家たちはそれを“真面目に”ノートに取り、次の植え付けに活かした。


 かつて必修だった英語教育は、すべての国境が霧の向こうに消えたあと、静かに消えていった。

 代わりに、風の読み方、火の育て方、傷を癒す食材の組み合わせ——「生きるための知」がカリキュラムの中心に据えられた。


 笑顔のない塾も、沈黙の続く模試も、今はなかった。

 子どもたちは土を掘り、魚を捌き、泥まみれで寝転がる——

 その中で学び、そして、豊かに笑っていた。


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 都市から農村へ──“動く”ことから“耕す”ことへ


「生きるには、土に触れるほかない」


 その言葉が合言葉のように広がり、大都市から人々が列島の田畑へと移動し始めた。

 失われた耕作地には再び鍬が入り、かつて放棄されていた水路が修復され、地域ごとに“農の共同体”が再生された。


 そこでは、年齢も国籍も問われなかった。

 都会育ちの若者がベトナム人実習生に鋤の使い方を教わり、老いた農夫がインド人留学生に種の話を語った。


 始まりは、収穫の早いじゃがいも、大豆、麦。

 それでも収量は年を追うごとに安定し、米を待たずして列島の自給率は80%を超えるまでになっていた。

 誰もが汗を流しながら、土に根ざした「国家なき国」の未来図を描き始めていた。


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 情報が沈黙した世界で、人は“声”に戻った


 スマートフォンは沈黙し、SNSは途切れ、ニュースは届かなくなった。

 けれど、それで“つながり”が絶えたわけではなかった。


 人々は再び、“声”を使い始めた。


 朝には戸口越しの「おはよう」、夕方には届いた手紙を大事に胸に当てる姿。

 遠く離れた町の安否を確かめるための伝言が、人の手から人の手へと旅をした。


 光ではなく時間。即時性ではなく、温度でつながる社会が、そこに戻ってきていた。

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