第29話 殺されかけた話
30話で終わらせようと考え、この回も含め、あと二つ何を書くか選択に迷っている。
振り返って自分でも不思議なのは、28話まで歴史関係が多いことだ。小学高学年の頃から歴史好きだったせいなのかとも思うが、改めて考えると、終戦、南京事件やマッカーサーのことを書いた動機は、興味というより曖昧な知識を抱えたまま死にたくなかったからである。長い間、モヤモヤしていたこと、つまり、これまでの不勉強を精算したかったのだ。
もうひとつ気がついたのは、フィリピン繋がりである。これは29歳の失恋から始まった出直しの人生であり、日本にいた頃とは全く別次元の体験をしたからなのだろう。
これまで書いたことを整理してみたが、今もまた、フィリピン繋がりの話が頭に浮かんでいる。自慢話ではさらさらなく、こんな体験をした男の結末がどうなったかを、他人事のように眺めたいのである。
今回は殺されかけた話だ。よくもこれまで生きてきたと思う。ただの顔見知りではなく、普段、顔をつきあわせ、酒を飲み、家庭を訪問し合うほど仲の良かった友人四人がフィリピンで殺されているが、「俺は運が良かった」と言うだけでは済まされない何かを感じている。
「危なかったなぁ」という体験、その中でも銃を突きつけられた経験を思い出す。よほど悪いことをしてきたのか、不手際をしでかしたのかと考えると、確かに否定できない。
1.大統領のフィクサーに取り囲まれたこと
これは私の小説「駐在員と市街戦」に書いたことだが、初めて私が大統領のフィクサー宅を訪ねたときのことである。大統領選挙を翌年にひかえ、暗殺や銃撃戦、手榴弾が相手陣営に投げ込まれる社会状況であった。
ある日の夜八時頃、事務所に電話がかかってきた。直ぐに来るようにと、フィクサーの秘書が言う。支店長は出張中で、私が代理をしていた。
ケソン市の邸宅前に着くと、正門には鎖がまかれ閉じられている。フィクサーの秘書から裏口から入れと言われていたので、指示通り私は裏口へ向かった。高い塀の周りには草木が植えられており、庭園灯のようなものはあるもののほぼ暗闇である。
私が進んでいくと、突然、私の背中と脇腹に、数本の鉄棒が突きつけられた。かなりの力が込められており、痛さの余り悲鳴を出すほどである。
私は数人の男に取り囲まれていた。強盗かと思ったが、男達はフィクサーの私兵であった。鉄棒と思ったものは、自動小銃やライフルである。小便を漏らしそうになったのは言うまでもない。
強盗ではないことが分かったので、多少の安心感はあったが、瞬時に思ったのは、こんな時、血の気が多く早とちりな奴がいたら暴発事故になるということで、私は生きている心地がしなかった。銃口を向けられるというのは、本当に恐ろしいのである。
2.華僑の手口にはまったこと
当時私は商社を辞め、中古エンジンの商売をしていたが、現金取引以外は禁止してあるのに、なぜか店員が小切手を受け取ってしまった。小切手は不渡りが多いのである。
受け取ってしまった以上、店員に任せるわけにはいかず、私はバイヤーの事務所へ向かった。その店員には腹を立てており、客と店員が内通している恐れもあるので私一人の運転である。
訪ねてみると、客は埋め立て業者で、中国名の名刺をもらった。華僑である。
意外なことに、机の上には現金が置かれていた。「小切手が駄目だと聞いているので準備しておいた。受け取れ」と華僑が言う。
それなら取引成立ということで、まず紙幣の枚数を確認し、それから領収書を渡そうと私は現金に手をかけた。すると、突然、「おいっ、お前は領収書を出さずに売買をしたな。これから税務署に訴える」と、華僑が凄み声を出した。
私は頭に血が上り、この商談は取りやめだと言い返した。
すると、「俺をただのフィリピン人だと思うなよ。フィリピン人は泥棒するだけだろうが、俺はお前の全てを奪ってやるからな」と、華僑は机の引き出しから拳銃を取り出し、無造作に机の上に置いた。
黒い鉄の塊の音が室内に響くと同時に、事務所にいた四人の男が私の背後に立ち、逃げ道を塞いだ。
「つい昨日、ここで百年前の白骨が見つかったぜ。お前もそうなりたいか」
事務所の窓を開け、更に凄みを増した声で華僑が言う。確かに、そこは南シナ海に面した埋め立て地で、窓の外には汚泥が果てしなく広がっている。
恥も外聞も無く、私は平謝りに謝った。なんとかこの危機を脱しなければ、本当に殺されると思ったのである。
監禁は二時間続いた。そしてその結果、根負けしたのか計画通りだったのか、華僑が条件を持ち出してきた。
私は拍子抜けした。何とその条件は、小切手を認めること、支払いは一ヶ月後、10%の値引きをすることである。私に異存などありようがなく、むしろ感謝の言葉を述べながら、私はその場を逃げ出したのであった。
帰りの車の中で、私は中学時代の教えを呪っていた。華僑とは東南アジアで活躍する中国系商人のことで、華僑の繁栄は、約束を守り、結束力が強いからだと習ったことがある。それゆえ、華僑には親近感があった。それなのに、今日の出来事はなんたることか、まんまと華僑の計画に引っかかり、土下座に近い真似をするとは、甘ちゃんにもほどがある。私は自分の商才のなさを思い知らされた。
3.警備員とトラブルを起こしたこと
マカティの歯医者へ行ったとき、その建物の駐車スペースに駐めると、一人の若い警備員が近づき、ここは駐車禁止だと言う。もう数回も立ち寄っている歯医者であり、これまで問題は全くない。その旨を告げ何度か押し問答をしていると、「どかせと言ったらどかせ」と怒鳴りながら、警備員はホルダーから拳銃を引き抜いた。
その時である。下手なドラマのようなタイミングであるが、タガログ語で「タマ、タマ(やめろ、やめろ)」という声がかかった。騒ぎを聞きつけ、別の警備員が飛んできたのである。
ちょうど翌日の新聞に、同じマカティだが別の駐車場での射殺事件が載っていた。警備員との口論が原因と書かれており、私は胸をなで下ろしたものだ。
4.女房に浮気がバレたこと
最後に、私の恥を晒さねばならない。自営業をしていた頃、私は浮気をしてしまった。ちなみに、私の妻はフィリピン人である。
ある日の昼、食事のために自宅へ戻ると、妻から電話がかかってきた。「あんたの愛人と一緒にいる。直ぐに来ないと彼女を撃ち殺す」と言う。
逃げるわけにはいかず、私は指定された場所へ急いだ。こんな場合、フィリピンでは殺人事件になる場合が多い。
部屋に入った途端、撃たれるかと思いつつも、妻に殺されるのなら仕方ないかと反省の念を感じながら、40度にもなろうかという白昼の炎天下、私は車を走らせた。背中には止めどもなく汗が流れている。
部屋に入ると、妻が拳銃を愛人に突きつけていた。まさに修羅場である。しばらく沈黙が続いた後、「あんたはどちらを愛しているのか」と妻が言い出し、今度は私に銃口を向けた。
「君に決まっているよ」と、妻に土下座するのが常識であろうが、私はへそ曲がりな男である。「どちらも愛している」と言ってしまった。
本当に最低な男である。自分の性格を抑えきれず、相手がどれほど傷つくか知っていながら愚かな言葉を発してしまったのだ。
撃ち殺されることなく何とか愛人を退出させ、その場は切り抜けたが、妻との冷戦状態はしばらく続いた。やがて、数ヶ月が過ぎ、怒っていた妻と会話を交わすようになると、私は自分を見直すようになる。その内、出来た女だと妻がいじらしくなり、私は心から反省するようになった。
何度か死ぬ思いをしてきて、その都度私が思っていたのは、一人の男の死がどれほどのモノかということである。言い換えれば、どれほどの価値が自分にあるのかという疑問であった。
結論は、価値なしである。だからといって自暴自棄になり、メチャクチャやることにしたわけではない。自分を消耗品として扱うことにしたのだ。やりたいことをやる、人生に悔いを残したくないという思いは変えられない。しかし、そう思いながらも、消耗品としての責任を果たそうと私は決意した。
責任とは、男としてとか仕事としてとかではなく、親としてであった。我が子が可愛いと思えば自らを犠牲にする、誘拐犯と遭遇すれば相手を撃ち殺す、子供の幸せと思えば涙を呑んで別れもする、何でもやってこい、どうせ男の俺は消耗品なのだと決心していたのである。
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