髪結う君は花火に泳ぐ

月見 夕

時間貸しの霊媒師

 蝉が鳴き始めた十時の駅前で、私は始まったばかりの夏空を見上げた。

 木陰の中から行き交う人々に目を遣り、待ち合わせの人物がいないか見渡す。約束の時間には、少し早かったかもしれない。どんな人が来るんだろう。

 今夜は近くの神社で花火大会が開催されるのもあって、こんな明るい時間でもちらほらと浴衣姿の女の子を見かける。赤や青や紫の袖を揺らして街を行く様は、水景に華やぐ金魚みたいだった。

 額に浮いた汗をハンカチで押さえる。梅雨が明けたらしいけれど、それにしたって七月中旬にしては暑すぎやしないか。

 逸る気持ちを抑えた私は、染め直した茶色い前髪を整えた。


 レンタルフレンド、レンタルおじさんなんてサービスを提供する人々は、今の時代SNSのそこかしこにいる。

 初対面の人と打ち解けるのが得意な人、他にはない特殊なスキルを持った人、誰かの役に立ちたい人……世の中には様々な人がいて、依頼者の必要に応じて誰かが手を貸してくれるというものだ。報酬さえ払えばフードデリバリーのように簡単に依頼することができる。

 個人がそう名乗っているにすぎないものから、レンタル上司のような人材派遣会社が仲介した時間貸しの人材派遣まで様々だ。スキマバイトのような感覚で人の貸し借りが行われている。日常のちょっとしたシーンからビジネスの重要局面まで、現代人は人手が足りなさすぎる。


 今日私が依頼したのは「レンタル霊媒師」だ。一般人の目に視えない霊に困っている人を助けてくれるらしい。どこにも所属せずフリーで活動しているらしく、依頼を受けるかどうかは気分次第だという。

 とても正気では依頼できないような人とサービスだ。実際、私は依頼するまでにたっぷり一週間は悩んでいる。

 確かにで困ってはいる。こんな依頼、警察にも興信所にも頼めないだろう。けれど職業「レンタル霊媒師」だなんて、いくら何でも怪しすぎたかもしれない。

 ……やっぱり帰ろう。

 踵を返そうとしたその時。真新しい陽炎の向こうから、ひらひらとこちらに手を振り近付いてくる男の姿があった。

「やあ、君が依頼してくれた子かな」

 長い黒髪を後ろに縛った彼は、へらりと笑う。二十代後半くらいだろうか、涼しそうなシャツに身を包んだ風体は普通の人にしか見えない。普通の、ちょっと格好良いお兄さん。

 差し出したスマホには、私とやりとりしたDMが映っている。この人がレンタル霊媒師か。呼んだのは私のくせに、何だか現実味がない。

「そう……です」

「初めまして。俺は芦峯あしみねまどか、君は?」

 同じ木陰に入ってきた彼――芦峯さんを見上げ、私も出遅れたように名乗る。

佐村さむら灯奈ひな、です」

「そう」

 頷いて、芦峯さんは目を細めた。ちらりとだけ私の背後に目を遣り、やれやれと首を振る。

「それにしても暑いね。ひとまずどこかに入って話を聞こうか」



 暑さから逃げ込むように、私たちは駅前のカフェに入った。

 注文したドリンクがふたつ、小さなテーブルに並ぶ。

「はあ、生き返るね。梅雨が明けるとこんなにも暑いだなんてね」

 アイスコーヒーのストローを摘み、向かいの席の芦峯さんは息を吐いた。

 改めて見ると細身で背も高いし、気怠そうだけど所作が落ち着いていて「大人の男性」という感じがする。職場のチャラい先輩たちとは大違いだ。

 傍から見たら私たちはどう映るのだろう。思いのほか整った顔立ちを真正面から見られず、私は手元のコーラフロートに目線を落とした。失敗したな、こんな子供っぽいの頼まないで私もアイスコーヒーにすれば良かった。

 平静を装い、話題を変えるようにおずおずと切り出す。

「芦峯さんって……本当に視える人なんですか」

「真っ当な疑問だね。十人いたら十人ともそう聞いてくるよ」

 失礼なこと聞いちゃったかな、と焦ったけれど、芦峯さんは嫌な顔一つせず微笑んだ。初対面の相手に対して質問するにしても直球すぎたかもしれない。

「その……ごめんなさい、疑っているというかその、現実味が湧かなくて」

「いや、良いんだ。疑うということは誠実な行為だからね。そうだな……」

 彼は考えるように頬杖をつき、私の後ろを覗き込んだ。何があるんだろう、と私も釣られて同じ方向を見たけれど、空っぽのカウンター席しか広がっていなかった。

「灯奈ちゃん、昔犬を飼っていなかったかい? こう……黒くて大きい、足先だけ白い靴下履いたみたいな犬」

「え!?」

 どきりとして向き直る。「当たってた?」と芦峯さんは小首を傾げた。

「飼って……ました。私が小さい頃に死んじゃいましたけど。足袋を履いたみたいな白い足をしていたから「タビ」って名前で」

「うん。タビちゃん、会った時からずっと君の後ろをついてきてたからさ。飼い主の君に変な男が付いてきてるんじゃないかって心配してるんじゃないかな」

 もう一度振り向いたけれど、やはり思い出の中の黒い犬はどこにもいなかった。私が十歳の頃に老衰で死んでしまったタビ。私が生まれる前からうちにいたあの子は、私にとって一番古い友だちだった。まさかずっと、二十歳になった私のそばにも居続けてくれたなんて。

 じんわりと胸が温かくなるのを感じながら、何も視えないカウンター席の方へ声を掛ける。

「タビ……私は大丈夫だよ。ありがとう」

 芦峯さんの視線はカウンター席の奥の方へと移っていく。タビは安心して去っていったのかもしれない。

「どうだろう、信じてくれる?」

 頬杖をついたままの芦峯さんは微笑ましそうにこちらへ視線を戻した。私は慌ててぶんぶんと頷いた。

「信じます信じます」

 タビの話は友だちにもしたことがなかった。彼を信用するに足る証拠として充分すぎる。

 芦峯さんは満足そうに、背もたれに体重を預けて足を組んだ。

「さて、今日はどうしたのかな」

 彼が本当に視える人ならば、私の探しているものも見つかるかもしれない。霊媒師として、することだって。

 一度唇を引き結び、私は意を決して彼の瞳を正面から見据えた。

「……いなくなってしまった友人を、探してほしいんです」

「人探しであれば、俺なんかより警察や探偵に頼んだ方が良いと思うけど」

「いえ……それじゃ多分、見つからないので」

 彼の言うことももっともだ。普通の人探しなら私だってそうしただろう。

 周囲に聞こえないように、私は声を落とした。

「あの子は殺されたんです」

 穏やかではない話題に、芦峯さんの瞳もすっと眇められる。

「……詳しく聞いても良い?」

 ゆっくりと身を乗り出した彼に、小さく頷いた。どこから話そう。やっぱり最初からか。

 隣に置いた鞄の中で、あの子の髪留めが揺れる。

 コーラフロートを一口啜って、私は重い口を開いた。

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