35 天下一の幸せ者だ

 手紙に返事を書くなんて、いつ以来だろう。

 ハイドランジア卿からの手紙は、ズザナの体調を案じ、ガイウスがちゃんとやっているか案じ、とにかく心配している様子が伝わってくる内容だったので、安心してもう手紙を出さなくてもいいようにしよう、とズザナは考えた。


「エヴァレットへ


 ごきげんよう。季節もだんだん進んできて、テクゼ村もすっかり初夏です。王都はどうでしょうか。もうセミが鳴いているのではないですか?


 まずあなたが心配しているわたしの体調はそんなに悪くありません。愛する夫のガイウスが、商店でリンゴの酢とハチミツを買ってくれて、よく冷えた井戸水で割って用意してくれます。果物の望めない土地ですが、気分が悪くて食事ができないことはほとんどありません。わたしは丈夫なのでしょうね。


 ガイウスは毎日森でせっせと働いています。木を伐り、多すぎる木の新芽を摘み、毎日とても忙しそうです。ちゃんとお給金をもらえる働きをしていますよ。


 わたしは裁縫を覚えて、男もののシャツを仕立てられるようになりました。毎日楽しいです。裁縫にせよ編み物にせよ料理にせよ、新しいやり方を覚えると使ってみたくてワクワクします。


 エヴァレットもわたしのことなどさっさと忘れて、家柄も身分もちゃんとした、然るべき女の方と結婚なさってください。わたしはそもそも商人の娘ですので、いわば公然と差し出されるまいないでした。ですから、もっとよい身分の、血筋の尊い方を妻に迎えて、わたしの両親を黙らせてください。

 わたしの両親がこの間村に押しかけてきて、わたしを無理やり連れ帰ろうとしました。そういうことをしないように釘を刺しておいてくださいませね。


 それでは、夏バテしないよう体に気をつけて。わたしもお腹の子共々健康に過ごせるように気をつけます。かしこ」


 そんな手紙を書いていると、昼食を食べにガイウスが戻ってきた。手早く切ったパンを焼いて、ズザナはハイドランジア卿が手紙でガイウスに謝っていた話をする。


「謝るって、なにをだ」


「戦時中にビンタしたことについて、ですって。ふふふ」


「まあ……百人隊長のビンタはそんなに痛くなかったからなあ……」


「じゃあガイウスも手紙の返事に一言添える?」


「それがいいな。痛くなかったのかってガッカリしてる百人隊長を想像するとなんだか笑えるし」


 というわけでガイウスが、便箋の端っこに「百人隊長のビンタは痛くなかったのでお気になさらず」と小さい字で書き込んだ。


「ガイウスのペン、王都の有名な文具店の万年筆でしょう。お父様の形見?」


「おう。俺が10歳になったときに、大事に使いなさい、って渡してきた。手紙を書くときはかならずこれを使ってる。まあ手紙なんて書く機会、なかなかないからインクが固まらないようにするのが面倒でな」


「ガイウスはお父様にたいへん愛されていたのですね」


「オヤジはけっこう厳しい人だったよ? 森の歩き方なんか厳しく教えられて、迷子になって夜を越すようなときに食える草まで教えられたからな」


 ガイウスは空から窓を見上げた。


「一緒に、墓参りにいかないか。そろそろオヤジの命日なんだ」


「あら。そうでしたの……確かにあの流行病は春ごろから流行り出して、初夏には王都は犬の散歩以外で外に出てはいけないことになったから……」


 2人で家を出る。墓に供えるために、適当にそのへんの花を摘む。


「オヤジより先にお袋が亡くなってな。オヤジは自分が流行病にかかったってなったら、森の中にある秘密の隠れ家に行って、そこで死んでるのをダロンが見つけた。だから正確な命日はわからないが、日記を書いていて……その日記帳も一緒に埋めた。見たら悲しくなるから」


「その秘密の隠れ家はいまもあるの?」


「あるぞ。森で少し休みたいときとかに行く。行ってみたいか?」


「今はちょっと無理だけど、いつかそのうち」


 2人は、森と村の間に広がる墓地の、立派な墓石の前に立った。

 ほかの墓はただの石塔が多く、誰の墓と刻まれている墓は少ないが、ガイウスの両親の墓は並んで「ギヨーム」「ウルスラ」と墓碑に掘られていた。


「お初にお目にかかります。ズザナと申します」


「父さん、母さん、これが俺の嫁さんだよ。世界で一番きれいな嫁さんだよ。こんな素敵な人と暮らせるなんて、俺は天下一の幸せ者だ」


 墓石に頭を下げる。

 まるでそこに、ギヨームとウルスラが存在しているように2人は思った。

 ギヨームとウルスラは、きっと2人に微笑んでいることだろう、というような気がした。

 墓石についたコケを落とし、花を手向ける。手を合わせていると後ろから明るい声がした。


「あれ、あんたらも墓参りかい?」


「カンナステラさん、ごきげんよう」


「よう」


「うちの前の亭主が戦死した、って戦死公報に書いてあった日付がきょうなんだ。たまには拝みにいかないと。リッキと仲良くやってることも、子供たちが大きくなったことも報告しないと」


「あの、ハーフリングは再婚したことをなくなったつれあいに報告するものなのですか?」


「だって死んでるんだから怒りようも呆れようもないじゃないか」


 とてもサバサバしたものの考え方であった。ズザナは「はえー」と感心した。


 カンナステラは高価だろうに、ハチミツ酒を墓石、というか石塔に注いだ。これがハーフリング式のとむらい方らしかった。


「さ、俺たちは帰ろう。あんまり墓場に長居するもんじゃない」


「ごきげんよう」


「じゃあねー」


 ◇◇◇◇


 ズザナは書きあがった手紙を、ロビンに渡しに向かった。

 ロビンは楽しそうに、以前花冠をとったダロンの姪とおしゃべりをしている。ロビンはズザナから手紙を預かり、箱に入れて、郵便代金を受け取った。王都行きとなるとちょっと高くて銅貨一枚である。


「カノンちゃん、ハヴォクさんの作った燻製のニシンがまだあるから、こんど親御さんのお許しをもらって食べにおいでよ」


「いいの? ロビンくんって優しいのね」


 おやおや〜????


 ズザナは思わずニコニコしてしまった。ロビンはそれに気づいて照れた顔をする。カノンというらしい、ダロンの姪は恥ずかしそうに帰っていった。


「うまく行っているようですわね」


「そうだね。コボルトには『男は小さく女は大きく』っていう格言があって、体の大きい女の子は競争率が激しいんだ。男は小さく、のほうはさいきんそうでもなくなってきてるけど」


 ロビンがため息をつくので、ズザナは「当たって砕けろでアタックしてみたら?」と言って、ロビンに「それはオレたちがズザナさんとガイウスにずっと言いたかったことなんだよなあ」と言われた。ぐうの音も出なかった。(つづく)

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