29 でも嬉しいんだよ

 王都の高級レストラン、と言っても商人階級が入れるところではあるのだが、そこで食事をしたズザナとガイウスは、どうせなのだしと観光するお上りさんになることにした。

 ズザナもガイウスも村のみんなにお土産を買って、ぜんぶハイドランジア卿にツケておいた。ガイウスは「本当にこんなことしていいのか?」と言うのだが、ズザナは「だってハイドランジア卿が来いというのだから来たのです。それにこれくらい買い込んだって痛くも痒くもないはずですわ」と言い切った。


 立派なホテルをとる。大理石で建てられた宮殿のようなホテルだ。流行病が広がったときに、ズザナとその母が避難したホテルである。

 ホテルの立派なロビーでガイウスはコーヒーを、ズザナはフルーツジュースを飲む。ガイウスはコーヒーをおいしいと思ったようで、ズザナはとてもうれしくなった。


 ホテルで一泊し、豪華な朝食をこれまたハイドランジア卿にツケて食べ、ホテルを出た。

 ガイウスはこういう立派なホテルは見たこともなかったらしい。王都はすごいなとしきりに言っている。


 観光はこれくらいにしてそろそろ本題に移ろう、と2人はハイドランジア家の屋敷に向かった。ハイドランジア家の屋敷の前には、ここまで2人がツケで支払いをお願いしたもろもろの商人がたかっており、ハイドランジア家の執事が払えないと言い出してなかば暴動になりかかっている。


「ごきげんよう。ハイドランジア卿のお招きに与ったものです」


「あ、ああ、ズザナさん……と、その夫のガイウス殿……お入りください」


 執事が2人を中に通そうとすると、商人たちもわっと押しかけてきた。その騒ぎを聞きつけて、メイド長が怪訝な顔をしている。


「あら、ズザナさんではないですか。そちらが旦那様?」


「はい。エヴァレットさまはいらっしゃいますか?」


「ご主人様ならいま執務室でお手紙を書いておられますよ。お呼びしましょうか」


「お願いいたします」


 このメイド長はとにかくシゴデキなのだった。2人は屋敷に通され、応接間のフカフカのソファに座ることとなった。

 コーヒーが出てくる。お菓子もある。テクゼ村で見るような揚げたパンなどではなく、ふわふわのクリームがたっぷりと乗って、その上にフルーツが置かれたいかにも高価そうな菓子だ。なんとなく手をつけないで様子を見る。


「客人だと聞くからなんだと思ったらズザナと灰狗ではないか」


 ハイドランジア卿が出てきた。ズザナは言ってやった。


「自分で呼びつけておいてその言い草はないんじゃなくて?」


「お前たち、旅費も食事も宿代も、あまつさえ土産物代まで我が家にツケたそうじゃないか。なんでそんな自由なことをする。宿代なんか銀貨22枚ぶんだぞ!?」


「それくらい痛くも痒くもないでしょう」


「けっこう痛いのだ。我が家は財政が傾いている。それも3年前の戦争からずっとだ。だから父は賄賂を受け取ってしまった」


「で、何の用だったんです、百人隊長」


「……ズザナを返してもらいたい。どうせ無理に、たまたま村にいる鋼の民だからと結婚したのだろう?」


「それは違いますわ。わたくしたちには愛があります」


 ハイドランジア卿は鼻をすんと鳴らした。


「なぜそんな卑しい木こりなんぞと結婚した、ズザナ。お前には相応しい家格というものがある」


「もう遅いのよ、エヴァレット。わたしはガイウスと契ったのだから」


「えっ」


 ハイドランジア卿は目をぱちぱちしている。


「飾り物になさるなら、そこにあるような東洋の磁器のツボとか、南方の珍しい植物とか、そういうものになさったら? わたしはあなたと結婚する気はありません。ガイウスと幸せに添い遂げます。いずれ子もなすでしょうし、ガイウスと暮らすほうが生きている実感がありましてよ」


 そこまで言ったところで、ズザナはくらりと貧血を覚えた。なんだか気分が悪い。

 思わず頭を抱えてうつむいてしまう。いまは毅然と、ハイドランジア卿と戦わねばならないのに。


「どうした? 大丈夫か?」


 ガイウスが心配して背中をさする。


「威勢よく話すからそうなるのだ。おい! 医者を呼んでくれ!」


 ハイドランジア卿は執事を読んだ。執事ははい、と丁寧に返事をして、すぐ医者を呼んでくれた。


「客人が気分が悪いと言っている。道化、なにか気のまぎれる芸をしろ」


「はいはーい。ご主人様のお呼びとあらば」


 ケットシーの道化がぴょこりと現れて、おや、となにか気づいた顔をした。


「……このお客様、おめでたではございませんか?」


 ◇◇◇◇


 その後呼ばれてきた医者も、道化とおんなじ反応をした。調べれば案外あっさりと分かるものらしい。

 ガイウスは怯えた顔をしていた。そりゃそうだかつての上官の妻になるはずだった人を孕ませてしまったのだから。


「灰狗。もうそんなに怯えなくていい。喜んでやれ。お前の子なんだろう?」


「はい……」


「この状況から無理にズザナを連れ戻そうとは私も思わんよ。ズザナはお前を選んだ。私のところで裕福な家の飾り物になるのでなく、お前とふたり、生きている実感を手に入れたいと」


 ズザナは相変わらず気分がよくないので、応接間のフカフカのソファに横たえられており、ガイウスはずっと立っていた。起きようとすると「いいから寝ていろ」とガイウスにもハイドランジア卿にも叱られてしまうので、仕方なく寝ているという感じである。

 病気でもないのに大げさだなあと思いつつも、心配されているのはなんとなく嬉しいので、大人しく横になっている。


「……ではコーヒーでない飲み物を出したほうがよかったな。ケーキも脂っこくていやだったろう」


「百人隊長、ズザナはどちらにも手をつけちゃいませんよ」


「そうか。牛乳をもて! よく沸かして冷やしたやつだ! あと酸っぱい果物を!」


「エヴァレットは他人の妻の心配をなさるのね」


「……初恋の相手だからな」


 ああ、エヴァレットはズザナが好きだったんだ。


 ◇◇◇◇


 とりあえずその日はハイドランジア家の屋敷に泊めてもらうことになった。栄養満点の食事をちょっとうぷうぷしつつ食べ、客用寝室の大きなベッドにズザナが寝転がると、その顔を覗きこんでガイウスが笑った。


「やったな」


「そんな気は少し前からしていたのですけど、確証が持てなくて」


 ガイウスはズザナのお腹に頬を当てて、「無事に生まれてこいよ」と声をかけた。


「まだずっと先ですわ。膨らんですらいないのだから」


「でも嬉しいんだよ。幸せだなあ……よかった」


 ガイウスは嬉し泣きしていた。

 この人と結婚してよかった、とズザナは思った。(つづく)

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