21 俺も嬉しいよ

 魔族が出た。それが恐ろしかったし、ガイウスが村の男たちと魔族を倒すために森に向かったのも、ひたすら恐ろしかった。

 ズザナは膝が震えていた。


 落ち着こう。

 そう思っても、ガイウスが心配だ。

 魔族というのはよろいを着て、剣を持った人でないと、戦えないのではないか。


 ズザナが家のドアの前でカタカタと震えていると、カンナステラが現れて、「大丈夫かい?」と声をかけてきた。手には干した薬草がある。


「カンナステラさんも、大丈夫?」


「大丈夫なわけないじゃないか。リッキも森に行ったんだから……でもこういうときは焦ったって仕方がないし、3年前の戦争と違ってでっかい魔族が出てるわけじゃないから、あたしらはとりあえず落ち着いてできることをするしかない」


 カンナステラは入ってきて、勝手に水を入れたヤカンをストーブに置いて薬草茶を沸かし始めた。


「3年前の戦争で、そのときの亭主が死んだ。そのときは悲しかったし亡骸も戻ってこなかったから、魔族にも王都の軍にも恨みがある。でもきょうの魔族は人間界を侵略しようっていう考えを持つような強い魔族じゃないはずだよ。はい、お茶が沸いた」


 木のカップにお茶を注いで、2人は静かにお茶を飲んだ。


「ガイウスは死の森のことならなんでも知ってる。あんたが迷子になったときも見つけてくれたろ?」


「ええ……そうですわね」


「だからガイウスのことはなーんにも心配しなくていい。ダロンとロビンもいる。あいつら、猟銃を持たせたら誰にも負けないからね」


「リッキマルクさんは?」


「あれは数合わせだよ。ボウガンを持ってっても戦力になんかならないさ。ハサミやクシを持ってるのがいちばん似合う」


 あんまりな言い草に、ズザナはふふふと笑った。


「大丈夫。心配しなくていい。必ず帰ってくる。それにガイウスとダロンは従軍の経験がある」


「従軍。リッキマルクさんは従軍なさらなかったのですか?」


「リッキは新兵検査に引っかかって戦地に行ってないのがコンプレックスなのさ」


「どうして新兵検査に引っかかったのですか?」


「そりゃ体重が軽すぎるんだ。あいつは若いころから痩せてるからね」


 カンナステラは笑った。懐から古くなったパンを揚げてきび砂糖をまぶした素朴なお菓子が出てきた。それをポリポリする。


「ガイウスがあんたを結婚する前にやもめにすると思うかい?」


「それはありませんわね。ガイウスは誠実な人ですもの」


 カンナステラはつとめてくだらないおしゃべりとノロケに徹したのでズザナもそうした。

 ついでにロビンはコボルトの中でも小柄な血統なので従軍しなかった話や、豚小屋封鎖事件のときにロビンがガイウスを呼びにいって連れてこられたのはただ単に鼻がいいからだ、という話もした。


「ここだけの話ですけれど、ロビンさんはわたしの実家で飼っていた座敷犬にそっくりで」


「あはは。その犬も燻製のニシンが好きだったかい?」


「さあ……食べさせたことがありませんわ」


 楽しくおしゃべりをしているうちに夕方を過ぎて、明かりをつけて夕飯を支度する時間になった。カンナステラに教わって、セロリアックやジャガイモをむいていく。結構楽しい。


「こういうときは待ってる人の分も作ると待ってる人がすぐ帰ってくる、というのがこの村の言い伝えだから……6人前こさえようか」


「そんなに!?」


「そうだよ。あんたもお母ちゃんになったらそれくらいこしらえることになるかもしれないんだよ。……鋼の民はそこまで多産ではないか」


 そんなことを言いつつ6人前のマッシュポテトとセロリアックのスープを作る。6人前作るとすごい量だ。でも料理というのはいちどにたくさん作ればおいしくなるのだ、とカンナステラは力説した。


 セロリアックのスープがだいぶ煮えてきたころ、ぱあん! という銃声が森から聞こえた。

 それから少しして、魔族の討伐に向かった4人が戻ってきた。

 ズザナは思わず泣いてしまった。本当に無事に帰ってきて、こんなに幸せなことがあるだろうか、と思った。


 ガイウスの家にある椅子だけでは足りなかったので、ダロンの家からも椅子を持ってきて、みんなで夕飯を食べた。ズザナがずっとえっくえっく言っているのを観たダロンがにやっと笑って、「罪作りめ」とガイウスをからかった。


「ズザナ、そんなに泣くなよ。無事に帰ってきたんだからこれでいいだろ」


「また魔族が出たら、ガイウスは死の森に行くのでしょう?」


「ズザナさん、ガイウスはテクゼ村でいちばん死の森に詳しいやつだよ。ぜったいに迷わない。だから魔族領のほうにフラフラ行くなんてこともない」


 ロビンが座敷犬みたいな顔を緩めて、セロリアックのスープをすすった。


 みんなで食べた夕飯は、不安を消し去るのに充分なおいしさと楽しさだった。でも食べ終えるなり、みんな「新婚さんに悪いから」といってそそくさと帰っていったが、2人はまだ婚約段階である。新婚さんではない。


「ズザナ、この村のおまじないをしたのか」


「ええ。カンナステラさんから教わりましたの」


「そうか。俺のオヤジは迷信だから信じちゃいけないって言ってたけど、お袋は何があっても当たり前にいつも通り3人前料理してたっけな」


「ガイウスが帰ってきてよかった」


「そうか。俺も嬉しいよ、ズザナのところに帰ってこられて」


「もう……もう……ガイウスのばか! 心配しましたわ! キザなセリフで誤魔化すところじゃありませんことよ!」


 ズザナは思わず、涙をぼろぼろとこぼして大泣きをしてしまった。

 ガイウスが背中をさすってくれた。


 ◇◇◇◇


 何日かして新聞に、テクゼ村に魔族が出た話が載った。

 なにやら国中がその事件にざわついているようだったが、村の人たちはごくごく当たり前に日常生活を送っており、魔族を恐れている王都政府と違って実に穏やかな日々が続いていた。

 ズザナは裁縫の合間に生活魔法を覚える勉強をしていて、ガイウスはソリをつかって材木を森から運び出す仕事をしている。

 冬が深まるにつれてだんだんと雪の勢いが増してきて、ズザナも「わあきれい」で済まされないことに気づいた。

 ひどく吹雪く日、ガイウスは外套を雪だらけにして帰ってきた。それをズザナがはたいて雪を落とす。


「お疲れさま。ジャガイモとソーセージの煮っ転がしを用意してありますわ」


「ありがとう。なにか変わったことはないか?」


「とりあえずは……」


 ズザナがそう答えたとき、ドアがノックされた。開けると雪が絡まって毛玉だらけになったロビンが、新聞を握りしめて立っていた。(つづく)

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