20 必ず戻る

 床下の貯蔵庫から出てきた礼服と白いドレスは、とても上等な仕立てのものだった。広げてみれば、流行遅れでこそあるもののシミや虫食いはなく、このまま婚礼で着られそうですらあった。

 しかしカビくさい。匂いを嗅いだらくしゃみが出た。カビ臭いのは洗ってもどうしようもないし、とズザナが口を尖らせていると、ガイウスはカーテンのかかった小さな棚のカーテンを開いた。


「この中にお袋が使ってた生活魔法の本があって、たしかそれにカビ臭い服をいい匂いにする魔法があったと思うんだが」


「生活魔法」


「おう。王都の女学校じゃ習わないのか?」


「生活魔法を学ぶのは自分たちで暮らしていかねばならない人たちで、お金持ちや貴族と結婚する、女学校に通うような女の子が学ぶことではないと、王都では言われておりましたわ」


「へえー。王都って怖いところだな」


「もう、そんな本があるなら早く見せてほしかったのに」


「なんか……ズザナが生活魔法を覚えたら、なんていうか……所帯じみて嫌だなとか思って隠してた。ごめん」


「まあ。わたしはガイウスのお嫁さんになるんです、所帯じみるのは当たり前のことでしょう。ガイウスはなにかしらの生活魔法が使えるの?」


「いや、俺は痛み止めの魔法と怪力の魔法、それから火おこしの魔法しか使えない。お袋が亡くなってから、洗濯は人力でやってた」


「お洗濯も魔法でできるの!?」


「そりゃそうだ生活魔法なんだから」


 ズザナは小さな本棚をしかと見た。生活魔法の本だけでなく、食べられるキノコの見分け方の本、料理の本といった暮らしに必要な本や、なかなか難しそうな哲学の本などが並んでいる。


「ギヨームさんとウルスラさんは読書家でしたのね」


「この村じゃ買えてせいぜい雑誌だからな。王都から越してくるときはどの本を持っていくかたいそう悩んだらしい。俺はあんまり興味がないけど」


 ズザナは生活魔法の本を引っ張り出して、内容を確認した。司祭が持っていた聖典のように、文字が動き出して魔法をつかうタイプの魔法の本ではなく、生活魔法を覚えるコツなどが書かれている。

 簡単な魔法から順に並んでいて、どうやら覚えれば最終的に火を使わずヤカンのお湯を沸かすことすらできるらしい。それはすごいことだ。


 昼ごはんのあとガイウスは森に出かけていった。ズザナは生活魔法の本で勉強を始めることにした。まずはいちばん簡単な、部屋のすみをきれいに掃く魔法の呪文を覚えて、唱えてみる。

 手にぽっと明かりが灯り、部屋のすみに溜まっていたちりやほこりが塊になる。つまんで捨てて終わり。これは掃除が楽になりそうだ。


 勉強はとても楽しかった。王都の女学校はどうも楽しめないところだったが、魔法の勉強はとても楽しくて、その日のうちに洗濯おけに手を突っ込まなくても洗濯ができる魔法まで覚えた。これであかぎれで痛い思いをしないで済む。

 問題のカビの臭いを抜く魔法を覚えるまではまだ時間がかかりそうだが、それでも素晴らしい進歩だ。帰ってきたガイウスに、これこれこういう感じで魔法を覚えた、と説明すると、ガイウスはキヒヒと笑った。


「ズザナが楽しくてよかった」


「生まれて初めて、勉強するのを楽しく思いましたわ。これと比べて女学校の退屈なことときたら」


「それは、ズザナが賢いから勉強が退屈だった、ってことなのか?」


「それは違うと思いますわ。わたし、あまり賢くありませんの」


「そんなことはないぞ。この間坊さんの話を聞いたときだって、感情でなく知性で返事をしていた。ズザナはすごく賢い人だ」


「褒めても精力のつくキノコしか出なくってよ」


「……それはまだちょっと早いな」


 2人でアハハハと笑う。ガイウスは明かりをつけると、セロリアックを刻み、スープを作った。ついでに黒パンもあぶって、ツルコケモモのジャムを塗る。焼いたソーセージもある。


「いただきます」


「いただきます」


 2人は穏やかに夕食をとり、またイチャイチャしながら寝た。これくらいのイチャイチャなら挙式していなくても許されるだろう。


 ◇◇◇◇


 翌朝ズザナが目を覚ますと、ガイウスはまだ寝ていた。寝言で「ズザナ」と呟き、自分の寝言に驚いて起きたガイウスの顔を見て、ズザナはふふふと笑った。

 外はまだ薄暗い。冬のいちばん寒い時期はほとんど太陽光が当たらない日もある。風の吹いてくる西の空も、太陽があるべき東の空も、分厚い雲に覆われている。


 ガイウスも起きてきて、ストーブと明かりをつけて朝食を用意する。毎日変わり映えのしないスープとパン、それからベーコンという感じだ。貯蔵庫で塩水に浸かっていたハムは水から取り出して干してある。


「きょうも魔法の勉強をするのか?」


「ええ。でも靴下を繕ったり家の中を掃除しなきゃ」


「すまないな、家の中のことを任せっきりにして」


「とんでもない。料理はガイウスがしてくれるでしょう? 女学校の料理の時間に言われましたわ、『殿方は匙ひとつ自分で持ってこないのだから、それに仕えるのが妻たる女の仕事』だと。ガイウスは匙がなければ自分で持ってくるでしょう?」


「……まあ、一人暮らしが長かったからな……」


「ごめんなさい」


「謝ることじゃないよ。ズザナが王都で変な教育を受けてたのはやっぱりおかしいよ。この村じゃ男も女もなく互いに支え合うんだ」


 朝食を食べ終えて、ズザナとガイウスはキスをして、ガイウスは仕事に出かけていった。

 ズザナは掃除と繕い物をしたあと、生活魔法の本を開いた。とても面白い。村に娯楽がないからかもしれない。

 本棚に並んでいる本はガイウスの両親が遺したものだ。これからお世話になります、とズザナは頭を下げた。


 ガイウスが昼に戻ってきて、2人でのんびり昼ごはんを食べていると、戸がドンドンとノックされた。ロビンとダロンとリッキマルクが、猟銃やボウガンを抱えて立っており、どうやら何らかの非常事態が発生したのだと思われた。


「ガイウス。魔族が出た。森の案内を頼む」


 ダロンが銀色の瞳をガイウスに向ける。


「おう。被害は?」


「いまのところ出ていない。小さな空飛ぶ魔族を見かけた、というだけだ」


「ガイウス、」


「大丈夫。そう怖いものじゃない。もしかしたら見間違いかもしれない。安心して待ってろ。必ず戻る」


 いってらっしゃいのキスすらできずに、ガイウスは家を出ていった。(つづく)

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