16 優しいおかげだ

 ズザナの風邪はわりとすぐ治った。ガイウスが献身的に看病し、ズザナ自身が健康だったから早く治ったのだと思われる。


 ズザナが当たり前の日常に戻ったころ、ガイウスがときどき咳をするようになった。

 なんとなく不吉に思えたが、ガイウス本人がさっぱり気にしていないので、ズザナもなるべく気にしないことにした。その代わり、まめに部屋のすみを掃き掃除したり換気したりするなど、喉にいい暮らしを心がけてみることにした。


 ガイウスが森に出かけたあと、仕事で磨く石が入ってこなくてヒマを持て余しているカンナステラが家にやってきた。カンナステラにお茶を出し、ガイウスの咳の話をする。


「あいつ咳持ちだっけ? うーん……冬になってストーブを焚くから、乾燥で咳が出るのかな」


「心配なのですけど、本人が気にしていないなら大丈夫かなと思って……」


「そうだね、あいつはヤバいと思ったらきっと正直に言う。信じてやんな」


 カンナステラはお茶にすると喉に効くという薬草を分けてくれた。それから貰いもので食べきれないから、と立派なチーズも分けてくれた。黄色く熟したおいしそうなチーズだ。


 ◇◇◇◇


「別に俺の咳なんて気にしなくていいのに」


 薬草茶を飲みながらガイウスが笑う。


「だって気になるではありませんか。喉をよく休めてくださいませね」


「おう。……ケホッ」


 ガイウスが咳をするたび、流行病のときのことを思い出す。ズザナはそのころまだ子供だったが、王都では非常事態宣言と外出禁止令が出て、そのあともマスクなしで出歩くことは長いこと許されなかった。

 流行病は咳から始まって、ひどい熱と悪寒がでて、そこからあっという間に肺病になって死んでしまう……というものだった。

 青カビのチーズが効くとか、牛の虫下しが効くとか、根拠のない噂が広まり、王都は青カビのチーズを買う人、牛の虫下しを買う人、マスクの布地を買う人、とにかく大変な騒ぎであった。


「ガイウス……本当に大丈夫?」


「大丈夫だよ。ちょっと疲れたんだろ。ストーブを焚いて家の中が乾いてるし、すすも出るんだろうし」


 ◇◇◇◇


 ゲホッゴホッ、とガイウスが咳をするのを聞いてズザナは目を覚ました。ガイウスが咳をするようになってからはひっついて寝ていない。ガイウスは苦しげに咳をしており、表情は少しつらそうに見える。


「ガイウス?」


「なんでもないよ……ゲホッ。ガホッ」


 これはただごとではない。ガイウスがそうしてくれたようにガイウスの額に手を伸ばす。明らかに熱がある。


「ちょっと待ってくださいませね。いまお薬を出しますから」


 ズザナは床下の貯蔵庫を開けて、薬箱を取り出した。熱冷まし、とラベルの貼られた瓶から、丸薬を取り出す。

 次に薬草を煎じて飲み薬を作る。お湯を沸かすのには慣れていた。


「はい、お薬と薬草のお茶」


「ありがとう。ゲホッ」


 ガイウスは咳をしながら、ゆっくり薬草茶を飲んだ。少し喉が湿ったところで丸薬を飲む。


「これで大丈夫。さて」


「森に行ってはいけません。きょうは寝ていてくださいまし」


「……おう。ごめんな、ズザナ」


 ズザナはできないなりに朝食を用意する。黒パンを炙りながらガイウスに尋ねる。


「パンがゆ……というのを、作ればよろしいのかしら?」


「いや、普通に焼いたパンで大丈夫だ。ゲホッ」


「無理なさらないで」


 とりあえずガイウスがいいというので、焼いた黒パンにツルコケモモのジャムを塗って出した。ガイウスが作ったもので、いつぞやのカンナステラ作のジャムと違って丁寧に裏ごししてツルコケモモの皮は取り除かれている。


 炙ったパンとジャムだけじゃ栄養が足りない気がしたので、きのうカンナステラにもらったチーズを切る。そのまま出すと、ガイウスはもぐもぐとチーズを食べては黒パンを食べ、と、甘いとしょっぱいの無限ループをやっている。

 これだけ食べられれば大丈夫だろう、とズザナは思った。ガイウスは健康な若者の食欲で、パンとチーズをやっつけた。


 朝食のあと、ズザナは家を出て、ロビンの商店でなにか精のつくものを買うことにした。ちょうど撃った鳥を売りに来たダロンと入れ違いになって、ロビンは棚に、羽がついたままの渡り鳥をぶら下げていた。これだ。


「渡り鳥はおいくら?」


「銅貨2枚だよ。食べ方はわかる?」


「羽根をむしらなくてはならないのは想像できますけれど……」


「ダロンは腕がいいから血は抜いてあるし頭はとってある。はらわたも抜いてあるよ。羽根はむしって、小さくてむしれない羽根は焼くといいよ」


「ありがとう」


「ガイウスが風邪気味なんだって?」


「きょうは熱を出してしまって」


「それは大変だ。薬草入りの水あめをおまけにつけるね」


 瓶入りの水あめを、ずいぶん高いだろうにおまけしてもらい、ズザナは急ぎ足で家に戻った。

 ガイウスは大人しく横になり、ときどきゲホゲホ言っている。


「きょうのお夕飯はすごいものでしてよ」


「おっ、楽しみだな。ゲホッ、ゲホッ……」


 水で冷やした手拭いを額においてやり、ズザナは頑張って渡り鳥の羽をむしった。羽根さえむしってしまえばあとはただの肉だ。

 渡り鳥ははらわたもきれいに処理されていて、ダロンの狩りの腕が確かなのがわかる。


 よし。とりあえずズザナは空を見上げた。太陽はずいぶん高い位置にあるように感じる。時計があればいいのだが、と思ったらカンナステラが現れた。リッキマルクもいる。


「どうなさったの?」


「ロビンから聞いたよ。ガイウスが風邪を引いたんだって?」


「風邪っぴきにはうまいもんを食わしてやりゃいいんだ。昼メシにミルクがゆをこしらえてやろうってカンが聞かなくてね」


 リッキマルクが手提げ袋から牛乳瓶を取り出す。ズザナはぺこぺこお礼をした。2人はガイウスの小屋に入ると、テキパキと牛乳入りのパンがゆを拵えた。


「そんな、いいのに……」


 ガイウスは遠慮しているが、ズザナとカンナステラとリッキマルクのぶんもあったので、みんなで牛乳入りのパンがゆを食べたら仕方なくガイウスも手をつけた。カンナステラは火が通っていれば牛乳も平気らしい。

 カンナステラとリッキマルクが帰ってから、ガイウスは少し元気を取り戻し、表情が明るくなった。


「ズザナのおかげだ。ズザナが来る前だったら、こんなに優しくしてもらえるなんてなかった。ズザナが優しいおかげだ」


「わたしはちっとも優しい女ではありませんことよ? ほら、水あめをどうぞ」


 ガイウスはニコニコと水あめをなめて、その後疲れたと言って横になった。

 夕方、ガイウスがひどくうなされていたので、編み物を中止して額に触ると、ガイウスはひどい熱を出していた。ズザナはぞくりと恐怖を覚えた。(つづく)

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