10 ズザナの手はあったかいな

 なにをすれば、「王都のおひいさま」から「触ってもいいふつうの女の子」になれるか。お触りなしで就寝して起きて、朝食を摂りながらズザナは考える。

 手っ取り早いところで「料理する」というのを考えたが、ガイウスはぜったい鍋や包丁に触らせてはくれないだろうし、ズザナが料理したら食料を無駄にするのは間違いない。

 村の若い女の子を観察して、「ふつうの女の子」というものになってみるか、とズザナは思った。ふつうの女の子といったってハーフリングかコボルトなので、じかに真似することは難しそうなのだが。

 でも王都の未婚女性は髪を後ろにおろしてなびくままにするのが当たり前なのに対し、ハーフリングの女の子たちはみんな髪を三つ編みにしておさげにしていた。これだ。これならいける。


 ズザナは銅貨を握りしめてロビンの店に向かった。ロビンは退屈そうに新聞を広げている。


「ロビンさん、髪をくくるリボンをください」


「お、ズザナさんだ。きょうは燻製のニシンはないんだね」


「ぜんぶロビンさんに譲ってしまったら、食べるものがなくなってしまいますわ」


 またヨダレをベロベロさせ始めたロビンから、金髪にいっとう似合う青いリボンを買う。銅貨1枚を払ったら髪に編み込める長さのリボンになってしまった。


「髪型をいじるのは誰が得意ですか? 編み方を教わらないと」


「リッキマルクが理髪店をやってるよ。でも立場的に行きにくいか」


「大丈夫ですわ。理髪店はどこですか?」


 礼拝堂のすぐ近くに、王都式の看板を掲げているというので行ってみると、本当に王都式に赤と青の布を掲げた理髪店があった。


「ごめんください」


 反応がない。客がこないから出かけたのだろうか。困っているとロビンが井戸を挟んですぐ向かいの店から出てきて、「ごめん、リッキマルクならカンナステラのところで茶飲みしてるよ」と教えてくれた。


 カンナステラの家に行くと、リッキマルクはカンナステラと、玄関先に腰掛けてお茶を飲みつつ、素朴なお菓子をつまんでいた。


「おや。ズザナさん、どうしたんだい。きのうの晩もなにもなかったのかい、化粧品あげたのに」


「カン、子持ちのおばさんが使う化粧品とズザナさんみたいな若い人の化粧品は流行りが違うんだよ」


 リッキマルクは見たことがないほど柔和な顔をしていて、ズザナはリッキマルクとカンナステラの関係を即理解した。

 髪を編み込んでふつうの女の子になりたい、と相談すると、リッキマルクはよしきた、と髪の編み方を教えてくれた。


「いいのかいリッキ。司祭さまに怒られるんじゃないのかい」


「だって女の子がいじめられて、その挙句旅籠の飯盛女をやらされるなんてどう考えても胸糞わるいだろう。それならさっさとガイウスと懇ろになって、だれにも邪魔されないほうがいいんだ。ズザナさんはガイウスが好きなんだろ?」


「ええ。ガイウスはわたしをおひいさまだと思っているから、ふつうの女の子になれば、と思って」


「泣かせる乙女心だ。よし、教えた通りできてる。これでガイウスもイチコロだぞ」


「ありがとう存じます」


 鏡を見せてもらう。リボンを髪に編み込み、編み込んだ髪で頭をぐるりと花冠のように巻いた髪型だ。いかにも可愛らしい。


「ダロンから聞いたよ。ガイウスと結婚したいんだろ? そんならたっぷり甘やかしてやることだ。あいつは愛に飢えてるからな」


「わかりましたわ。ありがとう。あとでお礼を」


「いらんいらん。こんなの、あんたらをいじめたお詫びにもならん」


 ズザナは頭をさげて、気分よくガイウスの小屋に戻り、掃除をしてから畑の世話をした。ニンジンを引っこ抜くと丸々太っておいしそうだ。


 ◇◇◇◇


 ガイウスは昼に森から帰ってくるなり、ズザナを見てびっくりした。


「ズザナ、急に髪型が、なんていうか……」


「ふつうの女の子みたいになったでしょう?」


「お、おう。王都のおひいさまではなくなったな」


 外を冷たい風が吹き、小屋がガタガタ揺れる。茶色くなった木の葉が風で散っていくのが見えた。


「それも似合うよ。ズザナはなにしたって似合うよ。ズザナは俺の……いや」


 ガイウスはなにか言葉を飲み込み、黒パンにバターを塗って焼き始めた。


「おひいさま扱いは、いやなんだろ?」


「ええ。ガイウスと対等な恋人になりたい」


「そうか。それでそういう髪型にしたのか」


「髪の編み方はリッキマルクさんに教えていただきましたの。あの方も、話してみると悪い方ではありませんわね」


「そうだな。あの坊さんを止める勇気がないだけでな」


 ガイウスはくひひ、と笑った。


「さて。仕事に戻るか……」


「ガイウス、」


「どうした?」


「いってらっしゃいのキスをさせて」


 ガイウスは顔を真っ赤にしていた。それでもちゅっと、小鳥のキスのようなキスをした。ガイウスは恥ずかしそうに、斧を担いで森に消えた。


 一歩前進。

 ズザナはガッツポーズをする。


 ◇◇◇◇


 その日の夜はずいぶんと冷えた。

 暖炉で火を焚いて小屋の中を温めてはいるが、小屋は薄い木の板でできているから全体にとても寒い。


 二人はまたしてもベッドの中で最大距離をとって寝ようとしていた。

 寒いから自分からひっつきたいって言おうかな。ズザナは脚が冷たくてもう限界であった。


「ズザナ、寒いだろ。俺にひっつくか?」


「……いいの?」


「もちろんだ。ああ、ズザナの手はあったかいな……」


 ガイウスは予想外の力でズザナを抱き寄せ、ズザナの背中に手を回した。ズザナはガイウスの首筋に顔を近づけた。


 互いの心臓の拍動まで感じられるゼロ距離であった。


「ガイウス……」


「寝よう。早く寝ないと明日寒くて起きられないぞ」


 そういうわけで、互いで暖をとりながら寝るという雪山で遭難した人みたいなことをした。とてもよく眠れた。

 しかし次の日ロビンの店に買い物に行ったら、「ひっついて寝たのになにもなしだったのかい?」と言われてしまった。


「あいつはホント、なんていうか……優しいね。せっかくおめかししたのに」


 ロビンは鼻をすんっと鳴らした。ズザナが出してもらった黒パンを受け取り、代金を支払っていると、司祭が新聞を買いに来た。


 ズザナは動けなくなった。怖い目に遭わされた記憶がいちどに蘇る。それはダロンが言っていた、昔の怖いことを思い出して昔に戻ってしまう、というやつなのだな、と、ズザナは固まりながらも冷静に考えていた。(つづく)

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