8 誰にもズザナは渡さない

 ズザナがガイウスと司祭館に向かうと、その前にハーフリングの男性とコボルトの男性が立ちはだかった。ハーフリングのほうはともかくコボルトの方は王都の騎士団で飼われている警備犬に似た、いかにも恐ろしげで大柄なコボルトだった。


「リッキマルクさんにダロンさん……」


 ガイウスは表情を暗くした。どうやらこの二人は司祭の取り巻きなのだろうな、とズザナは理解した。


「ガイウス。その女の子を司祭さまにお返しするなら、豚を食わせてやっても構わんと司祭さまは言っておられる」


 リッキマルク、と呼ばれたハーフリングがそう言う。ズザナは思わず言い返す。


「わたしのほうからお断りいたしますわ。あんな、1日にパン一切れもらえるかもらえないかの暮らしでは、いずれ弱って死んでしまう。そして鞭でしつけと称して打たれるのです、そんな暮らしに戻りたいヒトがいますか?」


 リッキマルクとダロンは顔を見合わせた。


「あんた、もしかして噂通り本当はほとんど大人……なのかい?」


 ダロンが鼻をふすんと鳴らした。


「ええ。来年には結婚する予定でしたの」


「……司祭さまはおれたちにも嘘をついていたのか」


「なあダロン……世話人をやってるからって司祭さまの言いなりになるのはよくないんじゃないか……?」


 リッキマルクとダロンが顔を見合わせている。どうやらこの二人は村の中でも世話人という責任ある立場のようで、それもあって司祭の取り巻きをやっているようだった。


「ガイウス、この村には村長さんはいらっしゃらないの?」


「いないよ。3年前に村長が亡くなってから村長になったものはいない」


「そうでしたの」


 ズザナはもし村長がいるならそちらを味方につければいいと思ったのだが、それもそうはいかないようだった。


「お前ら、司祭さまに会ってどうするつもりだ?」


「わたしたちが冬を越せるように、豚小屋の仕事を続けさせてもらうことをお願いするつもりでした」


 ダロンはまるで犬猫病院に連れて行かれた犬のように鼻をピーピーピーピー鳴らした。リッキマルクのほうも体を縮こまらせている。


「おれたちはやりたくてやったんじゃないんだ。反対したんだ。ガイウスが『死の森』の木を切ってくれるからこの村は安全だって」


「ズザナさんが子供じゃないって噂もちゃんと聞いてた。このままじゃ司祭さまの意地悪で死んじまうって話も聞いてたんだ」


「でも司祭さまはおれたちの言うことをぜんぜん聞いてくれなかった。司祭さまは泥の民……鋼の民は滅ぼされて然るべきだって言い張ってた」


 ガイウスが返事をする。


「司祭さまは3年前の戦争に従軍して鋼の民の上官にひどくいじめられたんだろ。気持ちは分からんでもないよ。毎日上のヒトにビンタされる暮らしなんて最悪だからな。ダロンさんもそうなんだろ?」


「おれは……いや。なんでもない」


 ダロンは言葉を濁した。


「直接の交渉は難しそうだな。戻ろう、ズザナ」


「どうして? 司祭さまに会わなくていいの?」


「ズザナの手がすごく冷たい。それに顔が真っ青だ」


 ガイウスはそう言ってズザナの手を握り返した。ズザナはやっと、司祭を恐れている自分に気付いた。怒りで誤魔化せるものではなかったのだ。


 ◇◇◇◇


 ガイウスの小屋で、ガイウスは薬草茶を沸かしてくれた。ズザナは震える手で、薬草茶の注がれたカップをとる。木の肌がじわりと温かい。


「実際問題、豚小屋で働かせてもらわないと冬が越せない。ほかの村人は春に食料を余らせていたから、たぶんこの家にズザナのぶんも蓄えて村じゅうちょうどいい量なんだと思うんだ」


 しかし、とガイウスは口をへの字に曲げる。


「事実上のこの村のリーダーである司祭が、ズザナをいじめるのを諦めてくれないと、俺とズザナは共倒れだ。なんとかして説得するか、まともな司祭と交代させる方法を考えなきゃいけない」


 ズザナは、ガイウスが自分を手放す気がないのを感じて、思わずくすりと笑ってしまった。


「なにか面白いこと、言ったか?」


「ガイウスは、わたしを司祭さまのところに戻す気はないんだなあって思ったら、面白くなってしまって。ごめんなさい」


「……だって。初めてできた好きなひとだぞ。好きなひとを酷い目に遭わせたやつは許さないし、もう2度とそうはさせない。俺はズザナが好きだから……」


「わたしもガイウスが好き。だけど、誰かを好きになるなんて初めてだから、どうしていいのかよくわからないの」


「…… 俺もだ。とにかく、誰にもズザナは渡さない。ズザナは俺の宝物だから。オヤジがお袋を守ろうとしたみたいに、俺は全身全霊でズザナを守る。ズザナの実家や婚約をしていた家みたいな裕福な暮らしはさせられないけど、ズザナをずっとずっと、俺は大事にして守り抜く」


 ズザナは、こういうふうに、誰かに大事に思ってもらえたことに、心を動かされた。

 実家でも、婚約していたハイドランジア家のパーティでも、ズザナはただのお飾りだったし、飾り物ならズザナを飾らないでも、東洋の焼き物や一流画家の絵を飾っていた。

 だけれどガイウスは違う、ズザナを心の底から好いている。それがはっきりわかって、ズザナは嬉しくて、涙が溢れてきた。


「ガイウス、なんとかして司祭さまとは和解しましょう」


「……どうしてだ? ズザナをあんな目に遭わせた坊さんと、どうして和解したいんだ?」


「だって、結婚式を挙げるには司祭さまに祝ってもらって、礼拝堂で管理している人別帳に『結婚した』と書き込んでもらわなくてはならないでしょう」


 ガイウスは薬草茶でひどくむせた。


「それはちょっと気が早いと思うぞ」


「だってわたしはガイウスが好きだし、ガイウスはわたしが好きなんでしょう?」


「それはその通りだがまだ早いよ。もっとゆっくり付き合わせてくれよ。俺は女と付き合ったことなんてないんだからさ。好き、と愛する、は違うんだってオヤジが言ってた」


「そうなの? それは『恋』と『愛』のちがい?」


「まあそういうことだろうな。俺はヒトを愛せるのか分からないし、ズザナだって……境遇を聞くに、そうなんだろ?」


「そうなのかもしれませんわ。でもガイウスが好きなのは間違いないことでしてよ」


 ズザナはお茶を飲んだ。おいしい。

 ガイウスの気持ちを確かめた。きっとガイウスは、この関係を「恋」から「愛」に高めたいと思っている、とズザナは思った。もう、手は冷たくない。(つづく)

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