6 ズザナは大事だから

 ガイウスは袖口で涙を拭いながら言った。


「お袋の出てくる夢を見た日は、かならずいいことが起きるんだ。だから俺は、ズザナをあのクズ司祭のところから連れてこようと思った」


 あのハーフリングの司祭は、ズザナのことを小さな子供だと偽っており、ガイウスはそれを助けろと母親に言われたような気持ちになって、ズザナを助けに行ったのだ、と語った。


「そしたらとんでもないおひいさまで」


「ですから私の家は商人だったので、おひいさまではありませんわ」


 ズザナは口を尖らせて、それから二人ではははと笑った。


「夢の中で、お袋は俺から離れていった。お前にはズザナがいる、って言ってな。ズザナがいなかったら見なかった夢だろ? だからズザナのおかげなんだ、この夢は。お袋は離れていったけど、俺はなんだか幸せだったよ」


 ガイウスはてきぱきと昼食を用意している。ごくごく簡単に、黒パンにバターをつけて焼いたものと、ジャムと、薬草茶だ。


 昼食を二人で食べていると、ずしん……ずしん……と地鳴りのような音が響いた。ごんごんと荒っぽくドアをノックされたので、ガイウスがドアを開けると、そこには真っ赤なリザードマンがどんと立っていた。

 でっかい、とてつもなくでっかい。果たしてガイウスの小屋に収まるだろうか……と思ったら、リザードマンは器用にドアをくぐって入ってきた。


「ようガイウス。元気にしてたか。燻製のニシンを手土産に持ってきたぞ。アジの干物もある」


「ハヴォク、ズザナがビックリしてるだろ」


 巨大で真っ赤なリザードマンは、ズザナをじいっと見つめた。ズザナはリザードマンを見るのが初めてで、思わず後ずさってしまう。


「ご、ごきげんよう。ズザナと申します」


「おう。取って食いやしないから安心してくれ。自分はいいリザードマンだからな。自分はハヴォクという。ガイウス、このズザナさんとやらは嫁さんか?」


「違う。訳あって一緒に暮らしているがまだなんの関係もない」


「そうか。まあいいや。すごいニュースを持ってきた」


「……すごいニュース?」


 ハヴォクはずらりと並んだ牙を見せた。笑っているらしい。


「ハイドランジア家が没落した。俺たちの上官のエヴァレット百人隊長……いまはお父上が除かれて爵位を継承なされたか。公爵から男爵まで身分を下げられたそうだ」


「ざまあみろ、だな」


 ハイドランジア家。エヴァレット公爵。

 ズザナが嫁ぐはずだった人だ。ズザナが王都にいたときはまだ爵位はなかったが、父親が除かれたとなればズザナの実家・ミューラー家からの賄賂をエヴァレットの父親が受け取ったのを罪に問われたのがきっかけで当主が交代、格下げされたのだろう。


「え、じゃあ、ガイウスの戦争時代の上官は、わたしの夫になるかもしれなかった、ってことですの?」


「え? は? エヴァレット百人隊長……男爵ってズザナの元婚約者なのか!?」


 明らかな嫉妬の色がガイウスの目に浮かんだ。


「おー! 上官の女を寝取ったのかー! ガイウス、お前本当に豪胆だな!」


「違う。まだ寝てはいない。添い寝はしたが」


「それを世の人は寝取ったっていうんだよ。いやーガイウスも隅に置けないなあ!」


「用はそれだけか。とっとと帰れ」


「つまらんやつだな。……でも前に会ったときより顔色がいいな。幸せそうに見えるぞ、前に会ったときは不幸の塊みたいな顔の灰狗だったのに」


「よせ。お前のこと赤鰐って呼ぶぞ」


「自分は鰐ではないんだよなあ……すまん。このあだ名もエヴァレット百人隊長につけられたんだっけ。あだ名のセンスは悪くないんだよなあ」


「ズザナもエヴァレット……男爵に、なにかあだ名はつけられたりしたのか?」


「いいえ。ただのお飾りですもの。そこにあだ名をつけるような愛はありませんわ」


「……これは申し訳ないことを訊いてしまった。すまない」


 ガイウスは謝った。べつにいまとなってはどうでもいいことだった。もう、お金とか権力の絡む関係にいたくない、とズザナは思っていた。

 ガイウスは裕福ではないし、権力もないけれど、とても幸せな関係を築けるような気がしていた。


 ◇◇◇◇


 夕方間際まで、ハヴォクは楽しそうにおしゃべりをして、太陽の沈む方角に向かって帰っていった。西には海があり、ハヴォクは海辺に住んでいるのだそうだ。

 ハヴォクは、「ガイウスをよろしく」とズザナに頼んでいった。ガイウスは照れていた。


「ガイウス、」


「そうか……百人隊長はズザナをただのお飾りにする気だったのか……なんでそんなひどいことがまかり通るんだ。ズザナはこんなに美しくて、賢くて、優しい人なのに」


 ズザナはぼっと顔に火がついたようになった。


「百人隊長は子供のころのズザナを見たことがあるのかな。それはずるいな。きっと天使みたいに可愛かったんだろうな」


 ズザナは真っ赤な顔を夕焼けでごまかしつつ、夕飯はなにかガイウスに聞いた。


「似たようなものが続いて申し訳ないが、魚を焼こう。ハヴォクがアジの干物と燻製のニシンを」


「呼んだかい? ズザナさんの作業用手袋のお代をまだもらってないよ。わふっ」


 ……ロビンが長い舌を口からはみ出させて、へっへっへとしっぽを振っていた。

 しょうがないのでガイウスは燻製のニシンを1匹、ロビンに譲ってやった。ロビンはしっぽをちぎれんばかりに振りながら、商店兼自宅へとスキップして帰っていった。


「いろんな変なやつがいてビックリしたろ。リザードマンは初めて見ると魔族みたいで怖いよな」


「そうかしら? ちょっと大きいだけで、お話もちゃんと通じるし食べ物も同じなようだし」


「ズザナ、こんな暮らしでごめんな。俺も百人隊長みたいに、ゆで卵の白身をよけて黄身だけ食べるような暮らしをさせられたらいいんだが……」


「いいのですわ。お金を無目的に集めたり、権力を欲しがって権威にすり寄る暮らしより、この暮らしのほうがずっと好きだもの。もしかしたらいつか飽きてしまうかもしれないけど、それでも少なくともいまは知らないことがいっぱいで、楽しいわ」


「お、おう……」


「それにわたしと話したり、わたしのことを話しているときのガイウスは、他の人と話しているときのガイウスより楽しそうだし、よくしゃべるから面白いわ」


「そ、そうか? そうかな……まあしょうがないよな……ズザナはかわいいから……ズザナは大事だから……いいから夕飯にしよう。燻製のニシンを」


「呼んだ? わふっ」


「呼んでねえよロビン。帰って骨でも齧ってろ」


 ガイウスの呆れ顔を、ズザナはニコニコと見た。それに気付いてガイウスは恥ずかしそうな顔をした。(つづく)

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