5 寝顔をずっと見てた

 夕飯のあと、ズザナはベッドの隅に横になった。壁に背中を向けると眠りやすいぞ、とガイウスが教えてくれたからだ。


「……背中を壁に向けるっていったって、そんな端っこに寄ることないだろ」


「だって、ガイウスが寝るところがないでしょう」


「俺は床でいいよ」


「いまは床でよくてもいずれ寒くなるのでしょう? 肺病になってしまいますわ」


「……でも。未婚の男女が理由もなく一緒に寝るなんて、許されないだろ」


「じゃあ……なにか理由があればいいのね?」


 ズザナは少し考えた。1人で寝るのが寂しかったからだ。王都の屋敷で一緒に寝ていた、高価な人形は財産として没収されてしまった。

 ガイウスを人形だとは思わないが、1人で眠るのは寂しかったのだ。


「わたしが背中の傷を痛がったら、いつでも魔法をかけられるように、一緒に寝て」


「……わかったよ。本当にお触りもナシだからな?」


 ガイウスが、夜目にも分かるほど恥ずかしがりながらベッドに入ってきた。ズザナは心の底から安心して眠ることができた。


 ◇◇◇◇


 翌朝、ズザナが起きるとガイウスは朝食の支度をしていた。薬草茶を沸かし、パンにバターを塗って焼き、そこにツルコケモモのジャムを塗る。目玉焼きもある。朝食が出来上がった。


「まあ、おいしそう」


「ツルコケモモのジャム、カンナステラが雑に作ったやつだから皮が普通に入ってる。硬くて酸っぱいから無理しないで出すといい」


「大丈夫。いただきます。神に感謝を」


「いただきます」


 ズザナはガイウスの目の下にクマができているのに気づいた。


「眠れなかったの?」


「まあな。だからズザナの寝顔をずっと見てた」


 今度はズザナが赤面する番だった。


「変な寝言は言っていなかった?」


「うーん。夜明けごろにでっかい声でなんか叫んでたけど、そのころは俺も眠かったからよく覚えていないな」


 食事をとり、ズザナの背中の傷を確認する。とりあえず血は止まりかさぶたになったようだった。


「痛くないか?」


「痛くないわ」


「そうか。きょうは畑の仕事を教えるから、森に行くなんてバカな真似なよしてくれ」


「わかりましたわ」


 ◇◇◇◇


 ガイウスの小屋を出てすぐのところには小さな畑がある。ズザナは畑というものを見るのが初めてで、マメはこういう草から生えてくるのか、ニンジンはこういう葉っぱなのか、といちいち驚いてガイウスを苦笑させた。


 カンナステラがニコニコしながらやってきた。隣にはロビンもいる。


「ゆうべはお楽しみだったのかい、えいえい」


 カンナステラがガイウスをそうやっておちょくる。ガイウスはため息をついて、「なにもない」と答えた。ロビンも頷いている。


「うん、こいつら年ごろの同族の男女のくせになんにもしてない。オレの鼻が保証する。それからきのうの夕飯に燻製のニシンを食べたな?」


「つまんないやつらだね! 色気より食い気ってやつかい。それとロビン、あんた燻製のニシンがどれだけ好きなんだい」


 ロビンはもう「燻製のニシン」という言葉だけでヨダレが止まらなくなったらしく、口からヨダレが出るのを必死で隠そうとしている。まるっきし犬だ。


「きょうはどうしていらっしゃったの?」


「そりゃ、あんたらが心配だからに決まってるだろ」


「燻製のニシン……きょうの夕飯は燻製のニシンにしよう……」


「燻製のニシンはいいから。きょうは畑をやるのかい?」


「森にフラフラ入ってこられたら困るからな」


「よし。ガイウス、あんたは寝な。どうせ寝付けなくてずっとドキドキしてたんだろ。畑のことはあたしとロビンが教えるよ」


「いいのか?」


「もちろんだ。もしあんたがそのまま森に行って寝ぼけて倒れてくる木に巻き込まれて帰ってこなかったら、ズザナさんは本当にひとりぼっちになっちまうんだからね」


「……すまない。あとでなにか礼をする」


 ガイウスは小屋に戻っていった。


「じゃあマメとニンジンの周りに生えている雑草を抜こうか。これは鋼の民が素手でやると怪我をする。はい手袋。あとでガイウスに銅貨一枚払わせて。燻製のニシンでもいいよ、うん燻製のニシンがいいな」


 ロビンがズザナにぴったりの作業手袋を5組もくれた、厳密には売ってくれた。

 それをはめる。王都ではやわらかな革の手袋と練り香水が当たり前だったが、ここでは粗い繊維でできた作業手袋が生活に必須らしい。


「えいっ」


 雑草を引っ張る。

 しぶといことに根は地面に食い込んでいて、ズザナの非力な手ではさっぱり抜けない。

 カンナステラがやってみると、ハーフリングの柔らかくて小さな手だというのに、みるみる雑草が抜ける。抜けた雑草の根についていた有象無象の虫がびっくりして飛び出してくる。

 さらにロビンがやると雑草はとても簡単にすっぽすっぽと抜けた。怪力だ。

 草むしりを昼までずっとやった。雑草を抜いたあとは村の共同井戸から水を汲んで水やりをする。ズザナは重たいものを運ぶのは初めてだったが、なんだか楽しかった。


「雑草はビックリするほどしぶといからね。まめに抜くんだよ。さ、畑の仕事はおしまい! ガイウスがどうしてるか見てきな」


「はい。ありがとう存じます」


 ズザナは小屋にそっと戻った。ガイウスは見事に眠りの中だ。ときどきうめくように、なにかぶつぶつ言っている。

 きっと悪い夢を見ているのだとズザナは思った。親を子供のころに亡くし、三年前に軍隊にも加わったという境遇のガイウスが、楽しい夢を見るようには思えなかったからだ。


「上官殿……灰狗は……もう戦えません……」


 ハイイヌってなんだろう。

 きっとガイウスが隠している、悲しい過去の一部なのだろう、と推測できたので、ズザナはそっとベッドに近寄り、ガイウスの顔を覗き込んだ。


 ガイウスは泣いていた。

 よほど怖い夢を見ていたに違いない。

 ズザナまで涙がわいてきてしまった。


「母さん……」


 ガイウスはそう、苦しげに言葉を発した。

 ズザナの涙が、ガイウスの額にぽつりと落ちる。ガイウスがはっと目を開けて、あわてて跳ね起きてズザナのおでこにガイウスのおでこが激突した。


「ご、ごめんなさい!」


 謝るズザナを見て、ガイウスはぽろり、と涙をこぼした。


「久しぶりに、楽しい夢を見た。ズザナのおかげだ」


 ズザナにはどういうことかわからないまま、ガイウスは昼ごはんの支度を始めた。(つづく)

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