第8話

歩く男 第八話「第三の歩行者」


 それは確かに足音だった。

 陽斗とカレンが立つ砂場の地面、その下の地下構造から、静かに、しかしはっきりと響いてくる。


 カツ、カツ、カツ――

 規則正しい、一歩ごとに何かを計るような音。

 それは“歩く男”の足音とも、陽斗たち自身のものとも違っていた。


 「……誰かが歩いてる。私たち以外に」

 カレンが、震える声で言った。


 陽斗は、蓋の奥を見つめた。

 暗闇が蠢いている。だがそこに、確かに“存在”がいる。


 次の瞬間、地面の内側から影のような人影が浮かび上がった。


 服も顔も曖昧。形すら定かではない。

 ただそこには、歩く動作だけが存在していた。


 それは人間の記憶から零れ落ちたもの、

 あるいは――“歩く者になれなかった記録”の成れの果て。



 歩く者には、資格がある。

 町に“記録され”、なおかつ“選ばれ”、その上で“歩みを続けられる者”。


 だが選ばれながら、途中で消された者がいた。

 その“記憶の断片”が、形を持って動き出したのだ。


 カレンが息をのむ。


 「これ……誰かの“失敗”よ。歩ききれなかった者の、末路」


 陽斗は、一歩、影に近づく。

 「俺は……ここで止まらない」


 ノートを強く握ると、その中の文字が淡く光った。

 次の瞬間、足元の光の道が二手に分かれた。


 一つは、町の外へ――

 そしてもう一つは、町の中心へ、深く、深く続く未知の道。


 「どっちを選ぶかってことか……」


 カレンが問う。


 「出口か、それとも……奥か」


 陽斗は迷わず、中心への道に足をかけた。

 「記録が続く限り、歩く者は進める。なら、俺は奥へ行く」


 すると影が、わずかに頷いたように見えた。


 その直後――影は陽斗に触れた。


 その一瞬で、陽斗の頭の中に、**“第三の記録”**が流れ込んできた。



《第三の歩行者》の記録:


 その者は、昭和40年生まれ。

 この町の図書館職員で、歩く者に選ばれながら、記憶に呑まれて消えた。


 名前は――佐原誠。

 カレンの母・ミユキの兄だった。


 町の記録によって、存在ごと消された“家族”。


 歩き続けられなかった者は、町の地下で“形なき歩行”を繰り返す。

 陽斗は、それを救う使命を与えられた。



 光の道の奥。

 そこには、町の記憶を司る《中枢》がある。


 カレンが言った。


 「そこに行けば、この町の“記録そのもの”に触れられる。

  過去も、失われた人も、未来さえも……書き換えられるかもしれない」


 陽斗は頷いた。


 「俺たちで、書き直そう。もう誰も消えない町に」


 影――“第三の歩行者”は静かに溶けるように消えていった。

 足音だけを残して。



 その夜、陽斗とカレンは町の中心、地図の最深部へ向かって歩き始めた。

 地上の町は眠り、誰も気づかない。

 だが町の“記憶”だけが、ふたりの歩みを見つめていた。

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