恋も模型も脱線ぎみ!これがぼくの失恋急行

秋風とおる

第1話「始発駅の告白」

 その日、空はやけに青かった。秋の風が乾いていて、空気が少し冷たい。

 学校が終わったあと、僕は一人で校庭のすみにある桜の木の下に座って、ぼんやりと指を動かしていた。


 昨日、ピアノ教室で習ったバイエルのフレーズ。まだ指が覚えきれていなくて、空の鍵盤をなぞって確認していた。


 クラスの男の子たちはグラウンドでドッジボールをしていて、僕のことなんて誰も見ていなかった。

 でも、それでよかった。目立つのは、得意じゃない。


 そんなときだった。視界の端にふわりと風が舞って——僕は、思わず顔を上げた。


 長い髪が、光にほどけて揺れていた。

 まるで音符が空気に舞っているみたいに、さらさらと風に乗って、透きとおるような黒い糸が秋の日差しをまとっていた。


 チェック柄のスカートの裾が、ひらり、と翻る。

 白いカーディガンのすそが風に揺れて、彼女の小さな肩にかかっていた。

 細くて、きれいで、ちょっとだけ不思議な空気をまとった女の子。


 白石遥(しらいし・はるか)さん。


 同じクラスだけど、あまり話したことはない。

 でも彼女のことは、いつもなんとなく目で追っていた。給食のときも、廊下ですれ違うときも。


 遥は、少し離れた場所にスケッチブックを開いて、膝の上で鉛筆を走らせていた。


 僕は立ち上がって、ふらふらと、音もなく近づいていった。


「……なに描いてるの?」


 気づいたら、声をかけていた。


 遥は驚いたようにこちらを向き、ぱちぱちとまつげを瞬かせた。

 夕方の光が彼女の黒髪に降り注ぎ、スカートの裾がまたそよ風に舞った。


「……校舎と、空と、あと風」


「風……?」


「見えないけど、たとえば、髪がふわってなったり、葉っぱが揺れたりすれば……なんとなく伝わるかもしれないなって」


 彼女の言葉は、発車ベルの最後の音みたいにやわらかくて、胸に残った。


 また風が吹いた。遥の髪がきらめくように舞う。

 そのとき思った。


 ——この人のことが、すきだ。


 きっと、それは恋とかいうものだったんだと思う。

 僕の心臓が小さく、でも確かに震えていた。


「あの……白石さん」


 遥がスケッチブックから顔を上げる。


「ぼく、白石さんのこと、すきです。……」


 言えた。声は小さくて震えていたけど、はっきりと届いたと思う。


 遥は目をまるくして、それから小さく笑った。


「えっ……け、けっこんとか? そういうこと?」


「けっこん……じゃなくて、その、つきあってほしいというか……」


 遥は困ったように笑った。

 夕陽が彼女の髪に光を落とし、影が静かに芝のうえに伸びていた。


「あ~、ごめんね。なんか……よくわかんない、そういうの」

「でも、言ってくれてありがとう」


 ふられた。


 でも、不思議だった。涙は出なかった。心は少しだけ、あったかかった。


 その夜、僕は自分の部屋にこもって、模型棚に置いたC62のスイッチを入れた。

 Nゲージの蒸気機関車。僕がはじめて手に入れた、たったひとつの車両。


 汽笛も、煙もない。でも、ゆっくりと、でも一生懸命に走る姿が好きだった。

 ぼくの心を、少しだけ救ってくれた。


「……一両目、出発進行」


 それは、僕の恋の始発駅だった。

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