第五章 第四幕 追走と追想

――――――2024年6月4日21時57分18秒


 公園で昔話に花を咲かせ、1時間近くたっていた。


「じゃあ、私は明日も仕事だから、そろそろ帰るね。」


――そういって小さく手を振って帰っていく。


 もうすぐ22時か……。さすがにお開きかな。


「俺も明日普通に授業あるから帰るな。お前ら遅くなりすぎるなよ~。」


「「はぁ~い。」」


 学校にいるように政一先生の言葉に返事をする二人。


「あと、慎一!明日頼むぞ。」


 そうだ。明日は後輩のゴールキーパーを教えに行くんだ。


「はい。任せてください!」


 笑顔で先生に返すと、先生は誠也と憲弘と少し話して帰っていく。


その間―――ん?綾乃……?


「ねね。ちょっとこっちきて。」


 綾乃に袖を引っ張られる。


「なんだよ。もう帰ったのかと思ってた。」


「なにそれ。帰ってほしかったみたいな言い方だね。」


 そういうわけじゃないんだけど…。


「それで…?」


「あそこ……!」


 綾乃が指さす方向には、家路を急ぐ人群れの中に男が一人、女と喋っている。


「別に普通の駅前風景じゃん。」


「違う違う……!あれ!私の彼氏なんだけど……!」


 まぁ、時間的にも、綾乃の知らない女性と会っている状況的にも、浮気とやらを疑っているのだろう。


「じゃあ、俺らはなんだったんだ?しかも、俺に関しては綾乃の元カレだぞ?」


 笑いながらからかうと、


「違うの……!私は、彼に、『高校の時の男友達と元カレと担任の先生に会ってくるね?』って連絡して、いいよって言われてきたんだよ?」


 えぇと…つまり、


「つまり今の彼は何の連絡もなくってこと?」


「そう。そういうこと。」


 すげぇ怒ってる。言葉の端々に怒りを感じられるほどに。


「あのぉ。あんまり殺気が強いとあの人たちに気づかれるけど……大丈夫そう?」


 こちらをキッと睨むと、冷静な表情で


「その逆だよ。私の殺気であの人に気づかせるの。やばい。見つかったって表情をみたいから。」


 呼び方が『彼』から『あの人』に変わった。これは本気のやつだ……。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「あれ?慎一は?」


 綾乃と政一先生が帰って、残ったのはいつもの三人だと思っていたら、慎一がいない。


「さあ?トイレじゃない?」


 憲弘はあたりを一周見渡して、首をかしげる。


「追加の酒買ってくる?」


 憲弘はまだ足りないお酒を買おうと誘ってくる。


「そうするか。」


 慎一がなにも言わずにいなくなることは滅多にないとはいえ、流石にさっきの体調からしてトイレにこもってるのだろう。


―――


「何買ったん?」


「んあ?いつもの檸檬サワー。」


 流石に公園に早く戻らないと、慎一が困惑しかねない。そう思って、来た道に目を向けると、


「あれ。」


 慎一と綾乃が建物の陰に隠れて、駅の方を見ている。


「あいつら何やってんだ?」


 憲弘が走って向かおうとする。


「おい。とまれ。」


「なんだよ。せっかく見つけたのに……。」


 そういう話じゃない。


「見ろよ。あれ。たぶん綾乃の彼氏だ。」


 俺は今だに、綾乃のインスタグラムの『親しい』に入れられている。

――だからわかる。あの背丈、顔。彼氏だ。しかし、その前にいるのは他の女。これはまずい……。

 それに、俺らのいるコンビニから彼らのいるところまでは24mぐらいだろう。テニスの感覚と合う。


「お。修羅場ってやつじゃね?」


 憲弘は楽しそうに腕を組んで観察を始める。


「俺らはここからトラブルに発展しないように見守っておこう。俺らはあくまでそういう役回りだ。」


「はいはい。誠也の言う通りですよ。しばらく見ておきますか。」


 駅前の騒がしさも、綾乃の冷たい視線で静まり返っているようだった。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆





――――――2024年6月4日22時04分34秒


「じゃあ、あっちが気づくまでここでじっとしてるつもり?」


 綾乃ならすぐにでもカチコミに行きそうな感じだが……。


「なに。私が強引に止めに行くとでも思ったの?」


 なんか心読まれてる気がする……。あ……


「動いたよ。」


 えぇ。ついていかないといけないやつかぁ。そろそろ戻らないと誠也たちになんか言われるんだけど……。


「別に無理についてきてもらわなくても大丈夫だけど、来てくれた方が助かるかも。」


 少し遠慮気味に頼んでくる綾乃に、昔のような強引さはない。

――いつもなら、ここでさようならしてる。自分には関係ないから、面倒ごとは避けたいから、言い訳を考えて逃げ道を作ってた。


――でも、今回は…。


「大丈夫。ちゃんと最後まで付き合うよ。」


「付き合ってくれてありがと。」


 素直な感謝をもらうと、一緒に綾乃の彼氏を追い始める。おそらく50mぐらいだな。キーパーの後ろから見てトップ下の選手ぐらいの感覚だ。つまり、顔の表情がギリわからないぐらいだ。



「それで、彼とはどれぐらいなの?」


 普段の俺なら絶対にできないような質問。なにか役に立つかもしれないと思って聞く。


「もう2年目かな。同棲の話もしてたんだけどな……。はぁ。」


 そのため息には、先ほどの怒りに呆れと憐みが混じっている。


「綾乃ならすぐにこういうこと気づきそうだけどね。」


「それが今日、初めてでさ。あの人、今までそういう素振りなかったんだよね。」


 気づかなった自分に対する失望なのか、彼に対する失望なのか、俺にはわからなかった。けれどその目には陰りが見えた。


「愛姫県出身?」


「ううん、姫道ひめみちだよ。」


 その地名が妙に耳に残った。


――彼と女性が角を曲がる。


「待って。」


 ここで止まったらすぐにわからなくなる可能性もあるのに…?


「見失うぞ?」


「大丈夫。とりあえずカーブミラーであの二人は追えてるから。

――それはともかく、誰かにつけられてる気がする。慎一は周り見ておいてほしい。」


「はいはい。」


 そんなことはないと思うが、後ろを振り返る――誰もいない。


―――暗い夜道に薄暗い街頭。虚しさの漂う閉まった店のシャッターは風でガタガタ音を立てる。女性一人で歩かせるのは危険な感じだ。


 なにか追っているのに追われているという状況は、如何ともしがたい。


「んんー、そろそろミラーで追えないから移動するよ。」


――少し足早になる。


「写真は撮ってるの?」


「当たり前でしょ。証拠になるんだから。これでの家まで行ったら、確定だよ。」


 女の嫉妬は女に向くらしい。『あの女』という言葉を聞いて背筋が凍った。その一音一音に憎悪がこめられている。


「ということは、彼の目的地に着くまでこれが続くのか……。」


「文句言わないで。私の方が言いたいぐらいだから。」


 無神経な言葉だった。


「それはごめん。」


「別に気にしてないからいいよ。それよりも目の前の方が腹立つし。」


 周りの警戒ばっかりして、彼等を見ていなかった。

――ふと目を向けると女の方が、彼と肩がつきそうなぐらい近い。


「あの女……マジで……。」


 肝心の男の方の表情は、遠くて見えない。


「ある程度証拠を押さえたらどうするつもり?」


 ことの顛末をどういうシナリオにするのだろう。


「あの人が女と別れようとしたタイミングで出るよ。」


 俺は木陰にでも隠れていようか。何も言わずに歩みを進めると、

――綾乃が足を止め、俺の行く手を止める。そして振り向く口元は、すごくずるそうな表情を象徴する。




「慎一は――


―――私の浮気相手役ね。」


 …は?

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