レーテ・エクスマキナ

不知火 慎

第一章

#1

1.収容所襲撃

 五十以上ある帝国大管区の一つ、イースレイには、巨大な収容所が存在する。拡大政策の過程で帝国が設けたそれは、反体制派と見なされた人々が三千人ほど収容されていた。


 そこは小都市の人口にも匹敵するような数を収容するにはあまりに劣悪な場所だった。食糧不足、囚人間の抗争、看守の暴力が慢性的な問題になっている。


 だが、帝国はそれを問題とは思っていない。そもそも支配階級たるグランニア人は自らを〝優性民族〟と見なし、征服した地の民族に迫害を加えている。たとえ迫害していなくても異民族だからという理由で敬遠するのが普通とされるほどだ。


 そんな思想が蔓延しているものだから、どの収容所も環境は劣悪だった。が、ここイースレイは抜きん出ている。特に収容人数に比して食糧が足りず、飢えをしのぐために餓死者を食べるような事態まで発生しているのだ。それを看守たちは改善するどころか、気味悪がり、挙げ句の果てにをする囚人たちを獣呼ばわりして嘲笑する始末。そこは悪意という概念が凝縮されていた。


 そんな収容所を見下ろす位置にある丘の上に、ユリエル・ヴァン・アルフリーデンはいた。少しくせのある灰銀の髪に翡翠色の瞳をした少年で、宮廷や学園の貴族令嬢たちに大人気な中性的で温和そうな美貌は、固い無表情である今も端麗な趣を持つ。


 彼の隣には、淡い金髪を腰まで伸ばし、ユリエル以上の美貌を持つ青い瞳の少女が立っていた。隔絶した気品と、男を惑わす色気を漂わせる彼女の名は、レオラ・ヴァン・ワレンシュタイン。両人とも帝国上流階級に生まれた貴人であった。


「コンクリート壁の上が通路になってて、外から内側を監視するようになってるみたいだ」


 ユリエルが双眼鏡を覗きながら言った。レンズ越しに見える兵士の一人が、帝国軍標準装備のヘルメットをつけ、だらしなく巡回している。そのまま兵士の様子をうかがっていると、煙草をふかしている一団に声をかけ、会話に加わってしまった。


「警備の様子は?」


 レオラがユリエルに訊ねる。少年は苦笑いしつつパートナーに双眼鏡を手渡した。双眼鏡を覗くレオラの顔が、次第に険しくなっていく。


「……腐敗の極みだわ」


 断言するような口調もユリエルには耳心地が良い。美貌と声音は切っても切れない関係なのだろうか。


「あんな腑抜けた連中が相手なんて。少しは骨のある奴がいるんでしょうね」


 まるで戦士のような言葉にユリエルは笑ってしまう。この活動を一緒に始めて三ヶ月が経とうとしているが、普段の姿と比べるとその豹変具合にいつも肩をすくめてしまうのだった。


「あそこの看守長は元死刑囚で、改造手術を受けたサイボーグらしい。骨のある相手といったらそいつ程度じゃないか」

「死刑囚って、何をしたの」

「殺人、強盗、強姦、非正規の傭兵活動中に二等臣民を虐殺。あ、最後の罪は当時の司法長官の権限で消されたみたい。まあ、とんでもない悪人ってことだね」

「そんなのがあの収容所で看守長?」

「あの収容所は犯罪者じゃなくて、〝異民族だから〟って理由で捕まえた人たちを閉じ込めてる。異民族苛めは我ら帝国の高尚な趣味だからね」


 皮肉を利かせユリエルは言う。勇者となってから、ユリエルとレオラは自分たちの故国の悪業を見てきた。差別と迫害を当たり前のように行い、それを当たり前のものとして消費する社会。二人は静かに怒りを燃やした。この収容所を襲撃し、人々を解放するのは、いわば悪しき体制に対する反抗なのだ。


「クソ野郎をぶち殺すのは得意よ」

「美人の言葉とは思えないな……」


 レオラは皮肉だと思ったのか、鼻で笑い一蹴した。だがそれはユリエルの本音だった。


 よく晴れた空の下、乾いた風が吹く中でユリエルとレオラは打ち合わせをする。


「イースレイ人の抵抗派が大管区の中央都市で大規模テロを実行する。僕らはそれに乗じてあの強制収容所を襲い、囚人たちを解放する」

「懸念事項があるとすると、抵抗派と私たちは特に連絡を取り合っているという訳ではないから、抵抗派の部隊が収容所に来る可能性があるってことくらいかしら」

「抵抗派の兵力や動きを見るに、彼らは都市の制圧に集中するはずだ。僕らが襲う収容所に関心が向く頃には、僕たち自身がいなくなっているだろうね」


 二人の眼前にはホログラムで構成されたディスプレイがあった。ある二名の顔写真が、簡単なプロフィールと共に表示されている。一人は収容所所長、マース・リヒトン。もう一人は看守長のミンシア・ウーベだった。


「この二人が〝オーダー〟の関係者だ。リヒトンの方はオーダーの存在を察知した人間をあの収容所に迎い入れる役目。で、ウーベの方がその不幸な人間をぶち殺す担当らしい」

「ますます殺す理由ができたわ。この二人を血祭りに上げ、ついでに囚われた人々を解放しましょう」

「……ここに来て目標追加か。そうなると普段のように大立ち回りはできないよ?」

「それは分かってるわ。スマートに終わらせてやる」


 負ける想定をしていないのはレオラの自信と見るべきか傲慢と見るべきか。ユリエルはまだ判断がつかない。今のところ、自分たち以上の強者と出会ったことはない。まだ相対したことが無いという程度の話なのかもしれないが、さしあたって今は余裕である。とはいえ油断は禁物。なるべく警戒するのが常道だ。


 そんなことをユリエルが考えていると、収容所とは反対方向から爆発音が響いてきた。起伏のせいで見えないが、抵抗派によるイースレイ大管区中央都市での反乱が勃発したのだ。


 ホログラムディスプレイに映像が出る。大管区政庁ビルが根元から崩れ、都市の中心部のそこかしこから炎が上がっていた。


「まさか総督府をいきなり爆破するなんて、連中は本気か。だけど、これじゃあ都市の民間人に被害が出るな」

「どうせ現地人から収奪して作った都市よ。当然の報いじゃない?」

「レオラ……」


 ユリエルとレオラは自らの故国に失望していることは共通しているが、ベクトルは微妙に違う。ユリエルはなるべく一般人は巻き込みたくないと思っていた。確かに我々グランニア人は選民思想にかぶれ、他民族を見下すのが普通になってしまっているし、それはおぞましいことだと思う。だが、個人レベルでは善良な人もいるはずなのだ。そういった人々を巻き込んで、「自業自得だ」と突き放すほどの冷酷さは持てない。我々が倒すのは、悪業を平気で行う全ての者たちのはずだ。


 一方で、レオラは搾取の結果を享受し続けてきた者たち──つまり自分たちも含めた全員が報いを受けるべきだという考え方だった。二等臣民と定めた人々から奪った富で虚栄をほしいままにしている我々に善人・悪人の区別は無いということだが、ユリエルからするとそれはそれで極まった思想なのではと思ってしまう。ただ、ユリエルも一定の理解は示していた。


 不意に収容所から警報がけたたましく鳴り響き始めた。収容所の方でも反乱を察知したようだ。慌ただしくも緩慢に警備兵たちが配置についていく。完璧に同胞を見放している訳ではないが、あれでは失望するのも分かる。兵士たちのどこか滑稽な動きにユリエルは苦笑いが止まらない。


「行くわよ」


 レオラが着ていた黒いローブを取り払うと、白いスーツに身を包んだ身体があらわになった。スーツの上半身部は身体に密着しており光沢がある。一方で下半身はショートパンツとサイハイブーツをはいていた。腕にはロンググローブをはめ、柔軟性のみを追及したようなそのスーツは、レオラのように魅力的なプロポーションを人間が着ると別種の感銘を他人に与える。ユリエルもその一人だ。


 見事なボディラインに思わず見惚れていたユリエルは、レオラに睨まれて正気を取り戻した。


「公私は区別して。今はそんな場合じゃ無いでしょ」

「今の状況って公私どちらなんだろうか」


 冗談めかしたユリエルの問いにレオラは肩をすくめただけで何も答えなかった。今度はユリエルがローブを取る番だ。ユリエルのそれは基調が白のスーツで、胸と腰にポケットがある。ズボンは薄灰色の落ち着いた色調で、他には服自体に肩甲骨の辺りまで隠れるケープがついている。全体図として見ると、式典で使用される礼服のようだった。


 初めて着てから三ヶ月近く経つが、ユリエルは未だに違和感があった。確かに見た目以上に軽く、激しい動きにも対応してくれるが、どうしてこんな見た目なのか。レオラほど扇情的でなくていいので、もう少し戦闘服らしい服が欲しいところだった。


 最後の準備として二人は仮面を着ける。穴も隙間も無い無貌だが、随時情報を表示してくれるHUDとボイスチェンジャーが付いている。


 人間は他人を識別する際、多くの情報を顔に頼るという。例え背格好が割れていても、顔が分からないと人はイメージしにくい。よほど綿密に調査しない限り、二人の正体はバレないはず、否、二人には絶対にバレないという確信があった。


「まさかグランニア人がテロをしてるなんて思いもしないんでしょうね」


 グランニア人がグランニア人に対してテロを行う。考えればあり得なくもないことだが、空気レベルで選民意識が蔓延しているグランニア人にはどうやら想像もつかないことらしい。事実、二人はこれまでの任務で何人かのグランニア人に顔を見られたが、ほぼ例外なく驚愕した表情に遭遇してきた。


「そこが疑問だな。グランニア人全員が帝国を賞賛していると思っているんだろうか」


 小首をかしげるユリエルをたしなめるようにレオラが言う。


「あなたもいい加減に気づきなさい。身内贔屓ばかりしているといつか背中を取られるわよ」

「……もしかして普段からそんなこと考えて生活してる?」

「ええ、家族も敵だわ」


 徹底してるな。ユリエルは内心で辟易へきえきしつつ走り出したレオラの後を追った。


 収容所の主たる入り口は一つしかない。正面にある外開きの巨大な扉だ。縦十五メートル、横十メートル。耐酸性の合金でできていて、工業地帯であるイースレイでよく降る酸性雨も難なくはじく代物だった。


 だが、ユリエルとレオラにとってそれは関係ない。そもそも襲撃者の警戒をしていないのか、厚さ五メートルの扉の前にいるのは、検問所にいる兵士たちだけだった。追従するユリエルにレオラが肩越しに振り返る。


「アレは任せて」


 そう言ったレオラは走りつつ何も無い空間に手を伸ばす。ほんの一瞬だけ中空に裂け目が現れ、レオラはそこから白銀に輝くライフル銃を取り出した。シャープでメカニカルなそれにはマガジンに当たるパーツが無い。レオラが安全装置を外すと、起動音と共にホログラムサイトが表示される。少女は淡い金髪を振り、急制動をかけた。


 検問所の外で、窓枠に腰をかけていた兵士が、謎の二人組にようやく気づく。


「ん?」


 その兵士が最後に見たのは、自身に向かってくる青白い閃光であった。


 検問所はエネルギー弾の直撃を受け爆散した。小屋に窓を取って付けたような簡素な建物は、そこにいた人間ごと破片を周囲に撒き散らす。


「やりすぎだ……」


 仮面越しでも満足そうなレオラには聞こえないようにユリエルはぼやく。だが、それと同時に戦いの口火を切ったという感覚がユリエルの内奥に火をつける。スリル。危険な響きだが、それだけに甘美でもある。彼は戦いそれ自体を否定しない。戦士のように正々堂々戦うような性格ではないが、少なくとも悪人、より正確に言えば他者の痛みに無関心な連中を叩くのは良いと思っていた。そういった連中が二人の敵なのだ。


 ユリエルはどこからともなく光沢を持った鈍色にびいろのカードを取り出した。トランプカードのようなそれは、特殊な合金でできている。どう特殊なのかというと──


「そおら、開け!」


 叫びと共に投擲されたカードが、分厚い扉に突き刺さる。ユリエルが投影したホログラムディスプレイを操作し、起爆スイッチを押すと、突然突き刺さったカードが赤熱化し、火花を散らし始めた。


 酸も砲弾も防ぐ扉が、カードを中心に溶け始める。熱が内側にまで行き着いたところで、カードが大爆発を起こした。


 厚さ五メートルの巨大な扉に直径六メートル大の穴ができた。ユリエルとレオラはその穴に飛び込み、難なく収容所内に侵入する。


 扉の先は広場だった。すぐ近くには新しい収容者を登録したり、持ち物を没収するために仮設されたスペースがある。鉄網を迷路のように入り組ませ、わざと長蛇の列ができるようにしているのだ。護送車に乗ってやって来た人々は、狭い鉄網の中を延々並び、番号を与えられて狭い牢屋に押し込められる。帝国の悪意がこうした小さな部分にも存在し、ユリエルとレオラは不快感を喚起され顔をしかめた。


 ユリエルとレオラが突入した時も、〝囚人〟として数十人が並んでいた。中には十歳にも満たない子どももいる。


「なっ、何だお前ら!」


 レオラの近くにいた兵士が叫ぶ。扉が突破されたにも関わらず、どこか危機感の無い口調である。


 こんなやつらが無辜の人々を弾圧し、加虐欲に震えていると思うと怖気おぞけがする。レオラは罵詈雑言を吐き出す代わりに、持っていたライフルを変形させた。滑らかな動作で形が変わり、ライフルは刀身輝く鋭い剣になっていく。


 ライフルを変形させつつ、刀身が形成されたタイミングでレオラはそれを軽く振るう。次の瞬間、誰何すいかした兵士の上半身が斜めにスライドして崩れ落ちた。死体は状況を理解しないまま、どこか腑抜けた顔のままだった。


 悲鳴が上がる。囚人と兵士の双方だ。兵士たちは絶叫しながらアサルトライフルを構えるが、レオラの方が全てにおいて速かった。


 レオラは戦士や兵士としての訓練を受けていない。帝国の婦女子として、作法や料理、種々の習い事を学んだ程度だ。


 だが、彼女の剣さばきは実に華麗だ。ユリエルはそう思う。兵士たちの集団に突撃し、まるでバターのように切り刻む様は、どこか舞踊のような美しさがある。命を容易く奪う死のダンス。土がむき出しの地面が、ユリエルにはレオラのためにお膳立てされたステージのように見えた。


 完全に見惚れていたユリエルを現実に引き戻したのは、背中に当たった銃弾だった。振り返ると、四人ほどの兵士の一団が怯えた表情で突っ立っている。心臓の辺りに命中したはずなのに、素知らぬ顔のユリエルが恐ろしいようだ。


「悪いが、それでは僕を倒せないよ」


 優しい口調で言ったユリエルだが、容赦する気は無かった。レオラほどではないが、彼も冷酷なのだ。


 特殊合金のカードを指の間に挟み、兵士たちに向かって投げる。ユリエルにとってはフリスビーでも投げるような感覚だったが、実際のスピードは衝撃波が出るほどで、兵士たちに回避する余地は無い。


 言葉を発する間も無く、兵士たちの身体中にカードが突き刺さる。断末魔を上げながら兵士たちが倒れていく。


 無惨な死体になった兵士たちを見下ろし、ユリエルはほんのわずかに罪悪感を抱く。彼らにもきっと家族や大事な人がいたのだろう。それを一方的に奪ってしまうとは、また罪を重ねてしまったと自戒する。


 だが、それはそれとして彼らが囚人たちを虐待し、劣悪な環境に貶めたのも事実である。やはり他人は傷つけ自分は傷つけられたくないという考えは間違っている。そう思うと、ユリエルの心から罪悪感は薄れていった。


 兵士の死体を一瞥し、ユリエルは囚人たちに向き直る。全員が怯えた顔でユリエルを見ていた。


「この中で言っていることが分かる者は?」


 母語たるグランニア語ではない流暢な共通語でユリエルは問いかける。白髪の老人が手を挙げた。


「これから僕たちは君たちの仲間を解放する。仲間が来るまでじっとしていると良い」


 老人は何度も頷き、イースレイ語で他の囚人たちに翻訳する。それを見届け、ユリエルは遠くに見える監視塔に視線を移した。


「看守長はレオラに任せるとして……僕は所長を始末するか」

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