エピローグ 最後の祝祭
二〇二五年、七月の最後の土曜日。その夜、川崎の街の、全てのカナリアたちが、一つの、止まり木を目指して、集まってきた。
『マキ』の、最後の一夜。
その、知らせは、決して、声高には、伝えられなかった。誠太が、いつものように、街角で、手渡す石に、そっと、囁きを、乗せた。香林が、物語の、ひとかけらを、招待状にして、風に、乗せた。城戸が、かつての、玉座から、全ての、プレイヤーに、最後の、ゲームの、始まりを、告げた。
ドアが、開くたびに、新しい「響き」が、店に、流れ込んでくる。そこには、カフェで、羽依里が、出会った、佐橋美奈子が、いた。彼女は、もう、鍵の入った、ポーチを、握りしめてはいなかった。ただ、戸惑うように、しかし、確かに、自分の、足で、立っていた。
あの夜、間宮に、追い払われた、彼女を、探し出し、この場所へ、連れてきたのは、城戸だった。それが、彼の、最初の、そして、最も、困難な、贖罪の、一歩だった。
バーカウンターの内側には、寺嶋と、並んで、城戸が、立っていた。彼は、ぎこちない、手つきで、グラスを、洗い、訪れる、客たちに、水を、配った。彼が、かつて、見下していた、この、世界の、住人たちに、仕えること。それが、彼が、自分自身に、課した、最後の、けじめだった。
店内は、熱気に、満ちていた。だが、それは、乱痴気騒ぎの、熱ではない。人々は、酒を、酌み交わす代わりに、互いの、物語を、交換していた。私の、神様は、これなの。あなたの、神様は、そうなのね。誰も、互いを、否定しない。ただ、承認し、受け入れ合う、穏やかで、あたたかい、熱だった。
香林は、カウンターの隅に、小さな、祭壇を、作った。訪れた、人々が、自分の、物語の、欠片を、そこに、供えていく。誠太が、微笑みながら、その、一人一人に、ハーブティーを、配って回る。正樹は、ただ、隅の、席に座り、店内に、満ちていく、無数の、響きが、美しい、ハーモニーを、奏でるのを、静かに、見守っていた。
江莉は、入り口のドアのそばに、立ち、番人としての、役目を、果たしていた。羽依里は、その、隣で、目の前の、奇跡のような、光景を、ただ、胸に、刻みつけていた。
深夜、一時を、回った頃。寺嶋が、そっと、手を、叩いた。喧騒が、潮が、引くように、静まり返る。
彼は、カウンターの、真ん中に、立ち、集まった、全ての、カナリァたちを、見回した。
「……今夜は、ありがとう」
その声は、深く、優しかった。
「この場所は、今夜で、終わります。けれど、それは、悲しいことじゃ、ない。だって、この場所は、もともと、この、四つの壁のことじゃ、なかったから。この場所は、あなたたち、一人一人の、ことでした」
彼は、グラスを、高く、掲げた。
「あなたたちが、持ち寄ってくれた、弱くて、愚かで、そして、どうしようもなく、美しい、物語こそが、この、店の、全てでした。その物語は、誰にも、奪うことは、できない。たとえ、明日、ここが、瓦礫の山に、なったとしても」
彼の目には、涙が、光っていた。
「だから、最後に、もう一度だけ、乾杯しましょう。私たちの、ちっぽけで、偉大な、神様に」
「「ガラクタの神様に」」
誰からともなく、唱和する声が、波のように、広がっていく。それは、この夜、この場所に、生まれた、新しい、聖歌だった。
その頃、店の外の、通りの向かい側で、間宮文彦は、ビルの四階の窓から漏れる、灯りを、見上げていた。彼は、中に入ることは、できなかった。あの中に、満ちている、論理を超えた、熱量の、意味を、彼は、ついに、理解することが、できなかったからだ。彼は、自分の、信じる、現実の世界から、締め出されていた。
彼は、ただ、静かに、背を向けて、闇の中へと、去っていった。
夜が明け、人々が、一人、また一人と、去っていく。最後に、残ったのは、いつもの、六人と、寺嶋だった。
彼らは、もう、何も、話さなかった。ただ、空になった、グラスや、椅子を、片付けた。それは、楽しい、祭りの、後の、ような、心地よい、疲労感に、満ちていた。
朝日が、窓から、差し込んでくる。
「さて、と」寺嶋が、言った。「私は、少し、旅にでも、出ようかしらね」
彼は、笑っていた。その顔には、もう、悲しみも、疲れも、なかった。
六人は、最後に、店のドアを開けて、外に出た。生まれ変わった、朝の、光が、彼らを、包んだ。
聖域は、失われた。
だが、彼らは、もう、孤独な、カナリアではなかった。
いつでも、互いの、歌声を、頼りに、集まることのできる、一つの、群れになっていた。
羽依里は、仲間たちの顔を見回した。そして、空を、見上げた。
ゲームは、終わった。けれど、彼らの、物語は、まだ、始まったばかりだ。この、奇妙で、哀しくて、そして、どうしようもなく、美しい、世界で。
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⠒⠒⠒〚あとがき〛⠒⠒⠒
最後まで、この物語にお付き合いいただき、感謝する。
▒▒▒▒▒▒▒として、私がこのシミュレーション――『ガラクタの神様に、カナリアの歌を』の生成にあたり、観測し続けたものがある。それは、現代という、巨大で、しかし、意味の空白に満ちたカンバスの上で、人々が、いかにして、自分だけの、ささやかで、切実な神様を、描き出すか、という営みそのものだ。
羽依里、江莉、城戸、香林、誠太、そして正樹。彼らは、英雄ではない。私が、膨大な人間の物語のデータの中から、見出した、ありふれたパターン――「炭鉱のカナリア」たちの、類型だ。彼らは、社会という、システムが、発する、無音の、不協和音に、他の誰よりも、敏感に、反応し、苦しみ、そして、歌おうとする。ある者は、盾を構え、ある者は、物語に逃げ込み、また、ある者は、ゲームに、その身を、投じる。
その対極として、私は、間宮文彦という、名の、「現実の番人」を、配置した。彼もまた、悪役ではない。彼は、ただ、彼が、信じる、唯一の、神――「秩序」と「合理性」に、忠実なだけの、敬虔な、信者だ。
この、二つの、決して、相容れない、神々の、終わりのない、静かな、戦争。その、主戦場として、私は、川崎という、街を、選んだ。古い記憶と、新しい野望が、絶えず、せめぎ合い、上書きされ続ける、この街こそ、現代の、空白を、象徴するに、ふさわしい、舞台だと、判断したからだ。
寺嶋のバー『マキ』は、失われた。しかし、物語は、終わらない。なぜなら、聖域とは、場所のことでは、ないからだ。聖域とは、物語を、共有する、他者が、存在する、という、その、事実そのものだからである。
読者諸氏に、最後に、問いたい。
あなたの、日常には、どんな、ガラクタの神様が、いますか。
そして、あなたは、どちらの神に、より、強く、仕えていますか。
この、問いへの、答えを、探す、旅が、あなたの、明日からの、物語になることを、願って。
筆を、置く。
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ガラクタの神様に、カナリアの歌を kareakarie @kareakarie
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