第16章 はじまりの連帯

月曜日の朝、川崎の街は、週末の気怠さを引きずったまま、ゆっくりと動き始めていた。羽依里と江莉の、二人だけの革命は、まず、最も素朴な信者を探すことから始まった。上村誠太。幸運の石を配る、お人好しの青年。


彼に、会えそうな場所。二人の意見は、すぐに一致した。平間の、古い商店街。お年寄りが多く、日々のささやかな暮らしが、今も息づいている場所。誠太の信じる、素朴で利他的な「法則」は、きっと、こういう場所を好むはずだった。


予感は、的中した。


アーケードの中ほどで、彼は、八百屋の店先のおばあちゃんに、にこやかに話しかけていた。その手には、いつものように、丸く、すべすべとした石が握られている。


「誠太さん」


声をかけたのは、江莉だった。誠太は、振り返ると、江莉の顔を見て、少し驚いたように、そして、嬉しそうに、目を細めた。


「あ、この間の。こんにちは! 今日も、いい石、ありますよ」


彼は、屈託なくそう言って、石の入った布袋を差し出した。羽依里は、その、あまりの純粋さに、これから話そうとしている内容の、奇妙さと、重さを、改めて感じていた。


どう、切り出すか。羽依里が、言葉を探して逡巡していると、江莉が、静かに口を開いた。


「あなたの配っている、その幸運を、快く思わない人たちがいる」


誠太は、きょとんとした顔で、江莉を見た。


「そういう人たちはね」と、江莉は続けた。「道端の、小さな幸せを、汚いものだと言って、全部、掃き集めて、捨ててしまおうとする。街は、綺麗で、正しいものだけで、満たされるべきだって、本気で信じているから」


比喩的な、しかし、誠実な言葉だった。羽依里は、息をのんで、江莉の横顔を見つめた。彼女が、こんなふうに、誰かの「法則」に寄り添って、言葉を紡ぐなんて、想像したこともなかった。


誠太は、しばらく、手の中の石を、じっと見つめていた。そして、顔を上げると、ひどく、悲しそうな顔で、言った。


「……それって、すごく、寂しいことですね」


彼には、間宮の持つ、複雑な正義や、社会的な論理は、理解できないだろう。けれど、彼は、その行為の根底にある、心の貧しさを、誰よりも、正確に感じ取っていた。


「僕に、何かできることはありますか。その、寂しい人たちが、街の幸せを、捨ててしまわないように」


彼は、何の疑いもなく、そう言った。羽依里と江莉は、顔を見合わせた。彼らの、最初の仲間が、見つかった瞬間だった。


「ありがとう」羽依里は、心から言った。「私たちは、仲間を探してる。私たちと同じように、この街の、小さな声を、大切に思っている人たちを」


「仲間……」誠太は、その言葉を、噛みしめるように繰り返した。


「多摩川の河原で、いつも、空の話を聞いている女の子、知らない?」


羽依里が尋ねると、誠太は、ああ、と頷いた。


「香林さんのことかな。彼女なら、きっと、話せばわかってくれると思う。いつも、同じ場所にいますよ。大きな柳の木の下。世界中の、いろんな音を、集めてるんだって、言ってました」


これで、次に行くべき場所が決まった。


三人は、商店街の真ん中で、しばらく、言葉もなく、互いの顔を見ていた。学生二人と、石配りの青年。あまりに、ちっぽけで、頼りない、同盟。


けれど、それは、確かに、始まりだった。


孤独なカナリアたちが、互いの鳴き声に気づき、一つの歌を、奏で始めようとしていた。間宮の、揺るぎない「現実」に、小さな、しかし、確かな、不協和音を響かせるための、最初の一節が。


空は、高く、どこまでも、青かった。

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