第2話 新卒IR一年目の本音
──春の光が差し込む受付。
その向こうで、真美は小さく深呼吸をした。
リクルートスーツの膝に、手作りの「想定質問&模範回答」ノートをぎゅっと押しつける。
入社して、まだ三週間。IR部――株主総会担当――へ、辞令が下ったのは一週間前のことだった。
「大丈夫。練習したこと、全部出せばいいから」
隣で先輩が励ます。けれど、心臓の音は止まらない。
この日のために、真美は前夜も眠れぬままノートに付箋を貼り、ペンで大事なポイントを蛍光ペンでなぞった。
ありうる質問は百パターン。過去五年分の議事録も読破。
どんな株主にも、ちゃんと笑顔で答えられる自信が――(ちょっとだけ)あった。
会場のスクリーンが明るくなり、AI議長の挨拶が響く。
拍手。真美は、IR部席で小さく背筋を伸ばした。
そして質疑応答が始まった。
画面に表示される、株主からの質問。
「配当性向の方針について」「新規事業の見通し」……
ノートの付箋をめくりながら、心の中で小さくガッツポーズ。
そのとき。
「Excuse me, may I ask a question in English?」
……え?
一瞬で頭が真っ白になる。
巨大スクリーンには、英語で書かれた質問が次々と表示されていく。
「What are the company’s plans for global expansion?」
「How do you view sustainability in the next fiscal year?」
「Could you elaborate on your R&D investment strategies?」
予想していた質問は、全部“日本語”だった。
ノートの付箋も、模範回答も、一切役に立たない。
心の準備は完膚なきまでに打ち砕かれた。
先輩たちが慌てて翻訳アプリを開く。役員席でもざわめきが広がる。
AI議長だけが涼しい顔で、完璧な英語で返答を繰り出す。
真美は、いまにも泣きそうだった。
でも、不思議だった。
株主のひとりが、遠くから彼女にウィンクした。
そのとき、少しだけ肩の力が抜けた。
「I’m sorry, let me try to answer…」
勇気を出して立ち上がり、つたない英語で返した。
震える声。だが、会場の空気がほんの少し、やさしくなった気がした。
拍手が起きたのは、そのあとだった。
真美はノートをそっと閉じた。
付箋も、蛍光ペンも、今日は役に立たなかった。
けれど――この体験こそが、いちばんの「本音」となって、彼女の胸に刻まれた。
総会が終わり、外に出ると、春の光がまたひときわ眩しかった。
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